お狐様と平穏な社会
「伊東市乗っ取り未遂事件」は、非覚醒者の人々の生活にも変化をもたらしていた。自分、あるいは自分の隣の誰かが知らない人間になっているかもしれない……そのオカルトじみた脅威は、人々に普段はもたないお守りや厄払い系のグッズなどを自然と買い求めさせていた。それが通じるという確信があるわけではないし、何処かの専門家がどう言ったわけでもないが、不安を少しでも解消したいのだろう。道行く人の鞄についたお守りなどが珍しい光景ではなくなるまでには、それほどの時間はかからなかった。
テレビでも雑誌でもインターネットでも本当の意味でのパワースポット特集などが流行し、しかしまあ、それもいずれは落ち着いていくというのが大抵の予測であった。覚醒者の人気もエクソシストやプリーストといった、如何にも霊験あらたかっぽいジョブにスポットが当たるようにもなってきたが……そんな中、最近有名なイナリにも当然のようにスポットが当たっていた。
「まあ、そんなわけでグッズの製造が間に合ってません」
「嬉しい悲鳴というやつなのかのう……」
「まさしく。でも私としては、こういう売れ方はあまり本意ではないといいますか……不安につけ込んだ商法みたいで好きではないです」
「うむ。というか、ご利益に関しては神社や仏閣、教会もあろうに。何故ぐっずを買うのかのう?」
秋葉原のフォックスフォン本店。その代表室のソファでお茶を飲むイナリに、赤井は「うーん」と悩むような声をあげる。理由は分かっている。分かっているが、あんまり面白い話ではない。
「つまるところ、推しのグッズを持つことで自分の近くに推しを感じるような感覚といいますか。今回の場合、狐神さんの力が自分を守ってくれているような感覚になっているんだと思います。勿論、本気でそう考えているわけではなくて『そういう気分』になれることが大事ってわけですね」
「鰯の頭も信心から、とはいうが……そもそも、あの乗っ取りとやらはそういうものではないじゃろう?」
「そうみたいですね。恐らくはモンスターのスキルだろうという話ですが、静岡第1ダンジョンで同様の事例は確認されていません。ですが発動にはかなり厳しい条件が必要で、そう簡単に出来るものではないというのが覚醒者協会の見解みたいです」
今現在社会を覆っている不安も、本人がある程度気をつければ他のモンスター関連の被害と然程脅威度は変わらない、ということなのだろう。勿論それはテレビなどを通じて発信してはいるが、それで不安が消えてなくなるわけでもない。怖いものは怖い。その一言に尽きるのだから。
「実のところ、狐神さんに是非イベントに来てほしいという声もかなりありますよ。あとは本の執筆依頼に写真集の話ですとか、そろそろ歌出してほしいとか……」
「それは民衆の不安とは関係ない話じゃのう?」
「こういう時期だから盛り上げたいという意味では不安の払しょくだと思いますけども」
まあ、そういう話が出てくるあたり、一部の人はもう姿の見えない恐怖から立ち直っているのかもしれないとイナリは思う。人間社会を襲う恐怖は1つや2つではなく、この世界を激変させたかつての大規模モンスター災害からも人々は立ち直り日常生活を送っている。それは間違いなく、人間の強さなのだ。それを思えば、イナリは思わず優しい笑みを浮かべてしまう。
「そんなもんは必要ないと思うがのう」
だから、イナリは赤井にそう答える。
「儂なんぞが何かせずとも、もっとそういうのが得意な者が自然と盛り上げていくじゃろうよ」
「いえ、別にそういう話じゃないんで」
「ひょ?」
「皆かわいい狐巫女がかわいく歌って踊るのが見たいんですよ」
「業の深さの話じゃったかー……」
「正直私たちとしても、狐神さんにその気があればいつでもボイトレにダンスレッスンの手配も出来るような体制は整えているんですが」
「踊らんし歌わんぞぉ?」
「ほんと残念です……」
アツアゲがアニメや特撮をよく見ているから歌の類も多少は分かるイナリだが、ああいうのを自分が出来るとは、イナリは微塵も思わない。思わないし、そういうのは本気でその道を目指している者がやればいいと思っている。まあ、実際には需要と供給の問題もあるので一概にそれが正しいとは言い切れないのだが……イナリは少なくとも「本気でやる気」で挑むべきものだと思っている。
さておいて、イナリの言う通りに少しずつ……形を変えながらではあるが、人は日常に戻っていっている。街を歩けば流行りの何かの広告が目につき、店には新商品が並んでいく。
多少「何か」が起こったところで、そうしたいつも通りのものは変わらない。それこそ、かつてのモンスター災害のようなことが起こらなければ……だ。
そんな人間の強さと、それがもたらす平穏を……イナリは、これ以上ないくらいに愛していた。
「ところで狐神さんのフィギュアの原型が届いたんですが」
「好きにしてくれてええよ……」
「え、本当ですか?」
「やはり駄目じゃ。ちょっとこっちに持ってくるのじゃ」
自分を可愛がろうとする赤井みたいな人が一定数いるらしい事実は、まだどうにも理解できないのだけれども。
これにて第3章、完!
次回から第4章です!
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