お狐様、利島へ向かう3
きさらぎ駅。それは、かつての時代の都市伝説としては新しい部類に入り、そして一番「よくわからない」ものだった。
内容としては謎の駅「きさらぎ駅」に辿り着いてしまった人間の話だが……助かるのか助からないのか、そしてそもそも「きさらぎ駅」とは何だったのか。それすらも諸説ある都市伝説だ。唯一共通しているのは「きさらぎ駅」とは通常の場所ではない異界であるということのみ。
明確な姿すら規定されない「きさらぎ駅」は……確かに、案内板通りの場所に存在していた。
「なるほどのう……これが『きさらぎ駅』というわけじゃな」
イナリの目の前にあるきさらぎ駅は、かつての時代においてもローカル線のローカル駅と言われてしまうような、そんな姿をしていた。
大きな、そして経年劣化で薄汚れた「きさらぎ駅」の看板と、木製の駅舎と大きく開かれた入り口。無人の改札と電気のついていない、何かしらの札のかかった古い券売機。駅舎の奥にはホームへの階段も見える。
「……これはこれは」
券売機に近づいてみると、そこにかかっている札には消えかかった文字で「どこにもいけません」と書いてある。
とにかく、駅事務室とやらに「矢田部」を名乗った何者かはいるらしい。確かに此処に来る途中に見た第一陣のリストには隊長として載っていたが、本物とは限らない。だからこそイナリは駅舎の中に入り、周囲を見回す。
古い木造駅舎の中にあるのは錆びかけたベンチ。「時刻表」の文字以外は何も書かれていない時刻表。そして……「駅事務室」の札のかかった扉。何やらカウンターらしき窓もあるが、ぴっちりと締められカーテンまでかかっている。そのカーテンの奥は……うっすらと電気がついているような明るさはある。何はともあれ、どうやら此処が目的のようだ。だから、イナリは何の迷いもなくドアを開ける。
古臭い金属製の丸ノブを回しドアを開ければ、その先にあるのは電球に照らされた駅事務室の中だ。幾つかの机と、洗面台。奥にあるのはトイレだろうか……?
窓のカーテンは全部閉まっていて、電球の光は微妙に弱い。そして……部屋の隅に、鎧を着込んだ1人の男の姿があった。
角刈りのその男は壁に向かって立っていて、こちらに気付いていないかのように背を向けている。
一言も声を発さずに立っていたその男は、イナリに気付いたかのように「誰だ?」と声をかけてくる。
「今回の件に駆り出された者じゃよ。お主が『ヤタベ』でええんかの?」
「ああ。俺が……矢田部信一郎だ……」
「ふむ」
イナリは刀形態の狐月を構え、軽く振る。
「で? お主は此処を出るつもりはあるのかの?」
「出られない……」
「ほう、何故かの?」
「此処で皆死ぬからだよおおおお!」
「さよか」
振り返りすさまじい跳躍力で飛び掛かるようにして襲ってきた眼窩が真っ黒な「矢田部」をイナリは狐月のみねうちでぶん殴る。バウンドするようにして飛んでいった「矢田部」はそのまま天井に張り付き「キヒャハハハハハハ!」と不快な笑い声をあげる。
「万が一もあるかと一応手加減してはみたが……不要じゃったの。ただの妖じゃ」
「出られないでられない、みーんな出られない! お前もだああああああ!」
襲ってくる矢田部をイナリは真っ二つに切り裂き、「矢田部」はその姿を黒いチリに変えて魔石をドロップする。それを拾い上げるとイナリは「ふむ」と頷く。
「本物そっくりに化けるもんすたあ。そんなところじゃな」
とはいえ、本物も此処に居たかもしれない。念のため、イナリは駅事務室の中を探していく。机の上に置かれた書類はインクがかすれたかにじんだかして読めないものばかりだったが、その中に明らかに異質な、そして新しいものが幾つかあるのが分かる。
作戦計画書と書かれたファイルと、案内板を書き写したと思われる簡易的な地図。幾つかの書き込みもあるのが分かる。
学校に「危険」と書かれバツ印が入っており、何かあったらしいことが読み取れるが……それにしても、此処を作戦指揮所にでもしていたのだろうか? だとすると、此処に居た人間は何処に行ったのか。少なくとも、此処には死体すら残ってはいない。
「とはいえ、生存の可能性はあるということか。探さねばのう」
この空間が如何なる術によって維持されているかはまだ分からないが、無遠慮に丸ごと吹き飛ばせば、生存者が2階や3階などに隠れていたときに足場が突然消えて落下する……といったような事態になりかねない。それで怪我したり死んでしまいましたというのでは、イナリが此処に来た意味がない。
「うーむ……学校には居ない……として。何処へ行ったのか」
地図を見ながらイナリが考えていると、駅事務室の外で何やら変声機にでもかけたような……あの埼玉第4ダンジョンで聞いたような、男かも女かも分からない声が聞こえ始める。
『まもなく、ホームに電車が参ります。ですが、皆さんは乗れません。次は八つ裂き。八つ裂きです。楽しく悲鳴をあげられますよう、ご注意ください』