お狐様、利島へ向かう2
そして海上に降りたイナリは、そのまま海の上をスタスタと歩きながら利島を見ていた。その瞳には、なんとも真剣な色が宿っている……ダンジョンを見たときにもなかった色が、そこにはある。そしてその理由は、なんとも単純だった。
「なんと濃厚な呪詛じゃ……漏れ出たものだけでこれとは。いや、漏れ出ているということ自体が危うい。一体何があればこのようなことになるんじゃ?」
確かにイナリは埼玉第4ダンジョンの都市伝説が外で活動している可能性を危惧していた。しかし、そうだとして此処までの事態を想定してなどはいない。ハッキリ言ってこれは、イナリの想定を超える事態だ。
(さながら自ら手招きし引き入れる黄泉比良坂……いや、比べてはならんな。あそこにあるは悪鬼の生み出した外道の地じゃ)
幾つかのダンジョンをイナリは見てきた。見てきたが、埼玉第4ダンジョンは……「都市伝説」は、外に出してはならない類の悪鬼の群れだった。人を殺すことに、恐怖に陥れることに特化した怪物の群れ。そんなものが自分の縄張りを作り、人を引き込んでいる。
許せることではない。許していいことではない。まだ伊東で出会った石像たちには人間社会に溶け込もうとする柔軟性があった。許せるか許せないかはさておき、人間というものに価値を認めていた……ように少なくともイナリには見えた。
しかし、都市伝説は違う。あれは人を殺すものだ。人を喰うものだ。人に害為す祟りそのものだ。そしてその手は非常に長い。だからこそ今、やらねばならないのだ。
「さあ、行こうか。儂が残らず祓ってくれる」
狐月を構え、イナリは進む。海岸からそれなりに近い場所に辿り着いたとき、急に風の香りが変わる。普通の潮の香りから、何か生臭い香りの混ざったものへと。僅かに薄暗くなった空は夕焼けで、やけに大きな夕陽が浮かんでいる。僅かにノスタルジックな気持ちを呼び起こすような、そんな夕陽だ。
そうしてイナリが浅瀬に辿り着き海岸に降り立つと、イナリの覚醒フォンが着信の音を奏で始める。画面に表示された名前は……宅井。
「……もしもし?」
『あ、狐神ちゃんか!? 緊急事態だ、今から島の反対側に行く! 駅で合流しよう!』
「失せよ怪異。斯様な手で儂を騙せると思うなよ」
宅井にしか聞こえない電話先の相手にそう伝えると、無言。しかし直後に抑えきれないような、そして不快な笑い声が聞こえてくる。
『なンで分かったノぉ?』
そう言い残して切れた覚醒フォンを見て、イナリは「ふむ」と声をあげる。確か覚醒フォンはダンジョンの中でもトランシーバー的な使い方を出来るという売込みであったはずだが……こうしてモンスターが偽の連絡をしてくるとなれば、信用度はゼロに近くなる。
「ふーむ……厄介じゃのう。とはいえ……」
イナリの視線の先にあるのは、砂浜に着陸しているヘリコプターだ。イナリたちが乗ってきたのと同型に見えるが、偵察隊だという第一陣が乗ってきたものだろうか?
試しに近づいてみるが、中には人の気配はない。パイロットも何処かに行ってしまったということだろうか? まあ、こんな状況で一人残しても仕方ないというのは理解できる話ではある。
「生き残りを探さねばならん。『本物の連絡がくる』可能性もある以上は電源を切っておくわけにもいかんが」
トランシーバー的な使い方をする場合は指定通信と広域通信のような使い方が出来るらしい。指定通信は電話と変わらず、広域通信の場合は……。
「……言った側から。むう」
広域通信、と表示された画面を見ながらイナリが通話ボタンを押すと、知らない声が聞こえてくる。
『こちら矢田部! 偵察隊の生き残りは駅事務室に集合せよ! 繰り返す、偵察隊の生き残りは駅事務室に集合せよ!』
「……」
黙って通話を切ると、イナリは大きく溜息をつく。今のは先程の偽宅井と違って区別がつかない。先程のは「今から利島の反対側に向かおうという宅井が島内の状況を把握できているはずがない」から対応出来たが、今のは分からない。本物かもしれないし偽物かもしれない。覚醒フォンを通していては、そこが判別しようがない。
(偽物だと仮定して……どうにも駅とやらに行かせたいようじゃな。そうすれば儂の実力が分からずとも殺せる。そういうモノがあるということかの?)
逆に本物だったと仮定しよう。その場合、覚醒フォンを乗っ取れる相手だ……本物が何らかの危機にさらされる可能性が非常に高い。考えて、イナリは「仕方ない」と息を吐く。
「駅とやらを探すしかないのう。といっても儂は本物を知らんのじゃが」
テレビで見たような記憶はあるが、大分遠い昔の話だ。とはいえ、此処も埼玉第4ダンジョンと同じような環境なのであれば案内板もあるはずだ。イナリは砂浜から出ると町中へ歩き出し……比較的すぐに案内板を見つける。
「きさらぎ町……同じ名前じゃのう。構造は違うようじゃが」
駅の場所は……比較的分かりやすい。幸いにも、此処からはそんなに遠くは無いようであった。