お狐さま、家でゆったりする2
ちなみにイナリは、ヒカルが何か悩んでいることに気付いていた。それまで都市伝説がどうのこうのという話に軽いノリで返していたのに、突然その話を切り上げようとしたのだ。これで何もないというほうが無理がある。
(むう……ヒカルの中で心変わりするような何かがあったのは確実じゃ。確か一瞬視線が何もない場所を……ふむ?)
それに関しては、イナリも覚えがある。システムメッセージ。あれはどうにも他人には見えないモノであるようだが……あともう1つ。神の如き存在からのメッセージ。イナリが見たのは【果て無き苦痛と愉悦の担い手】からのものだが……あれはシステムのものと一見同じであるように見えて、明らかに違うものであるようにイナリは感じていた。
具体的にどちらがヒカルに干渉したのかまでは分からない。あの「システム」についても、時折何らかの意思らしきものを感じるからだ。しかし少なくともヒカルは「何か」にこの話を終わらせるようなメッセージを受け取ったのだろうとイナリには推測できていた。
ここで大事なことは、どうにもヒカルはそれをイナリに話すつもりは今のところない……ということだ。
(敏い子じゃ。急に話を打ち切ることで儂に何かを勘付かれることは予測できとったはず。その上で深い話をせんかったのは、まあ……儂の不徳かの。そこまでの信頼関係を築けておらんということじゃの)
そこに関しては、ヒカルにどうこう言うべき話でもない。そもそも、全てを相手に話すのが健全な関係というわけでもない。隠し事、あえて話さないこと、話すまでもないこと。それを1から10まで全て相手に聞かせるのは正しいだろうか? イナリはそれに「否」と答える。そうせずとも友人になれるし、家族にだってなれるものだ。少なくともイナリはあの廃村が村だった頃に、そういう関係で幸せに生きていく人たちを見てきていた。
だから、隠し事はあってもいい。それが、相手を不幸にするためのものでなければ。そしてヒカルの隠し事はどうにも、そういうものではない。ならばイナリはそれを無理に暴こうとは微塵も思わない。
そんなことを思いながら、イナリはおにぎりをもぐっと食べる。梅にぎりだ……梅干しのしょっぱさとすっぱさがご飯に伝わり、その果肉が口の中でご飯とミックスされて丁度良い塩梅になっていく……梅にぎりはおにぎりの中でも基本の味といえるが、長い間でその基本に位置するのがなんとも納得できる味だ。
ブラザーマートでも様々な変わり種おにぎりはあるが、結局人は梅に戻ってくるのだろう。だから商品棚に並んでいる。それだけの実力が梅にぎりにはある……相撲に例えれば横綱だ。素晴らしい。その一言に尽きる。
「うむ……やはり梅じゃのう」
「アタシ、てっきり塩にぎりが最強って言うかと思ってたけど」
「うむ。確かに塩にぎりは素晴らしい。米と塩。このしんぷるな組み合わせが米の旨味を引き上げる……儂としてはその実力を認めたいが、生活水準を引き上げると決めたからにはそれではいかんと思うてな。こうして具を入れておる」
「おお、そうか。たぶん覚醒者協会の期待してる生活水準はそういうのじゃねえと思うけど……」
もっとフレンチとかイタリアン、中華とか……まあ、和食でも懐石料理とか寿司とか、そういうのを食べるような生活を期待していたようにヒカルは思うのだが、まあ確かにご飯とふりかけオンリーの生活よりは生活水準が上がっている。漬物もあるし。
「ま、それじゃあふりかけご飯の生活からは卒業ってことか」
「ふりかけご飯は究極じゃから」
「あ、おう」
それはそれらしい。本気の目だと思ったヒカルはそれ以上突っ込むのをやめるが、まあふりかけは美味しいので仕方がない。
(いやほんと、不思議だよなあ。色々昔の覚醒者の話も調べてみたけど、耳だの尻尾だの生えてんのは居ねえしよ。けどまあ、覚醒者はどんなのがいてもおかしくはねえからな)
たとえばトップランカーの1人、『潜水艦』鈴野 紫苑のような水中戦に特化した覚醒者がどういう風に水中で呼吸出来ているのかも未だに解明されていない。身体的には新しい器官が出来ているわけでもないのに呼吸が出来ている……その不思議に比べたら、狐耳や尻尾などが生えたところで「まあ、そういうこともあるか……」ではあるのだ。一部ではイナリを新世代覚醒者と考えていたりもするらしいが、まあその辺の話はヒカルにとってはどうでもいい。ヒカルにとってイナリはイナリだ。それ以上の話は蛇足としか思えないのだ。
「ん、これシャケ……シャケフレークか?」
「便利な時代になったものよのう。少々お高いものではあったが、シャケを自分で焼いてほぐす手間を消してしまったのじゃから」
「あー、まあ魚はなあ。知ってるか? かつての時代には魚って普段の食卓で簡単に出てくるような代物だったんだってよ」
「今はなあ。海の問題があるからのう……」
漁に出るのも命懸けで、覚醒者という護衛役をつけているのだ。多少お高くなるのは仕方のないことではあるだろう。
(つーか鮭を丸々一匹買い上げてもはした金ってくらい稼いでるだろってのは……まあ、言うのも野暮ってもんか)
そもそも丸々一匹買う必要性がゼロだし、そんなものを買うくらいなら米一俵買うだろうと。そう考える程度には、ヒカルはイナリのことを理解できていたのである。