お狐様、救出作戦に挑む3
「えっ、ぐえっ」
自分の手元で砕けた神器を信じられないという顔で見つめたまま、少年はイナリの蹴りで思い切り吹き飛んで転がっていく。
「何を企んでるかと思えば、刺す機会を探っていただけとはの」
「だ、だけですって!? あんたがおかしいんでしょ! こんな、神器が、こんな……!」
言いながら少年の姿はバキバキと別のものに変化していく。それは元の女の姿で、よろよろと立ち上がりながらも手の中の砕けた神器にチラリと視線を向ける。
「これは! 全てが円満な雰囲気で使えば絶対に刺せる神器なのよ! なのにどうして刺さらないのよ! それどころか……!」
「そんなことを言われてものう。刺さらんものは刺さらん。そういうことじゃろ?」
「馬鹿にしてるの!?」
「いやあ、それは此方の台詞じゃろ。のう、真野?」
突然話を振られた月子は状況を把握しきれないままに頷く。とにかく、神器とかいう怪しげなものを少年……に化けていた女が使い、それがなんか巫女服に弾かれた上に砕けた。そこまでは事実として存在している。あとは……まあ、推測は出来る。出来る、が。なんとも喜劇じみている。
「まあ、そうね。そもそも目茶目茶怪しかったし。都市伝説モンスターかと思ったけど、まさか人間が出てくるとは思わなかったわ」
「嘘つくんじゃないわよ! 私の演技も変身も完璧だったはず!」
「いやあ、無理があるじゃろ」
「普通の子どもがこんな目が合えば殺しに来る場所で生きてるわけないでしょ馬鹿」
万が一があるから言わなかっただけで、出てきた時点で怪しさの塊だったのだ。つまるところ女の……町田の計画は、最初から破綻していた。庇護欲を誘う中学生などではなく、せめて覚醒者として出てくるべきだった。それであれば無傷であることにも多少の説得力が出たのだ。自分が無力だとアピールしようとしたのが完全に裏目に出たということでもある。
「ま、つまりアンタはアホってこと。此処で捕縛させてもらうわ」
「出来ると思うの?」
「ん?」
町田の身体が、バキバキと変形を始めていく。周囲から、黒い影が集まり始めて。それらが町田へと吸収されるように体の中へと入っていく。それは村のあちこちから集まってきて、その全てが町田へと統合されていく。
「知ってる? 統率っていうスキルはね……レベルが高くなると、統率した相手を自分に融合させることが出来るようになるの。勿論、とんでもなく高いレベルが必要になるけど……私はそれが出来るわ」
町田の身体が、黒い影のようなものになっていく。人間の形を捨てて、怪異そのもののように変わっていく。その身体は巨大化していき、感じる力もまた巨大なものへと変わっていく。
「残酷で、理不尽で、強くて、恐ろしい。そんなモノの力を全て手にした私は……どう? まださっきみたいなふざけたこと、言える?」
そう、それはまさに子どもの考えた怪談話のような何か。とにかく出会ったら死ぬような、そんな恐ろしげな雰囲気と力を持つ、黒い巨人。
「そうじゃなあ……お主が人を辞めたことだけは確かなようじゃが」
「フ……アハハハハハハ!」
イナリの居た場所を黒い巨人が蹴り砕いて。その場を一瞬早くイナリが紫苑を抱えて飛ぶ。蹴り砕いた場所に残る黒い煙は、その場に残る可視化するほどに濃い祟りの証だ。喰らえば並の覚醒者では即座に祟り殺されるだろう一撃に、距離をとった月子は軽く舌打ちする。
(言うだけはあるわね……! 一撃で仕留めないと酷いことになりそうね)
月子は自分の切り札を切ろうとして。しかし、その近くに紫苑を抱えたイナリが降り立つ。
「すまんが、ちょいとよろしくの」
「え!? ちょっと!」
「すぐどうにかするからの」
紫苑を渡された月子は少しよろけて、しかし何とかそのまま踏みとどまる。一体何のつもりかと言おうとした月子の前で、イナリは狐月を掲げるように構える。
「狐月、弓じゃ」
その手にあった刀形態の狐月は、その一言で弓へと変わって。イナリはそれを強く……強く引き絞る。しかし、その手に矢がないことを黒い巨人はあざ笑う。
「何よ!? もったいぶって! そんな矢もない弓で……どうするってのよおおお!」
イナリたちを踏み潰すべく、黒い巨人が地響きと共に走ってきて……イナリの手に、光の矢が生まれる。それはすでに、引き絞られた弓に番えられていて。
「これは、祟り神にも言うたことじゃが」
弓から光の矢が、放たれる。それは、極太の光線へと変わって。
「祟れば祓われる。お主もまた、その身を祟りへ堕としたのであれば……末路もまた同じじゃ」
その輝きが、黒い巨人の上半身を吹き飛ばす。残った下半身からも光が漏れ出し、その全てが砕けるように、溶けるように消えていく。そして、その場に全てを浄化する光の柱が屹立する。それが消えたあとには、黒い巨人も……町田の姿も残ってはいなくて。
―【語られる形無きもの】は貴方に怨嗟の声をあげています―
イナリの前に、神の如きものからのメッセージが表示される。それはどうやら月子には見えていないようで。狐月を刀形態にして構え直すと、イナリは刀身に指を這わせ滑らせる。
イナリの指の動きに合わせ青い輝きを纏っていく狐月は荘厳な輝きを放って。
「秘剣・鬼切」
ウインドウを、真っ二つに叩き切る。触れ得ぬはずのそれはしかし、イナリの一撃で切り裂かれ消えていく。
「どうしたのよ、急に何もない場所斬って」
「なあに、些事じゃよ」
―【語られる形無きもの】の干渉力を一時的に排除しました!―
―業績を達成しました! 【業績:干渉排除】―
―驚くべき業績が達成されました!―
―金の報酬箱を手に入れました!―
目の前にあってもなお感じ取れない。それが『神の如きもの』の干渉ということなのだろう。その厄介さをイナリは感じたが……まあ、元凶の裏に居た黒幕は排除した。「一時的」がどのくらいか分からないが、しばらくの間は再度の都市伝説騒ぎは起こらないだろう。あとやるべきことは……1つだけだ。
此方に向かってくるサリナや獅童に目を向けると、イナリは異界の空を見上げヒビが入ったのを見つける。その大きくなっていくヒビは、この異界を維持していた力の消失を意味している。となれば、イナリたちも自動で元の世界に帰れるだろう。あとは、とんでもない場所に放り出されないことを祈るのみ、なのだが。
「まあ、それもまた些事かの」
余程のことがなければどうにでもできる。そんな楽観的なことを考えたイナリたちが放り出されたのは、此処に来るときに侵入に使った横断歩道で。月子に抱えられたままの、安らいだ寝息をたてている紫苑を見て、イナリは優しく微笑む。それが、この都市伝説を巡る事件の……今度こそ本当の、結末であった。