お狐様、新宿に行く3
「ギイイイイ!」
「ギャアギャア!」
イナリがワイバーンを吹き飛ばした攻撃は相当に強力なものだったが、ワイバーンたちに脅えた様子はない。むしろ近づけば勝てるとでもいうかのように飛来するその姿は、確かに空を住処とする者特有の凄まじい機動だ。四方八方から襲い掛かり弓など使わせぬとでもいうかのような……しかし。
「狐月、刀じゃ」
イナリの手にあった弓は一瞬で刀へと変わり、その一閃が目の前にいたワイバーンを切り裂く。
「ギアアアアア!」
(浅い……!)
だが、それでは顔面を切り裂いたに過ぎない。イナリは即座に動きの止まったワイバーンの上に飛び乗り、横合いから襲ってきたワイバーンを切り裂く。飛んできた勢いのままに切り裂かれたワイバーンはそのまま深々と切り裂かれ、絶命し地上へと落下していく。
「ぬう……」
自分を振り落とそうと暴れるワイバーンの背を蹴り飛びながら、イナリは自分の腕がビリビリと痛むのを感じる。理由は単純で「硬い」の一言に尽きる。空中で踏ん張りも効かない状況で腕の力だけで振るった刀は当然のようにワイバーンの突進の影響を受け、大きな反動を受ける。これは狐月の切れ味の問題ではなく、単純にイナリの腕力の問題だ。強靭な外皮と同じく強靭な骨。天空を舞い牙で相手を嚙みちぎるに相応しい筋肉もまたその身体に備え、鋼よりも硬い防御力を備えている。そんなものを刀の切れ味任せで腕の力だけで切ろうとすれば、反動がきて当然だ。だがワイバーンたちは次々に飛んでくる。その口を踏みつけるようにして飛びながらイナリは考える。
(刀では身体がもたぬ。とはいえ、弓を使う隙は無し。となれば……)
狐月を構え直すと、イナリは刀身に指を這わせ滑らせる。
イナリの指の動きに合わせ赤い輝きを纏っていく狐月はゾクリとするような輝きを放って。
「触れずに殺すしかあるまいて――忌剣・骨喰」
空中で振るうと同時に、イナリを喰らうべく集まってきていたワイバーンたちの全身からバキゴキと骨が砕けるような音が響き渡る……いや、実際に砕けているのだ。その呪いじみた効果ゆえに「秘剣」ではなく「忌剣」。村正と同じくイナリがあまり使いたくない類の技だ。
地上へと落ちていくワイバーンたちの姿は、いっそ哀れで。襲ってきたワイバーンたちが全滅したことで、イナリは赤い輝きの消えた刀を小さく息を吐きながら構え直す。
「さて。だんじょんであれば『ぼす』を倒せば良いはずじゃが。何処にいるやら」
何処かにはいるはずだが、イナリの見える範囲には居ない。となれば、探すしかない。ふわふわと飛んでいけば、先程は見る余裕がほぼなかったこのダンジョンがどんな場所か見えてくる。
遥かなる大空と、分厚い雲と。その遥か下にある枯れ果てた大地。そして……所々に見える、空に浮かぶ小さな島の数々。とはいえ、イナリのように飛べなければそこには辿り着かないだろうし、辿り着いたところでダンジョンのクリアが出来るわけでもない。
「なんとも殺意が高いのう……こんなもんを人の子がどうにか出来るわけもないじゃろうに。今まで同じものが……」
そこまで言って、イナリはもしやと思う。今まで、そんなものは発生していなかった。その可能性が高いだろう。ダンジョンゲートから入ったら空中。飛べなければ地上へ自由落下。そんなダンジョンが過去に存在してクリアされていたのであれば、その可能性も考慮されていたはずだ。しかし、そんな様子は微塵もなかった……つまりこのダンジョンは恐らく世界初のタイプなのだろう。臨時ダンジョンであればこのままイナリがクリアして終わりだが、固定ダンジョンであれば……。
「ま、そのときは壊せばええか」
―ダンジョン破壊は控えてください―
「嫌じゃ」
ウインドウにそう答えながら、イナリは飛ぶ。飛んで、飛んで……時折襲ってくるワイバーンを弓形態の狐月で撃ち落としながら探索するが、見つからない。となると、空中ではなく浮島に居る可能性もあるのではないか? イナリはそう考え、手近な浮島に降りてみる。すると……そこに何やら石の柱らしきものが立っているのが見えた。いや、柱ではない。これは……石碑、だろうか? 書かれた言葉は何処の言語かも分からない。少なくとも日本語ではないようだ。だが……イナリの目の前で、石碑に書かれた言語が薄く光り出す。そして……イナリに分かる言語がその場に響き始めた。
『世界を滅ぼす要因は多々ある。たとえばそれは、世界を喰らう空飛ぶクジラ。逃げることは出来ない。奴は空を飛び、そしてクジラであるのだから。空飛ぶ者よ、驕るなかれ。破滅は貴方の翼をあざ笑うだろう』
声が響いた後、石碑が輝き……そして、浮島が振動を始める。こんな空の上で地震でもあるかのように。しかし、そんなはずがない。それだけではない。何処かから、汽笛のような音が響いている。
ヴォオオオオオオオオオ……ヴォオオオオオオオ……。
そんな音を立てて響き渡る汽笛のごとき音。しかし、そうではないだろう。これは。
「何かが来る……しかし、何が来る!? まさか……クジラかえ!?」
そう、遥か遠く、空の向こう。世界をも喰らう巨大なクジラ型モンスター「世界喰らいの巨鯨」がイナリのいる場所目指して、文字通りに「出現」したのだった。