お狐様、伊東に到着する
そして、3日後。予告通りにイナリを迎えに来た覚醒者協会の車に乗って安野とイナリは伊東に向かい移動していた。実のところ会談は翌日であるらしいのだが、当日に何事もなく進行するためにも、1日前に伊東に入り簡単な打ち合わせや歓迎会などが予定されている……ということらしい。
「伊東市側の御厚意でホテルも手配したそうでして。貸し切りなんだそうですよ」
「ほー、それは豪気じゃのう」
「ええ、全くです。何処かのイベント会社が地域振興策として提案してたものなんだそうでして。今回の新宿の件で決まったそうです」
「ふむ。いべんと会社かえ?」
「はい。えーと……イスルギ企画。覚醒会社ですね。つい最近人材会社から変わったみたいでして。まあ、小さい会社は上手くいかなくなったりしますからねー」
まあ、イナリとしてその辺りの裏事情にはあまり興味はない。他の覚醒者のようにイメージ商売ばかりに傾倒する気も全くないが、町おこしとか地域振興とか……そういう言葉に、イナリは少しだけ弱い。元々いた廃村も、そうなるまでは人の活気で溢れた村だったのだ……時代の流れで廃村になってしまったが、イナリが少し手伝うことで同じような未来になることを防げるのなら、そのくらいの手間はイナリとしては許容すべきものである、ということだ。
「お、そろそろ着きますね。あのホテルですよ!」
「ほう、これはこれは」
少しばかり歴史を感じるホテルは「伊東国際ホテル」と書かれた看板があり、然程大きいわけではないがしっかりと整備された場所だった。海の比較的近くにあるホテルは危険性と引き換えではあるが、良い景色を約束してくれるだろう。そんな伊東国際ホテルの駐車場に車が止まると、スーツの男が玄関からホテル従業員らしい男と一緒に出てくる。ニコニコと笑顔を浮かべるスーツの男は、イナリたちを見ると名刺を差し出してくる。
イスルギ企画代表 石動 琢磨。そう書かれた名刺は真新しく、安野は交換した名刺にチラリと視線を向ける。
「初めまして、石動さん。私は覚醒者協会日本本部の安野です」
「お目にかかれて光栄です。私は今回の企画を担当させていただきましたイスルギ企画の石動です」
「最近業種が変わったばかりで今回が初仕事と伺っておりますが、此方で何かお手伝いできることなどはございますか?」
「いえいえ。元々人に関する仕事をしておりましたので、当社といたしましても……」
そんな打ち合わせを早速始めた安野たちから視線を外し、イナリは再度ホテルに視線を向ける。かつての時代の更に昔、バブルと呼ばれた時代に温泉産業は最盛期を迎え、様々な企業の社員旅行やそれに伴う宴会など、もうとにかく温泉旅行というものに誰もが行った……そんな時代があったらしい。恐らくはこのホテルもその時代のものなのだろう。こうして営業しているということは、そのバブル後もモンスター災害も、全て乗り切ったということだ。
「なんとも素晴らしいことじゃのう」
人の力というものを感じてイナリは感慨深げに頷く。ちなみにこの伊東国際ホテル、時代の荒波を乗り越えられなくて長期休業したり経営者が変わったりしているのだが、さておこう。別にイナリが知らなくてもいいことではある。
「狐神さん、打ち合わせ終わりましたよ。市長は夜にいらっしゃるそうなので、それまでゆっくりしてましょう!」
「ん? うむ。そうさせてもらおうかのう」
「ところで何見てたんですか?」
「このホテルじゃよ。大変な時期を乗り越えたのだと思うと、のう」
「あ、乗り越えてないそうですよ」
「ん?」
「調べたんですけど、7年前くらいに経営者変わってますね」
「……そうじゃったかー……」
「なんかすみません……」
なんとも絶妙に悲しそうな顔をするイナリに安野は「やべー、空気読めてなかった」という顔になるが、まあ今更である。
「ま、そうやって形を変えて生き残るのもまた歴史じゃな」
「そうですねえ」
そんなことを言いながら部屋に案内されていくイナリたちを、石動はじっと見ていた。やがてその姿が完全に消えた後、ふうと息を吐く。
「やれやれ、これは困った」
(実際目の前にしてみると、怖気を感じるような強さだ……私たちなど、一瞬で吹き散らされてしまうだろう。これでもダンジョンの中にいた頃と比べれば倍以上は強くなっているはずなのだがね)
パッと見ると、簡単に殺せそうなか弱い少女に見える。石動と同じく魔法系なのは間違いない。ないが……どうにも、石動とは……いや、大神官とはレベルの違うものを感じるのだ。あちらの安野とかいう覚醒者の方は簡単に殺せると確信できるのと比較すれば、警戒をさらに強めたほうがいいだろう。石動は覚醒フォンを取り出すと、仲間との通話を始める。
「私だ。全て予定通りに」
『……そんなに強いか』
「予定通りだぞ。失敗は許されん」
『分かっている。武人としては、やりあえないのは残念ではあるが』
通話を切ると、石動は溜息をつく。そんなものは事が成った後にその辺の連中相手に好きなだけやればいいというのに、その辺りが分かっていない。まあ、だからこそ石動が指示を出しているのだが。
「全ては我等が王のために。あと少しだけお待ちください……もう間もなくでございます」
海から吹く風が、そんな石動に頷いているかのようであった。