お狐様、電気店に行く
秋葉原は、覚醒者の街である。
電気街として有名だった街はサブカルチャーの街へ、そこからモンスター災害を経て、今は覚醒者の街へと生まれ変わっていた。
そのきっかけは、サブカルチャーを楽しむ余裕がなくなりテナントが空っぽになっていく中で一軒の小さな覚醒者向け用品を作る工房が出来たことだった。
その工房で造られるオーダーメイド鎧の性能が口コミで知られるようになり、たくさんの覚醒者が秋葉原を訪れるようになると、様々な製作系の覚醒者が秋葉原に工房を開くようになる。
そうすると自然と大小様々な工房が秋葉原に移り始め、やがて空いていたテナントは埋まり破壊痕にも新しい工房が出来るようになる。
こうして生まれたのが今の秋葉原の街なのだ。イナリが基本的に使用人被服工房とフォックスフォンしか行かないとしても、秋葉原には色々な店があるのだ。
たとえば、秋葉原に店を持たない地方の工房や店を持たない職人などの作品を扱う「チャクラムの穴」や「メロンアックス」のような大型店舗があるのも秋葉原の魅力だ。
しかし、そんな大型店舗でなくとも秋葉原には小さな武具工房やアイテム屋などは多くある。たとえばフォックスフォンやライオン通信が扱う覚醒フォンのような、覚醒者専用に開発された様々な道具もたくさんあるのだ。
そして生活レベルの向上というものをやってみようと決めたイナリは、電気店にやってきていた。
5階建てのビルの中に所狭しと並ぶ家電類は、どれも覚醒者専用だ。
「ふうむ。こおひいめえかあ、とな」
「はい。此方の製品は物理系ディーラーの方がうっかり本気で握っても壊れないことを目標に作っておりまして、当社の破壊試験でも拳による打撃に7回耐えております」
「頑丈なことは分かるがのう……」
『もう壊さない! 頼れるタフさが貴方の朝を守る』とかいう煽りの書かれたポップ広告にチラリと視線を向けながら、イナリはなんとも微妙な顔をする。普段はお茶を飲んでいるのでコーヒーメーカーなどは使わないのだが、最近は友人も来ることだし導入してみようかと思ったのだ。
しかしどうにも頑丈さに重きを置いたものが多すぎる。覚醒者はそんなに物を壊すのだろうか?
少なくともエリもヒカルも紫苑も、何かを壊したところは見たことがない。イナリだって壊さないし、そうなると味重視で選んだ方が良いのだろうが……まあ、これに関しては今度エリにでも聞いた方が早いかもしれない。
「ありがとうのう。別の商品も見てくるのじゃ」
「ごゆっくりご検討ください」
生活家電は最低限のものが一通り揃っているし、何か生活を豊かにするような……そんなものがあれば良い。イナリが考えているのはそんなふわっとしたものだ。元々物欲が米とふりかけくらいにしか向いていないのだから仕方ないとも言えるが、炊飯器コーナーではそれなりの時間立ち止まる。
勿論今持っている炊飯器のほうが高いのだが、それはそれとして気になるのだ。気になるが……まあ、買わない。続いて向かったのは健康家電や美容家電のコーナーだ。
各種筋肉痛も美容もイナリにとっては関係のないものだが、ヒカルがよく「つかれたー」とぐってりしていることを思い出したのだ。ヒカルもイメージキャラやそれに付随するアイドルのようなキャラ、それに鍛錬に覚醒者としての本業など……本当にもう色々なことをやっている。
現代社会に生きる覚醒者としての疲労は、想像を絶するものがあるのだろう……比較的好きに生きているイナリには分からないものだ。しかし、そういうものを癒せるようなものがあるならば、とも思う。
「ふーむ……」
並んでいるものは肩やら顔やらのマッサージャーに美顔器、脱毛器にマッサージチェアなどなど……どれもイナリにはよく分からないものばかりだ。
「なんじゃあ? この棒は……すりこぎが何故こんなところに」
「それはマッサージ器です。スイッチを押すと振動するものでして……」
「では、この孫の手のようなものは」
「肩マッサージャーです」
「となるともしや、この箱のようなものは」
「美顔器です」
理解するのを1度諦めたイナリはマッサージチェアコーナーへと歩いていく。覚醒者の頑丈な身体を揉むマッサージチェアは相応に力強く、「物理系専用」といった言葉などが記載されているものもある。
「ううむ……」
「何かお探しのものがあれば、お手伝いできますが如何でしょうか?」
「そうじゃのう。現代社会の疲れに効くものを探しておるんじゃが」
「え、っと……そうですね。アロマディフューザーなどは如何でしょう?」
哲学じみたイナリの問いに僅かな時間で答えを返せる電気店の店員の機転はまさにプロと言えるだろう。アロマはまさに現代人の疲れに対する1つの回答だ。そうして店員の勧めに従いアロマディフューザーを見に行ったイナリは一通り回って……「今度エリに頼んで色々見てもらおう」と心に決めて電気店を出る。
「うーむ。難しいのう。生活れべるの向上とは、かくも困難なものか……」
そもそもイナリに欲しいものが無さすぎてその辺をどうにかするのが難しいのだが、こればかりはもうどうしようもない。この辺りはイナリの美点でもあるが「生活レベルの向上」という当初の目的を考えると、弱点であるのかもしれなかった。