薄暗い契約2
狐神イナリという「覚醒者」に関してまとめてみよう。
出身地は不明。しかしながら身分保証は覚醒者協会日本本部がしている。これは現代社会においては場合によっては国家を上回るレベルの保証である。
年齢は不明。書類上は20歳となっているが、怪しいものだ。
家族関係はなし。近親者、親戚と思われる者もいない。まるで何処からか生えてきたかの如く、家系図が不明だ。
出身地にも絡む話だが、東京に現れる前の足跡が全く掴めない。
とある日に覚醒者協会日本本部に現れたのが最初の目撃情報だ。それ以前は全く目撃情報がない。
そしてこれは「有り得ない」話であるといっていい。人間自分の興味のないことは目に入らないものだが、狐神イナリに関しては目に入らないということがあるはずもない。
控えめにいって美少女であり、狐耳と尻尾がついている。そして巫女服姿だ。こんなものが歩いていて記憶の片隅にでも残っていないなどということは、あるはずがない。どういう風に思ったかはさておいてもインパクトという点でいえば、コレを超えるとなれば……あとはもう大怪獣の類を解き放つしかない。
さて、そんな狐神イナリだが……その戦果は華々しいものが多い。
東京第2ダンジョンを他の覚醒者とクリア。ここでは「強かった」という当時の同行者の証言はあるが、あまり目立った話は無い。
その後は東京第3ダンジョン、東京第4ダンジョン、秋葉原の臨時ダンジョン……そして東京第1ダンジョンに覚醒者協会の要請で入ったという情報もある。
他にも埼玉第3ダンジョンの攻略、最近だと府中での事件に関わり、静岡第1ダンジョンも攻略したという。そしてこれらが驚くべきことにソロで、しかも凄まじい攻略速度で行われているというのだ。
「……つまりなんだ? 狐神イナリってのは期待の新人だって言いてえのか?」
とある事務所の一角。渡された書類を読みながら、男はそう問いかける。
男の名は石動。とある夜に「大神官」と取引をした男たちのうち、兄貴と呼ばれていたほうである。表向きには「イスルギ人材サービス」としてやっているこの事務所には、この男……石動と、フリーの記者をやっている男が座っている。
「正確には破格の新人、ですね。よく10年に1人とか100年に1人なんていいますが、ああいう類です。怪物と言い換えてもいい……遠からず日本最強の座は狐神イナリのものになるでしょうね」
「なるほど、なあ」
書類を机に置くと、石動は小さく息を吐く。まあ、ハッキリ言うと期待外れだ。イナリがではなく、目の前のフリー記者の男が、だ。そんなことくらいは男も調べたのだ。ハッキリ言って、誰でも時間と手間と些少の金があれば集められるレベルの話だ。もっと深い何かを期待したのだが……まあ、詮無きことだろうか。
「よく分かったよ。ウチみたいな弱小と契約は無理そうだな、これは」
ビジネススマイル……表の人間としての顔を向けながら、石動はフリー記者に分厚い封筒を渡す。
「約束した報酬だ。取っといてくれ」
「ありがとうございます。また何かあればいつでも呼んでください」
「ああ、それじゃ」
男を送り出すと、石動は男の置いていった書類を再度捲っていく。どうしようもなく既知の情報ばかりだ……しかし、それだからこそ分かることもある。
「どうです? 兄貴」
「たいしたもんはねえ。強くて可愛くて後ろ暗いところは何にもない期待の新人。ここまで来ると逆に怪しいが……ああ、いや。チンピラ覚醒者のクランをぶっ潰したって情報もあるな。だがこいつも別にどうって話でもねえ」
部下の男……川中に言いながら、石動は自分の中で考えをまとめていく。「狐神イナリ」に覚醒者協会の後ろ盾があるのは間違いない。しかし、エージェントという線は消えた。どうにもこうにも、動きに何らかの目的というものが見えない。東京近辺で活動していたかと思えば熱海に来たり、かと思えば急に高級マンションに引っ越して友人を呼んだり。そちらの線もあたってみたが、普通の覚醒者だ。何処とも何の繋がりもない。やっていることがダンジョン攻略以外には何の趣味もない一般庶民の如くなのだ。
「しかし、そうなると……ただ強いだけの覚醒者ってことですか?」
「あくまで本人だけを見るならな。だが、そうじゃねえ……」
結果を見るのであれば「幸運と実力に恵まれただけの一般覚醒者」だ。反吐が出るような結果だ。そんなものが存在するから世の中は不公平なのだと石動は思う。しかしまあ、だからこそ石動のような男にも仕事があるのだ。
「旦那に報告だな」
石動が大神官に渡された水晶玉を取り出すと、川中は何やら微妙そうな表情を石動に向けてくる。まあ、川中はずっと同じことを言っているのだ。次に何を言うかは分かっている。
「兄貴ィ……やっぱこの仕事降りましょうよ。危ない橋ってレベル超えてますって」
「何言ってんだ。これを報告するだけで終わりだろうがよ」
それでこの危ない仕事も終わりだ。石動は水晶玉を大神官に習った通りの手順で起動させていった。