お狐様、埼玉第4ダンジョンに挑む
埼玉第4ダンジョン。それは「都市型」に分類されるダンジョンである。「都市型」とは何らかの文明を感じさせる構造のダンジョンであり、それは地球外の……あるいはもっと別の何かを想起させるものであることが多い。今のところ実際にそうした「文明」が何であるかは解明されていないが……かつての時代からのブレイクスルーは都市型ダンジョンの内部研究の成果によるものだとされている。
つまり、大抵の都市型ダンジョンは地球文明の更なる進歩のための重要な場所であるはず、なのだが。そうではない都市ダンジョンも実は結構多かったりする。その1つがこの埼玉第4ダンジョンであり、明らかに地球文明……それも「昭和の日本」に相当近いものであった。
「うーむ……懐かしい雰囲気じゃのう」
「そうなの?」
「うむ。しかし黄昏時……いや、逢魔が時、か?」
イナリの見上げた空は赤く染まっており、大きな夕陽が町を照らしている。路地裏には子どもが描いたような「けんけんぱ」の輪っかも描かれていて紫苑が「丸がいっぱい描いてある……」と呟いている。
「けんけんぱじゃな。『ろう石』とかいう白い石で子どもが描いて遊ぶんじゃよ」
「ふうん。これってそういうのなんだ」
「うむ」
しかし、こんな場所に子どもがいるはずもない。つまりこれはダンジョンの用意したものであるわけだが、イナリたちの立っている路地の周囲には古びたデザインの家々も建っている。それらの家には明かりも灯っていて、何処からか良い香りも漂ってくる。
「かれえの香りじゃな。まさかもんすたあが作っとるわけでもあるまいが」
「都市型で住民が発見された例はない。たぶん何かの罠」
「罠、のう」
一体どんな罠なのかは分からないが、迂闊にも踏み込んだ者を殺すような何かではあるのだろう。しかし、この気の抜けそうなほどに平和な雰囲気は、そうと知っていなければダンジョンとは信じられなくなるようですらある。まあ、此処に来る者は分かっていて入ってきているのだからそんな勘違いはしないが……初めて入った者はさぞ混乱しただろうとイナリは思う。
「ま、とにかく進むとするかの。何処かにぼすがおるんじゃろうし」
「そうだね」
歩いて角を曲がると、何やら家と家の隙間の路地に何かがいるのが分かる。それは……どうにも犬の下半身に見える、のだが。「ソレ」についてはイナリはエリから聞いている。
「人面犬、か。聞いとるぞ」
刀形態の狐月を構えイナリが近づいていくと……犬は路地から後退るようにして顔を出す。その顔は……間違いなく人生に疲れた中年以降の男のようなソレで。犬の身体についたその人間の顔は、チッとあからさまに舌打ちをする。
「見てんじゃねーよ!」
飛び掛かってくる人面犬にイナリの狐火が迎え撃つように命中し「ぐえー!」と悲鳴を上げて人面犬は爆散し小さな魔石をその場に残す。
「うーむ。明らかに日本語じゃったが……会話できる、と考えるのは早計なのじゃろうなあ」
「感想、それなんだ……」
「む? 他に何かあるかの?」
「あると思う……アンバランスでキモいとか、そういうの」
「そう言われてものう。前に府中で会うた魚男のほうが儂はどうかと思うたが……む?」
ディープワンのことを思い出していたイナリだが、視線を戻した先……いや、周囲の路地から顔を出してこちらを見ている人面犬の群れに気付き思わず「ひょえ……」と声をあげてしまう。
「前言撤回じゃ。なんかじっとりした目で見とる……数が集まると中々にくるのう……!」
「うん」
「見てんじゃねーよ」
頷く紫苑に被せるようにして、その声が響く。それ自体は、一体の人面犬が発したモノだったが……ぞろぞろと通りに出てきた人面犬が輪唱でもするかのようにその言葉を響かせる。
「見てんじゃねーよ」
「見てんじゃねーよ」
「見てんじゃねーよ」
「見てんじゃねーよ」
5、10、30……集まってくる人面犬たちは同じセリフを言い放ち……そして同時に大地を蹴って。
「どーん」
『フライングトーピドー!』
紫苑が槍を向けたその先へと虚空から現れた魚雷のようなものが1本発射され、向かってくる人面犬たちに命中し巻き起こった爆発でその全てを吹っ飛ばす。「ぐえー」と断末魔をあげながら魔石をその場に残していく人面犬たちを見ながらイナリは「ほー」と感心した声をあげる。
今のは紫苑の技なのは間違いないが、相当に強い力を感じた。前回アツアゲが壊した巨像兵士であろうとも、今の技なら充分すぎるほどに破壊可能だろう。
いや、今のが全力などではないだろう。とすると……もしかするとキングコロッサスも水中での戦いであれば、紫苑なら仕留められたかもしれない。そうイナリに感じさせる一撃だった。
「素晴らしい一撃じゃったのう」
「思わずやっちゃった……余計だった?」
「いや。今は組んで攻略しておるんじゃしのう。どんどんやっとくれ」
面白い。イナリは素直にそう思う。マッチングで出会った覚醒者や安野、それにエリ。そしてライオン通信のヒカル。何人か見てきたが、その誰よりも……ヒカルに関してはまだ断言できないが……とにかく、紫苑はダントツに強い。水中専門と聞いていたが、陸上で槍を振るう動きも洗練されており、日本で4位という肩書が伊達ではないことをイナリに教えてくれる。
「赤いマントと青いマント、どっちが欲しい?」
「どっちも要らんのう」
目の前にぬうっと現れた人型モンスターを真っ二つに切り裂きながら「私キレイ?」と言っているマスクの女に槍を突き刺している紫苑をイナリは観察する。それは……頑張っている子どもを見守る親の視線にも似ていた。