お狐様、スーパーに行く
「じゃあねー!」
「ばいばーい!」
そして今日も夕方まで遊びに付き合わされたイナリは親に連れられた子どもたちに手を振りながら自分も公園を出る。警備の覚醒者が立っている公園は現代で一番安心な場所であり、イナリを見た覚醒者が軽く微笑んでくる。
「おつかれさまです。お気をつけて」
「そちらもおつかれさまじゃ」
そんな挨拶をしながら、イナリは今日買うべきだったものを思い出す。確か……そう。今日は新しい挑戦をしようと思っていて、そのための買い出しにきたのだ。もう夕方の5時を過ぎてはいるが、サトウマートは夜10時までやっているので安心だ。
そう、今の家から近くに存在するサトウマートは食品に日用雑貨、衣類からちょっとした電化製品や工具まで手に入るスーパーマーケットだ。
―いつでもどこでも何度でも♪ 欲しいと思ったらサトウマート♪ 貴方の町のサトウマート、「これ欲しかった」を聞きたくて♪―
すっかり聞きなれたテーマソングも、何度も通っていると「その通りだよなあ」と思うようになるという。地元密着、怒涛の都内152店舗達成。都内だけではなく全国へ広がっていくサトウマート、福利厚生充実、シフト制ではあるけれど完全週休二日制。無駄な社員旅行はないけど社員とその家族に特別休暇や旅行カタログプレゼント……等々。せちがらい現代において社員の心をわしづかみ。キラキラと輝く店員の笑顔に元気を貰える、そんなスーパーである。イナリはそういう風に赤井から聞かされた。さておいて、イナリが向かうのは生鮮食品コーナーである。
「お、やはりあったのう。どれどれ……」
イナリが今回探しに来たのはなんと、ぬか漬けセットである。ぬか漬けセットとは文字通りに糠漬けを作るためのセットであり、商品によるが容器とぬか床、味付けのための調味料……これはぬか床に混ぜ込まれている場合もあるが、とにかくそんな感じで、買うだけでぬか漬けに必要なものが揃う、ぬか漬け初心者にも中~上級者にもおすすめのセットである。
商品によっては更に簡単にするための機能や道具がついたものもあるが……イナリが手に取ったのは、比較的シンプルなセットである。
「ふふ、思い出すのう。確かあの村でもぬか漬けを作っておった……」
食べたことは当然のようになかったが、手作りのぬか漬けというのはイナリにとって何とも高級感があり文化的な響きだ。安野やヒカルが聞いたら微妙な顔をしそうだ。しかしこの辺りは個人の感覚なのでイナリがそうだと思えばそうなのである。
そう、イナリは実は「文化的な生活」というものを実践するべく今日此処に来ていたのだ。漬物屋などで取り扱うプロの味、あるいはご家庭の味、ぬか漬け。秘伝とも言えるその味を、現代では誰でも簡単に作れるという。それはまさに文化の味であり、育まれた歴史の味でもある。
最近家に客がそれなりの頻度で来るようになったイナリとしては、そういうものを出すのも粋なのではないかと思い始めたのである。
とにかく、イナリはぬか漬けセットをカートに入れて、次はきゅうりなどの漬けるものを入れていく。なんとも楽しい時間だ……新しいものに挑むというのは、イナリにとってもワクワクするものなのだ。
「米はあるし、梅干しもまだある……ふりかけも充分あるが……」
言いながらもイナリはカートを押してふりかけコーナーへと向かっていく。さながら子どもがお菓子売り場に向かうときのようなウキウキ顔である。無人島に何を持っていくかと聞かれたら「米とふりかけ」と言いかねないし、1つだけと言われたら苦渋の表情で米と答えそうである。
とにかく、イナリが向かったのはふりかけ売り場だ。
(しかし気のせいか、ふりかけ売り場が広がった気がするのう……)
たぶん気のせいではない。売れるのならば売り場を拡張するのはお店としては当然の判断であり、最近は「イナリちゃんふりかけ」のギガヒットの波に乗れとばかりに覚醒者コラボのふりかけが幾つか出てきたりしている。
「お? これは……」
『プロフェッサー』のDHAふりかけ。魚などからとれる栄養素DHAをたっぷり配合したというふりかけは残り1個で、イナリは迷わず掴んでみる。『プロフェッサー』……月子とはこの前会ったばかりだが、そのデフォルメイラストが描かれているパッケージは、なんとも可愛らしい。
(こういうのは苦手そうな雰囲気もあったが、そうでもないのかのう)
同じトップランカーの紫苑もこういうのは苦手そうだったが、やはり売り場には紫苑のコラボしたものはない。ちなみにイナリちゃんふりかけは未だに品薄状態が続いているらしく、このお店でも残り1個で。
「あった」
「む?」
「あれ?」
走らない程度の急ぎ足でやってきてイナリちゃんふりかけを掴んだその少女と、イナリはばっちりと視線が合う。誰、と聞くまでもない。この前会ったし一緒にダンジョンをクリアしたばかりだからだ。
「……生イナリだ。この前ぶり」
「生……生ではない儂とは……」
「ん」
「そうじゃのう。その儂は生じゃないのう……そもそも儂ではないが……」
イナリちゃんふりかけを示してみせる紫苑にイナリは遠い目で頷くが……廃村から来たばかりの頃、コラボ唐揚げを末路と勘違いした身としては、それ以上のツッコミはどうにもしにくいのだった。