とある男の話
その男は、バスの中で目を覚ました。
「やべ……寝ちまってたか」
夜勤明け、疲れていた自覚はあったが……いったい何処まで来てしまったのか? バスは停まっている……というよりは、完全にエンジンを止めている。車内には他の客どころか運転手の姿すら見えず、まさか噂の「車内にいることに気付かれなかった」というパターンかと男は思う。
しかし、それにしてはどうにも何処かのバス停に停まりっぱなしのようであるようにも見える。休憩時間、だったりするのだろうか?
(まあ、これはこれで面白いか。呟いたらバズったりするかな)
どうやらバスの扉は開けっ放しになっている。ひとまず降りてみようと考え、男はバスを降りてバス停の看板を見る。此処が何処で、バスが出るのが何時で何処へ行くのか。それが分かればどうにでもなるからだ。
「えーと……きさらぎ? 何処だ。分かんないな……ていうか時刻表、にじんで読めないし」
仕方ないな、と言いながら男はスマホを取り出す。GPSとマップ機能さえ使えば、自分が今何処に居てどのように帰ればいいかなど一発検索できる。どうにも田舎っぽいから少しばかり面倒だが……まあ、これも後々飲み会なり合コンなりのネタになるだろう。そう思いながらスマホを取り出した男は……しかし。
「……え? 電波がないぞ此処。嘘だろ、GPSも反応しない? 有り得ないだろそんな……!」
インターネットに接続する必要のある地図機能はともかく、オフラインでも動く地図アプリなどであれば究極的な話、繋がらない場所などほとんどない。特にこんな空のよく見える屋外であれば尚更だ。
「あれ、アンテナ戻った。焦らせやがって」
いつも通りの3本線……電波状態良好であることを確認した男は、現在地を確認し始めて。
現在地を確認できません、という表示に「はあ!?」と声をあげてしまう。まさかそんなものがあるとは思わなかったのだ。
しかし、その程度で諦めなどはしない。バス停の名前は分かっているのだ。それで検索すれば結果が出てくるし、いざとなれば警察に電話すればいい。そうして出てきたリンクをクリックする。
【あなたは かえれません】
ゾッとして男はスマホを落としそうになり、慌てて掴む。気味の悪いページは即座に消した。けれど、訳が分からない。気持ちが悪い。何が何だか分からないが、確実に「何か」に巻き込まれた。となると……警察はダメだ。覚醒者協会。そう気付き、男は電話帳に入れていた覚醒者協会の緊急連絡ダイヤルに電話を始める。
『はい、こちら覚醒者協会緊急通報ダイヤルです。モンスターですか? ダンジョンですか?』
「あ、あの! よく分かんない状況になってて!」
『大丈夫です。落ち着いてください。今、どのような状況ですか?』
電話の向こうの落ち着いた声に、男も希望を感じて心が落ち着いてくる。大丈夫、大丈夫だ。この状況でも、どうにかなる。
「バスに乗ってたら、きさらぎとかいうバス停で停まって。周囲に誰もいないしネットもGPSもおかしいし……! 助けてください!」
『状況は把握出来ました。その道を進めば町に出ます。それで全部大丈夫です。安心してくださいね』
「え、そう……なんですか?」
『はい。大丈夫です』
「そ、そうなんですね。よかった」
確かに町まで行けるなら警察も覚醒者協会の支部もある。それで全部大丈夫だろう。電話を切ると、男は歩き出す。その歩いた先には……確かに町の建物が見えていた。何処からかカレーの匂いもするような……とても、とても安心できる匂いだ。
並んでいる建物は絶妙に古いデザインのものが多いが、この辺りは結構な田舎なのだろうか?
「とりあえず警察探さないとな……その辺で聞けりゃいいんだけど」
歩いていれば、古びた町内案内図の看板があるのを男は見つける。今時こういうのは珍しいが、あるなら非常に助かるというものだ。
「えーと、学校に病院……交番……ってこれか。駅って書いてあるのは何かの冗談か?」
今時電車なんて残ってはいない。モンスターに破壊され尽くした後、その新しい災害に対する脆弱性がどうしようもないくらいに明らかになったからだ。日本中の駅は記念館になっているか、壊してバスターミナルになっている。あるいは此処も、そういう類なのだろうか?
「よし、なんとなく分かったぞ。行くか」
そう言って男は念のため地図を写真に撮ると歩き出す。夕暮れ時のこの時間は、歩いていると何となく楽しくなってくるものだ。もう安心。そんな気持ちも心を軽くするのに役立っているのだろう。何の心配もないままに、男は交番へと歩いていく。色々あったが、もう大丈夫。不思議なことに、心の底からそう信じていたのだ。
そうして……しばらくたった後。町の要所に設置されたスピーカーから、放送が流れ始める。
『今日のお知らせです。死亡者1名。鈴木、良太、さん。八つ裂きにされて、死んじゃいました。可哀想、とっても可哀想ですね。皆で、歌ってお見送りしましょう』
まるで変声機にでもかけたようなその声は、町の中に響いて。けれど……それに反応するような何かは、此処には……どうやら、ないようだった。そして、この男の行方不明が世間に知られるには……まだ、しばらくの時を要することになる。