お狐様、利島へ向かう
善は急げ。幸いにもイナリは準備が必要なタイプではなく、第二陣……本来は突入部隊となるはずだった覚醒者たちに渡されるはずだった各種の物資はイナリの神隠しの穴に丸ごと収まることになった。
ならば後は行くだけ……ということで、待機していたヘリコプターのパイロットと護衛の覚醒者が屋上で出発の時を待っていた。
「君か。活躍は聞いているよ」
「おお、確か……えーと……まる……」
「丸山。こっちが宅井だ」
「またよろしくな」
そう、丸山正と宅井雄一。以前廃村に来た覚醒者の2人組だ。どうやら今回もこの2人とヘリコプターで空の旅、ということのようだ。まあ、イナリとしては「懐かしいのう」というくらいなので、別に何も問題はない。そうして3人が乗り込むとヘリが浮き上がり、利島へと向かっていく。
「俺たちとヘリは君を利島に送ったら、伊豆大島まで戻り待機する。覚醒フォンは持っているかい?」
「うむ」
「番号を交換しておこう。俺か宅井にかけて貰えれば、即時対処する。ただ救出に関してはあまり期待はしないでくれ。勿論、最善は尽くすが」
「遺書書いてきてるからな、毎度のことだけど」
「宅井。余計なことは言うな。すまない、気にせず何かあれば呼ぶようにしてくれ」
「うむ、気にしとらんよ。では早速番号を交換しておこうかのう」
本当に全く気にしていないかのように言うイナリに丸山は苦笑しながらも番号を交換する。続いて宅井も番号を交換するが、2人ともイナリに感心していた。
(強い子だ。どれだけの修羅場を短期間で潜り抜けたんだろうな)
(やっぱり短期間でランカーになる子は違うな。しかしまあ、普段男ばっかりの所にいるとデリカシー減るなあ)
「あー、ごめんな。俺がデリカシー足りなかった」
「む? なんじゃ突然。気にしとらんと言ったじゃろ」
「いや、けじめとしてな?」
「その心意気は買うがのう」
意外に気にしいじゃのう、と言うイナリに宅井がウッと呻くが、それに丸山はハハッと笑う。
「ダメだ。あらゆる意味で勝てん。丸山、俺この子を本部に連れてったのが人生で一番人の役に立ったことかもしれん」
「もっと人生を豊かに生きんとダメじゃよ? 何やら心配な子じゃのう」
「たすけて丸山ー。正論過ぎて何も言えないー」
「アハハハハハ! いいんじゃないか宅井。俺はなんか祖母ちゃんを思い出したよ!」
本気でイナリが宅井のことを思って言っていると分かるだけに、宅井は反論なんか出来ないし丸山も止める気は一切なかった。「そういうもの」は年を経るほどに減っていくものだし、無償の愛とでも呼ぶべきソレは夫婦間ですら得られるか分からないものだ。
だからこそ今のこの空間は、得難きほどに尊いもので。自然とヘリコプターの中は暖かい空気で満たされていく。けれど、楽しい時間とは過ぎるのも早いものだ。
「……もうすぐ着くな」
「ふむ……むう?」
丸山の声を受けてイナリは外に視線を向けるが、そこでピクリと反応する。何やら邪悪な気配がする……それを感じたのだ。隠ぺいされながらも漏れだす、祟りじみたもの。それは間違いなく空まで伸びている。
「近づいてはならぬ! へりを戻すのじゃ!」
「え!? は、はい!」
ヘリコプターのパイロットはその指示を受けて旋回するが、まさかこのまま東京まで戻るわけにもいかない。そしてイナリもそのつもりで言ったわけではない。
「儂は此処で降りる。伊豆大島じゃったかの? そこで待機しているのじゃ」
「え!? 下は海だぞ! 浅瀬なんかじゃ」
「儂なら平気じゃ……で、開けていいかの?」
宅井にそう答えると、イナリはヘリのドアを開けていいか聞く。空を飛んでいるものの扉を勝手に開けるわけにはいかないからだが、丸山はそれに頷く。
「……近づくのも危険なんだな?」
「うむ。あんなものは久々に見たのう。大仕事になりそうじゃ」
「分かった。パラシュートがあるからこれを」
「ああ、要らぬ。どれ」
イナリはヘリのドアを開けると、風を受けながらそのまま歩いて空中へと出る。
「えっ」
「へ?」
「では、行ってくるのじゃ。どあは閉めとくからの」
そこに足場でもあるようにドアを閉めたイナリは、そのままふわりと海の上へ舞い降り、スタスタと水面を歩いていく。それをヘリから見ていた丸山と宅井は信じられないものを見たような表情になり……やがて顔を見合わせる。
「……俺は今見たものを人に言って信じて貰える自信がない」
「俺もだよ。え? 『狐巫女』って新世代ジョブか何かだったのか?」
「まあ、いい。1つ確実なことが分かったからな」
「何が分かったってんだよ」
そう聞いてくる宅井に、丸山は冷や汗を流しながらヘリの座席に深く腰掛ける。
「あの子にどうにも出来ないようなら、たぶんもうどうにもならない。そういうことだよ」
「確かに、な」
それに関しては宅井も異存はない。イナリがどの程度強いかは宅井にはまだ分からないが……恐らく、相当凄い。まるでお伽噺の魔法使いのような、あんなスキルを使うのだ。きっとこの事件もどうにかしてくれる。根拠はないが、そう思えたのだ。