お狐様、新宿に行く4
世界喰らいの巨鯨。それは、間違いなくクジラだった。山のように巨大で、雄大で。全身のあちこちがキラキラと光り輝く、美しい色の身体を持っていた。一目見て多くの人はそれを「美しい」と評するだろう。しかし……イナリは一目見て物凄く嫌そうな顔をした。
「デカいのう……しかも飛んでおる。このだんじょん、ちょっと酷すぎんかのう?」
確かに、空を飛ばねばならないという前提であんな巨大なモンスターを相手にしなければならないというのは、かなり酷な話だ。モンスター災害で外に出てくれば対処のしようもあるのかもしれないが、甚大な被害も出るだろう……イナリからしても嫌がらせの類としか思えない。しかしまあ、イナリが此処に来たのだからそれは人類の幸運であるのかもしれない。
「まあ、あんなものを外に出すわけにもいかぬ。ここで倒れてもらわねばのう?」
イナリは浮島の地面にしっかり足をつけると、弓をゆっくりと引き絞る。その手に現れた輝ける矢はしっかりと弓に番えられ、弦がギリギリと音を鳴らす。
「遊びは無しじゃ。一撃で仕留める」
放つ。放たれた光の矢は更なる輝きを纏い、一条の巨大な閃光と化して世界喰らいの巨鯨へと襲い掛かる。
「ヴォオオオオオオオオオ……」
それが危険なモノであると、世界喰らいの巨鯨は察したのだろう。周囲のもの全てを吹き飛ばすような衝撃波を放ち、しかしその衝撃波を引き裂きながら閃光は世界喰らいの巨鯨の巨体を貫き……その身体を大きく消し飛ばす。
当然、そんなことをされて生きている生物などいるはずもない。たとえ世界を喰らう力を持っていようと、身体の大部分を失えば再生能力でも持たぬ限りは死ぬのが道理。だから、世界喰らいの巨鯨の身体は消えていき……現れた巨大な魔石がそのまま遥か地上へと落ちていく。
「あー……もったいないのう。しかしあそこまで行くのも、のう……」
それに今のがボスであったならば、たいして時間も残されていないだろう。そんなイナリの予想通り、ダンジョンクリアのメッセージが現れる。
―【ボス】世界喰らいの巨鯨討伐完了!―
―ダンジョンクリア完了!―
―報酬ボックスを手に入れました!―
―ダンジョン消滅に伴い、生存者を全員排出します―
どうやら臨時ダンジョンだったようだ。ならば、イナリがこのゲートを壊す必要もない。そんなことを考えながらイナリが外に転移していくと、そこにはダンジョンゲートが消えたことを察した臨時指揮所の面々が集まっていた。
「馬鹿な……こんなに早く……?」
「帰ってきたのは1人。とすると、今までの攻略隊のメンバーは……」
「いや待ってくれ。だとすると、そんなものをクリアしたっていうのか⁉ こんな短時間で!?」
何やらざわついているが、イナリの手の中の報酬箱に安野が気付き「あっ」と声をあげる。
「クジラの模様……? ということは、海だったんですか?」
「なるほど、海か。しかしそうなると潜水服が通用しなかったというのは」
「空じゃよ?」
「空ですかー……って、空ァ!?」
安野を含む全員が驚きの声をあげ、イナリの手の中の箱をじっと見る。クジラの模様の描かれた包み紙の箱……まさかこれがクジラではないという話なのか。そんなことを考える臨時指揮所の面々だったが、鑑定スキル持ちの1人が「えっ」と声をあげる。
「世界喰らいの巨鯨の報酬箱……? せ、世界喰らい?」
「うむ。空を飛ぶクジラでのう。というか、中に入ったらいきなり何もない空じゃったからの。儂が飛べなければどうなっていたやら」
「と、飛ぶ!? 何を冗談を!」
「ほーれ」
「うわあ飛んだあ!?」
イナリがふわふわ浮いてみせると、文句を言った覚醒者が驚きで腰を抜かす。魔法系の覚醒者でも空を飛ぶ者はまだいないというのに、目の前で飛ばれたのだから驚きの度合いが凄まじい。しかしイナリの言っていることが真実だと実感できてくると、誰もが自分たちの直面していた危機の大きさに気付き一斉にぶわっと汗が湧き出てくる。
つまり、此処にあった臨時ダンジョンは「空を飛べなければクリアできない代物」だったということであり、此処にトップランカーたちが来ていても無駄死にする類のものであったということだ。そしてダンジョンというものが世界に出来て以来、そんなダンジョンは1度も現れたことがないのだ。それは、イナリがいなければ此処が太平洋のゲートのような攻略不能ダンジョンとして君臨することになった可能性をも示している。しかも此処は新宿だ……東京が戦場となり、それによって東京に集中している各種機能の麻痺の可能性すらあった。それだけではない。被害者も未曽有の数になっていたかもしれない。
「……ダンジョンの詳細については非公表でどうだろう。影響が大きすぎる」
「賛成です。経済への影響も考えると……」
「臨時ダンジョンで助かりました。これが固定ダンジョンだったらと考えると恐ろしい」
「狐神さん、貴方はそれでよろしいですか?」
「む? 構わんよ。人の世のそういうのにはあまり詳しくないしのう」
それに、もう解決したことで人々を無駄に疲労させることもない。だから、そういう後始末はイナリは任せることにした。そして、残る問題はこの報酬箱のみ。難しい話は他に任せてイナリがバリバリと包み紙を破っていくと……出てきたものは1つの薄く輝く手のひらほどの大きさの珠だ。
「ス、スキルオーブ……? 『飛行』……?」
鑑定スキル持ちの覚醒者のその言葉は、今後について話し合っていた全員が絶句するにも当然の……そんな前代未聞のアイテムの実在証明と、これから巻き起こる騒動を予感させるものだった。
イナリ「要らんのう……」