お狐様、お家でご飯を食べる
そうして、夕ご飯を買いに来たという紫苑を連れてイナリは家へと戻る。高級住宅街に立つ低層マンションに紫苑は「おー」と声をあげる。
「此処、高いとこだ」
「そうらしいのう。紫苑は近くに住んでるのかえ?」
「うん。此処じゃないけど、結構近所」
「そうかそうか。ご近所さんじゃったとはのう」
紫苑を部屋に入れて、適当に座るように勧めてから台所に行くと、紫苑もそのまま台所についてくる。
「どうしたんじゃ? 待っててええんじゃよ?」
「これから作るんでしょ? 手伝う」
「うむ。ご飯は炊けとるから、あとはおにぎりにするだけじゃが……ふりかけご飯のほうがええかの?」
「ご飯、好きなの?」
「大好きじゃ」
「そっかあ……」
ピュアな笑顔のイナリを見て紫苑は頷きながらイナリと共におにぎりを握っていく。具はうめぼし、しゃけ、忘れてはいけない塩にぎり。ふりかけにぎりもイナリのお気に入りだ。そうしておにぎりとお味噌汁、漬物のシンプルな幸せな夕ご飯が出来上がると、一口食べて紫苑は「あ、美味しい」と声をあげる。
「じゃろー? 赤羽でぷろに選んでもらったんじゃ」
「高い味がする……」
「紫苑はすうぱあに夕飯を買いに来たと言うとったが、自炊はせんのかの?」
「しない。基本外食。忙しいから」
そう、紫苑は1人暮らしであり、忙しいのもあって家で自炊するということはない。自宅で食事をすることがあったとしてもパンをかじる程度であり、食生活でいえばイナリよりも偏っている。なので握りたてのおにぎりを食べるというのは、子どものころ以来の懐かしさを紫苑は感じるのだが……そんな紫苑にイナリは「若い身空で苦労しとるんじゃのう……」としみじみと頷く。
そんな何処となくおばあちゃんじみたことを言うイナリだが、紫苑からしてみれば怒涛の活躍をしているイナリこそ忙しく見える。
「イナリも、最近は忙しいって聞くけど」
「いやあ、儂はそうでもないぞ? 今日などはゆったり子どもたちと遊んでおったしのう」
「好かれてるんだね」
「ははは、それなら嬉しいがのう」
言いながら味噌汁を飲むと、イナリは「ところで」と声をあげる。
「忙しいというたが、やはり川や海での仕事かの?」
「そう、海の仕事。最近、変な怪談話が出て来てる」
「怪談……?」
紫苑の言葉にイナリはピクリと反応する。ついこの間、そういうのを退治したばかりだ。まさかアレで生き残っているはずもないが、同じ類のモノがいた可能性は充分にある。しかし「最近」というのがどうにも気になる話ではある。少なくとも今までは動いていなかった、あるいは存在しなかったということであり、どうして今動き出したのか? その理由が不明だからだ。
「海に引きずり込む手が出るっていう話。船は戻ってきてるし、ただの噂話なんだけど……それでも人は怖がるから」
「ふむ。実際その引きずり込む手とやらは出たのかえ?」
「出てこない。ただの噂」
「都市伝説、というわけじゃな」
「うん」
実際に出て来ないというのであれば、確かに噂に過ぎないのだろう。行方不明になった人もおらず、その怪談話も再現されない。噂にしか過ぎない。ただの噂。気にすることは、何もないはずだ。とはいえ……何か引っかかるものもある。そんなイナリを見て、紫苑もじっとイナリの顔を覗き込む。
「何か、気になるの?」
「うむ。前にちょっとしたことがあったのじゃが……もしかすると、それと地続きなのかもしれんと思っての」
「利島の話?」
「ぬっ、知っとるのかえ?」
「知ってる。海でよくお仕事するから、そういう話は優先的に入ってくる」
なるほど、確かに紫苑であれば口も堅いだろうし有能で希少な水中戦闘の覚醒者でもある。利島のような件に巻き込まれて失うのを覚醒者協会としても避けたいのだろう。実際覚醒者協会の思惑もそういうところにあり、日本という海に囲まれた国で紫苑を失うのは何としても避けたい事情があった。
「埼玉第4ダンジョンのモンスターがたくさんいたって聞いた」
「うむ。利島にいたものは倒したが……それが全てではないかもしれんしの」
あの祟り神の謎も、まだ残ったままだ。もしかすると、何処かに首魁がいるのではないか。そんな考えがイナリの中に浮かぶのは当然で、紫苑の話を聞いているうちに確信に近いものにもなってきていた。
(祟り神を作ろうとした者がいた……そうだとして、何のためにそんなことをする? あんなものを作ることに、何の利がある?)
ないはずだ。祟り神は基本的には悪しきものなのだ。それも人を殺し祟りを集めて練り上げたものであれば尚更だ。それを祀り上げ守り神にしようなどという目的ではないだろう。そんなやり方で良きものが生まれるはずもない。
「大丈夫」
「む?」
「ボク、強いから。何かあってもぶっ飛ばせる」
実際、紫苑は戦闘力だけでいえばかなりのものだろう。それは一緒に戦ったイナリも知っている。出会った覚醒者の中では、流石に日本4位とすら言えるほどだ。だから、イナリは微笑んで。おにぎりの皿をスッと紫苑に差し出す。
「うむうむ、そうじゃのう。ほれ、もっと食べるとええ。若者はたくさん食べんとの」
「ん、ありがと」
その日握ったおにぎりは、紫苑とイナリの胃の中へと全て消えて。お腹いっぱいでソファですやすや眠ってしまった紫苑に、イナリは優しく布団をかけるのだった。