薄暗い契約3
2時間後。事務所の中で石動は、周囲にある書類を片っ端から読み漁っていた。仕事の書類から見栄えとハッタリ用の立派な装丁の本まで、とにかく片っ端からだ。ブラインドの閉められた事務所の中は多少のうめき声が聞こえる以外は静かで、事務所内の明かりは石動を煌々と照らす。そして……石動は静かに本を閉じた。
「なルほど。大体のことは分かっタ」
石動らしくない、何処かカタコトの言葉。それもそのはずだ。石動と呼ばれていた男の身体はもう、石動のものではない。それを、事務所の床で倒れている川中はよく知っていた。もはや一歩も動けないほどに痛めつけられ何らかの魔法で拘束までされた今の状況だが、助けを呼ぶのは無駄だ。此処は、そういうのが届かない程度に防音がしっかりしていて、ビルのテナントには同類しかいない。
「ちくしょう……兄貴を返せぇ……」
「ふム」
石動は軽く咳払いすると、川中のよく知る石動の悪ぶった表情になる。それはまるで、本当に川中の知る石動のような。
「おいおい、しっかりしろよ。望み通りに人生を変える力を手に入れただろう? ただちょっと、中身も変わっちまったが……まあ、本人のまま力をやるとは言ってないしな!」
そう言うと、石動は川中の顔を覗き込む。
「どうだ? 結構似てるだろ? いわゆる乗っ取りではあるがね、記憶や知識はそのままだ。とはいえ、自分以外の記憶や知識があるのは中々に気持ちが悪い。必要なことではあるが……さて」
名前:石動 琢磨
レベル:37
ジョブ:巨像神官
能力値:攻撃B 魔力C 物防D 魔防C 敏捷E 幸運E
スキル:ストライク、ストーンヒール、ストーンバインド、ストーンスキン、契約魔法
「……ふむ。ステータスか。コレは中々……ん?」
画面にノイズが走り、名前の覧が「石動 琢磨」と「大神官」の間を行き来して……最終的に「石動 琢磨」で落ち着く。
「くっくっく……察してはいたが、何かしらのルールを敷いた存在がいるようだ。しかし、分かるだろう? 私は契約を誠実に果たしこの肉体を譲っていただいた。住民が変わったところで建物の名前は変わらない。それは人の世の理屈のはずだぞ?」
「何言ってやがんだ、てめえ……」
「分からぬか? この世界には覚醒者というルールを敷いた『何か』がいる。そしてそれは私たちを直接排除するようなことはなく、ルールの範囲内に在るモノとして認識している」
それが何であるかは大神官……いや、石動には分からない。アカシックレコードと呼ばれる類のものが力を持ったのかもしれないし、あるいは神であるのかもしれない。しかし、少なくともソレは人間の無条件の味方というわけではない。それは大神官が「石動」になったことで証明された。
「さて、そんなわけでね。私の契約は『君たち』とのものだった。無駄遣いはしたくないので動けなくなって貰ってはいたがね。この辺りのルールは把握できた。君にもそろそろ報酬を受け取ってもらおう」
「てめ、何を……俺に何をしようってんだ!」
「言っただろう? 報酬を渡そう。人生を変える力だ……今日この時から、君は力を手に入れる。それに付随する新しい人格もあるが……些細な問題だろう?」
石動は抵抗しようとする川中の額に水晶玉をつきつけ、起動させていく。水晶玉に映るのは、石像らしき「何か」だ。
「そうだな、騎士団長……君がいいだろう」
そして、部屋の中に川中の絶叫が響いて。それが収まったとき、川中の表情は感情が抜け落ちたようなものに変わっていた。
「どうだね、騎士団長。気分は?」
「最悪ダ。痛みガ激しい」
「おっと、これは失礼……えーと、ストーンヒール」
石動が手をかざすとヒールの波動が広がり川中の怪我は全て消えていく。拘束していたものも同時に消え、川中は立ち上がる。
「見つけタのだな」
「ああ。とはいえ、難しい相手だ……欲を突くのは難しいかもしれないな」
「だガ、やるべキだろう」
「勿論だとも」
2人が何を言っているのかは分からない。分からないが……その視線は机の上に置かれたイナリの資料の、その写真へと向けられている。
「作戦を練る必要がある。予想をはるかに超えて強い……勿論、妥協する手もある。その辺りも含めて検討する必要もあるが」
「王に捧ゲるものだ。最高デなければ意味がない」
「君は堅物だなあ。まあ、同感だが」
一体何をしようというのか。それがどうであれ、ロクなことではないのは確かだが……石動と川中は、どうやら何かを決めたようだった。
「しかしそうなれば忙しくなるぞ。警戒されたらおしまいだ、最高の罠を仕掛けなければならん」
「力尽くデはダメなのか?」
「ああ、そうか。君は資料を見ていないのだったな。たぶん現状では無理だぞ。そちらも並行してどうにかしなければいけない」
この肉体は鍛えれば強くなることが約束されている「覚醒者」だ。まあ、個体としての才能も有るので何処まで出来るかは不明だが……可能な限りやるしかない。前向きにそう結論すると、石動は薄く微笑む。
「……我等が王のために」
その呟きを聞く者は……彼等以外には、いるはずもなかった。