お狐様、迎え撃つ準備をされる
ミーン。ミンミンミンミンミン……ミーン……。響いているのはセミの声。僅かに汗ばむような、そんな気温。夕方の、夕陽が一番大きく見える時間。山間の小さな村はとても平和で。そんな村の小さな祠に祈る、1人の女が居た。
「神よ。ああ、私の神よ。全ては順調です。もはや私たちの世界に忌まわしきものは辿り着けませぬ」
そう、この世界に生贄を引き込むための手段はランダムに設定されている。異界へ他者を引きずり込む都市伝説は山のようにあり、だからこそ随時切り替えていくことで決して入り口を悟られることはない。そして何より、厄介な機械も完全に粉砕させた。ならばもう、あの狐神イナリとかいう厄介な巫女も此処には来れないだろう。あとはただ、ゆっくりと力を蓄えていけばいい。
「祟り神の件は残念でしたが……あれは元々イレギュラー。全ては貴方様のためです。私の神よ」
―【語られる形無きもの】は貴方を油断しないよう戒めています―
「はい、仰る通りです。更に気を引き締めましょう」
言いながら女は、祠の側に倒れている少女に視線を向ける。ヒュウ、とかすれた息をしているその少女はまだ生きているが……時間の問題だろう。神の、【語られる形無きもの】の指示で殺してはいないが、手当てする気もない。そう、少女は明らかに致命傷であり、たとえ強靭な覚醒者であろうと動くことは出来ないだろう。
『潜水艦』鈴野 紫苑。日本で4位のトップランカーも、この場所ではただ物量に押されるだけであり……そんな中で女が『この場所に引きずり込まれた被害者』を装ってみせれば、隙を突くのも簡単だった。
(あの裏切られた顔……フフ、ゾクゾクする。ああ、神よ。私の神よ。あの快楽は何物にも代えがたいのです)
そう、この女こそは【語られる形無きもの】と呼ばれる存在の使徒。そして、その指示によって都市伝説型のモンスターを統率していた真犯人であった。
名前:町田 静香
レベル:28
ジョブ:都市伝説の語り部
能力値:攻撃A 魔力E 物防E 魔防E 敏捷E 幸運C
スキル:統率Lv50(都市伝説)、変形、ステータス偽装、加護(語られる形無きもの)
町田 静香。「こう」なる前は、極々一般的な覚醒者であった女だ。いや、一般よりは下……だろうか。特に秀でた能力があるわけではなく、ジョブもありふれた『戦士』であった。そんな町田が何かを為せるわけもなく、けれど一応覚醒者であったがために小さな覚醒企業で働くという、そんな夢も何もない生活を送っていたのだ。
そんな町田に神託を送ったものこそが【語られる形無きもの】。この鬱屈した世界で【語られる形無きもの】だけが町田に希望を与えてくれた。この異界を成長させ、【語られる形無きもの】の望むものにしたとき……そのときこそ、町田には更なる力が与えられ、文字通りに生まれ変わる。そうなれば町田はトップランカーにだって負けない力を手に入れられるはずだ。人生が、変わるはずなのだ。その為だけにどうしようもない人生を耐え抜き、長い……とても長い時間を捧げてきたのだ。
「10年以上よ……? それだけの時間を捧げてきたの。今更邪魔なんてさせない……!」
―【語られる形無きもの】が侵入者の存在を警告しています―
「え!? どうして!? 機械は確かに……!」
―【語られる形無きもの】はコガミイナリを警戒しています―
「コガミ、イナリ……」
その名は知っている。【語られる形無きもの】が警戒していた存在だ。此処を見つけられる手段は破壊したはずなのに、どうして。いや、それを考えている暇はない。町田の存在が知られてしまえば、全ての事態が明るみになるのは考えるまでもないからだ。とにかく、今すぐ対処しなければならない。とはいえ、祟り神を消し飛ばすような相手をどうにか出来るような手段は……1つしかない。
「……やるしかない、か。【変形】」
バキバキと町田の身体が骨格ごと変形していき、服も変形し……その姿はやがて、中学生くらいの少年の姿になる。性別すらも変わった町田は「あ、あー」と変声期前の少年の声を出す。大丈夫、問題ない。変形は正常に完了した。ステータス偽装で、たとえ鑑定スキル持ちが居ても町田の正体に気付かれることはない。
名前:町田 静雄
レベル:-
ジョブ:-
能力値:-
スキル:-
大丈夫、問題ない。どう見ても覚醒していない一般人の少年のステータスだ。誰が見ても無力な少年だと思うだろう。この場所にそういう少年がいれば、マトモな思考を持っていれば「巻き込まれた要救助者」にしか思えないはずだ。
そうしている間にもどうやら戦闘が始まったらしく、村の中で何者かが戦っているのが分かる。蹴散らされているのも、だ。
「ご覧になっていてください、私の神よ。私が見事倒して……貴方様への生贄にしてみせましょう」
そう宣言すると、町田は走り出す。こういうのはシチュエーションと演技力が重要だ。そして幸いにも、町田はそういうのを此処に引きずり込んだ被害者を騙すために実地で練習し続けていた。善人を騙すことくらいはお手の物……そして今となっては、町田の得意技であった。