お狐様、引っ越し先を決める
翌日。安野は本当にイナリの家にやってきていた。それも車での迎え付きである。
「おはようございます、狐神さん!」
「おお、おはよう。早かったのう」
「はい。素敵な物件を一刻も早くご紹介したくて!」
そんなことを言う安野だが、昨日はもう本当に必死だった。
ちなみに、何故安野が必死だったのか? それは覚醒者協会という組織の力関係にある。
世界中に存在する覚醒者協会だが、日本を担当するのは「日本本部」であり、他の国はその国の本部が担当している。これ等は協力関係にあるが、同時にライバルでもある。何処がより強い覚醒者を抱えているのか。それが覚醒者協会の力の証明であり、1度失敗して覚醒者の国外流出をさせてしまった日本は多少不利な立場にある。
……そして問題は、この構図が日本国内にも存在することだ。日本各地に存在する覚醒者協会の支部は有力な覚醒者を抱えることに必死になっているし、東京に存在する日本本部は当然他の支部に戦力面で負けたくはない。大きな問題を解決した覚醒者が「何処の覚醒者か」というのは結構重要なのだ。
幸いにもちょっと有名になれば覚醒者もクランも東京に出てきたがるので問題は無いのだが。
「狐神イナリ」という規格外の新人が東京の外に引っ越したとなれば、下手をするとそのバランスが崩れるきっかけになる恐れもある……まあ、そんな感じの事情なのだ。とっても馬鹿みたいであるがそういうものなのである。そういうものなのに、安野はそのきっかけを作った人間などにはなりたくなかった。
まあ、そんなわけで。安野は上司の上司のそのまた……というか最終的には本部長から信じられないほどの特急で裁可を貰い、万全のサポートの下でイナリを迎えに来たわけである。
「うむうむ。その心意気は嬉しいがのう。こんなに速くては朝食もまだじゃろうに」
「あ、あはは。大丈夫ですよ」
確かに食べる時間はなかったのでカロリーバーを詰め込んできてはいるが。そんなことを言うわけにもいかないので安野が笑って誤魔化せば、イナリは「ちと待っておれ」と言って家の中へ戻っていき、包みを持ってくる。如何にもお弁当でも入っていそうな包みだが……。
「儂もまだじゃからの。とはいえ作り過ぎた。向かう途中で一緒に食べてくれると嬉しいんじゃがのう」
「うっ、ですが」
「儂を助けると思って食べてくれんかのう。というか食べてくれんと儂、すねちゃいそうじゃ」
「わ、分かりました! 車の中で頂きましょう!」
「うむうむ」
本当はそういうのは良くないのだが、今回の最重要対象であるイナリに食べるように言われた……というのであれば話は違ってくる。あくまで業務の一環として食べる必要があったという報告になるが、大人の世界とは斯様に面倒臭いものであり、しかしお腹をすかしている人を放っておけない系の狐なイナリからしてみれば、そんなものはゴミ箱にポイである。というわけで塩にぎりを食べながら向かう先はすでに不動産会社と交渉済で仮押さえしてある物件の数々である。
「まず最初はこのマンションです」
「おお、何やら立派じゃのう」
東京でも日本本部に比較的近い……言ってみれば住宅街としては日本で一番安全に近い場所。
そんな場所に存在する低層マンションだ。覚醒者専用でもあり、相当稼いでいる層が住むところでもある。当然、セキュリティもバッチリだ。中を覗けば信じられないほどに広々とした部屋に大きなリビングとオープンキッチン……御風呂やトイレまで広々としていて、ウォークインクローゼットはそれ自体が小さな部屋のようですらある。
「いかがですか? 此処であれば怪しげな人間は近づこうとも思いませんよ」
「何やら儂も近づき難いんじゃが……前の家も持て余しとったのに、1人でどう使えというんじゃ……もっとこう、ちゃぶ台を置いて布団を敷けて、米を炊ける台所があれば充分なんじゃが」
「意識改革してください、お願いですから」
「ぬう……」
イナリの言うことをそのまま採用するとワンルームマンションになりかねない。流石にそれはダメである。セキュリティ上も危険だし稼いでいる覚醒者の住む家ではない。というかそんな部屋に覚醒者協会の紹介で住まわせたら冷遇してると思われて国外からの引き抜きが来かねない。
「狐神さん。貴方はすっごい稼いでるんです」
「そうなのかえ?」
「よし、残高とか一切見てないのは分かりました。えーとですね。此処を建物ごと買える程度には狐神さんは稼いでます。そういう覚醒者は、相応の所に住むのもお仕事なんです」
「しかしのう……稼いだからと散財するのは如何なものじゃろう」
「使わなさすぎなんですよう……」
「うーむ」
イナリとしては一部屋あればそれで充分……まさに安野の懸念通りであるがさておいて……なのだが、どうもそれでは安野が困るようである、ということは理解できていた。ハッキリ言って此処を使いこなせる気は微塵もしないのだが、それでもこういう場所に住むのも仕事だというのであれば仕方ないとも思える。
「まあ、それなら……此処でええかのう」
「一応あと7件くらい候補はあるんですけども」
「そこまで手間をかけるのも悪いじゃろ。ここでええよ」
そんなわけでイナリの新居は決まって、後日引っ越しが決まった……のだが。
「これを機に家具とか食器も買い揃えないといけませんね。今の家にあるのは一応本部の資産ですし……何より此処に全く合いませんし。あ、一応此方でセレクトしたものであれば見積は出来てます」
「おお、それは助かるのじゃ……む。お高いのう。もっと安くてもええんじゃないかの?」
このマンションに比べれば全然ですよ……とは安野は言わない。そんなわけでイナリの引っ越しは日本の覚醒者では初めての、覚醒者協会日本本部の全面サポートで進んでいくのだった。
安野(私も此処でいい、とか言ってみたいなあ……)