薄暗い契約
伊東市。それは熱海からほんの少し離れた場所であり、熱海同様に温泉地として有名な場所である。
凄まじい湯量を誇り日本三大温泉にも数えられる伊東にはかつての時代にも歴史ある温泉宿や有名な温泉宿などが存在していた。
そんな伊東は熱海と同じく相模湾に面した場所だが……その市内の海の見える道沿いで、1台の車が止まっていた。国道でもあるこの場所は、海の危険性もあり現在では交通量が減ってしまったが……それでも利用する者がいる。たとえば、この男たちのようにだ。
「ったく、最近やりにくくなったよな」
「全くです。どいつもこいつも品行方正に鞍替えしようとしやがる」
男たちは、覚醒者向けの裏商売をしているブローカーだ。出所不明のポーションやアイテムの取引、表には出せない類の仕事の紹介など……まあ、そういったものを仲介する商売をしている。まあ、まともに稼げない覚醒者やまともに稼ぎたくない覚醒者、そうした覚醒者という戦力を取り込みたい連中などを相手にすると金になるというわけだ。
しかし、そんな男たちがどうしてこんな場所で愚痴っているのか? それは最近の覚醒者界隈の流れの変化であった。
今まで見つからなかった新アイテム……それも超高値のつくようなものの連続発見、東京湾の事件から全国に派生した、海や川への恐怖。そうした諸々の状況からダンジョン攻略が活性化し、海近辺の町などからの警備の仕事の案件や船の護衛の募集、見回り人員の強化など。平たく言うと覚醒者を必要とする仕事が急増したのだ。
そしてそうなれば、裏の仕事なんぞに従事するよりもマトモに働いた方がマシだという者も当然多く出てくる。まあ、元々後ろ暗い仕事を好んでやっている者は別だが、そういうのは少数だ。つまり裏の人材や仕事が不足し、ブローカーの仕事も自然と減ったり達成困難になったりと、非常に困る事態……一般的な感覚に照らせば非常に良い事態になっているわけだ。
しかしまあ、男たちからしてみれば当然のように面白くない。そしてちょっと調べれば、その震源地が何処の誰か簡単に分かる。
「狐神イナリ、か。ふざけた名前しやがって。芸名じゃねえだろうな」
「知ってるでしょ? 覚醒者協会は本名登録です。どんなふざけた名前に見えても、それが本名なんですよ」
「じゃあ聞くけどよ。お前狐神と書いてこがみ、なんて苗字他で聞いたことあるか?」
「ないですけど。でも日本も広いんです、珍しい苗字くらいあるでしょ」
「あるとしてもだ。名前もイナリで狐耳と尻尾が生えてる。そんな偶然あるか?」
「あるってことなんでしょ?」
「あってたまるか。俺が思うに、狐神ってのは覚醒者協会が用意した釣り針だ」
そう、たとえば。「狐神イナリ」という分かりやすく好かれやすいキャラクターを作り上げ、分かりやすく世間を盛り上げられる華々しい実績を稼がせる。単純に覚醒者協会の支持率を上げる目的もあるだろうが、「狐神イナリ」の実態を暴こうとする抵抗勢力や、単純にどうこうしようと考える危険分子をおびき出し排除する罠であるとも考えられる。
「な、なんてこった。だとすると俺等もヤバいんじゃ……」
「俺らレベルじゃそこまで調べられねえよ。たぶんもっとやべえ連中を引きずり出すためかもしれねえな」
まあ、どのみち手出しは出来ない。ちょっとばかり相手が悪すぎる。男たちも覚醒者ではあるが、覚醒者協会そのものを相手にできるほど強いわけでもない。
「しばらくは休業するしかねえかもな。はー、不況だぜ。もっと薄暗い世の中になりゃいいのによ」
「薄暗い世の中カ。そレは私たちも望むところデはあるね」
「だ、誰だ!?」
聞こえてきた声に男たちは武器を構え周囲を見回すが、誰もいない。気のせいか。いや、そんなはずはない。確かに今、声が。
「ヒッ」
「うおっ!?」
男たちの横。今までずっと其処にでもいたというかのように1人の男がそこに立っていた。違う。それは……人の形の、石像? まるで太古の神官か何かのような姿をした、それは。
「驚くコとはない。金ガ欲しい、力が欲シい。要はそう望むノだろう?」
「なんだお前……モンスターだろう? なんで日本語なんぞ喋ってやがる……!」
「覚エた。しかし、そンなことが今重要カな?」
「あ、兄貴……なんかやべえですよ」
男のうちの1人が兄貴と呼んだ男にそう呼びかけるが、兄貴と呼ばれた男のほうはゴクリと緊張したように、あるいは興奮したように唾を飲み込んでいた。
「つまりアレかい、石像の兄さん。俺たちと取引をしたい……と?」
「ちょ、兄貴……!」
「黙ってろ、これはビジネスの話だ」
流石に人間を滅ぼせとか言われたら断らざるを得ない。そんなとんでもないことなどできるはずもない。というか嫌だ。しかし、そんなものを自分たちに期待しているはずもない。
「言っとくが俺たちは小物だぞ。たいしたことなんざ出来ねえ……それを踏まえた上で話を聞かせてもらおうじゃないか。ん?」
男の言葉に、石像は微笑む。慈愛のそれにも似た笑みを浮かべたのだ。そして、手を地面へとかざす。
ジャラジャラジャラ、と。大量の金貨や宝石が、そこに現れ積み重なっていく。
「難しイ話ではない。君たちの話してイた『狐神イナリ』。それニ関する情報を可能な限り集めテきてくれたまエ。ただそれだケで君たちはこの財宝ガ手に入る。そして、望むナら『力』も。今なら……多少ノ前払いモしてあげよう。この場デ決めるのならばね」
「は、ははっ」
なんということだろう。こんな簡単な取引など2度とないだろう。モンスターには手に入らない情報ではあるだろうが、人間であれば、覚醒者であれば……男たちであれば不可能ではない。それで、人生全てが変わる。
人類を敵に回そうという話でもない、こんなたいしたことのない頼みを聞くだけで、だ。
「いいだろう、契約成立だ。俺は石動……アンタのことはなんて呼べばいい」
「大神官。そう呼びたマえ」
この日、薄暗い契約が成立した。浅はかで、恐ろしく……それでいて今は目的の見えない、そんな契約が。けれど、きっとそれは何らかの災厄をもたらすのだろう。天秤とは、常にどこかで釣り合うように出来ているものなのだから。