お狐様、熱海に向かう2
赤井里奈。覚醒会社フォックスフォンの代表にして、クラン「フォックスフォン」のクランマスターである。つまるところ、本来はフォックスフォンのイメージキャラであるイナリとそれなりに仲がいいはずなのだが……覚醒者協会から「ライオン通信のイメージキャラの覚醒者と府中の事件を解決した」と聞いたときには、ちょっとしたジェラシーを感じたのだ。
そもそも、イナリは自分をあまり頼ってくれたことはない。フォックスフォンだってクランとしてはかなり上位の位置にいるし、覚醒企業としてもそれなりの位置にいる。イナリに頼られたら、その辺りの力をぶん回す準備は出来ているのだ。しかし現実としてそうしたことは今まで1度もない。何故なのか?
赤井はそれに仮説を立てた。つまり……何処まで頼りにしていいかイナリとしても分からないのではないか? と。事実、イナリにはあまり頼りになる姿を見せたような記憶がない。これはいけない。赤井が感じたのは焦りだった。このまま「なんか仕事上の付き合いの人」になってはいけないと、そう強く思ったのだ。むしろイナリからすると「赤井」というジャンルが出来上がっているのだが、そこは知らぬが華だ。別にそれでイナリからの扱いが変わるわけでもない。
(ここらで私が狐神さんにとって頼れる人間だということを見せつけなければ……!)
とにかく、赤井は自分のイメージの刷新をしたかったのだ。もっと頼れる人というイメージを作りたかったわけだ。今回のイナリが泊まる旅館にしたところで、しっかりと厳選している。イナリに伝えたときには「ほー」という普通の反応だったので「あれれ?」と思ったりはしたが、それはイナリの頭の中に今の熱海の情報がないからである。さておいて。
そんな自分を「頼れる人」と思わせたい赤井に連れられてイナリは熱海の町を歩く。
かつて熱海駅があった場所は今はバス関連の施設となっており、駅前の平和通り商店街と呼ばれていた場所は今も健在であった。
「ほー、坂になっとるんじゃのう」
「ええ、熱海は坂が多い町でして。こうして下るのは楽しいですよね。まあ、帰りは上りなんですけども」
大きなアーケード……モンスター災害を経て修復されたものだが、お土産屋やスイーツ店、喫茶店などの並ぶその場所の途中途中に温泉饅頭の店が点在している。その中には蒸したての温泉饅頭を食べられる店も存在しており、イナリは「ほー」と声をあげる。
「あ、温泉饅頭ですね」
「うむ。話には聞いたことがあるのう」
「ちょっと待っていてくださいね」
イナリをその場に残すと赤井はその店に歩いていき、蒸したての温泉饅頭を2つ持って戻ってくる。ホカホカの温泉饅頭を赤井は当然のように1つイナリに差し出してくる。
「どうぞ、美味しいですよ」
「これはこれは。気を遣わせてしまったかの、ありがとうのう」
「いえいえ。温泉地ではコレって思うんですよね私も」
微笑みあってパクリと食べれば、こしあんのよく練られた丁寧な味が口の中に伝わってくる。
「んー、美味しい。私はつぶあん派ではあるんですが、これは素直に美味しいです」
「どちらも美味しいんじゃないかのう。しかしこれは確かに美味い」
特別な味というわけではない。しかし伝統に裏打ちされた温泉地ならではの饅頭はイナリにとっても大満足であった。そしてこれはイナリも、そしてイナリの影響力に配慮して自分で買いに行った赤井ですらも見落としていたことなのだが。人通りの多い平和通りのような場所でイナリが美味しそうに何かを食べていれば、それは当然注目される。
「美味そう……」
「あの店かな?」
当然食べている場所の近くの温泉饅頭屋さんに視線が行くわけで。自然と人が並び始めていく。食べ歩きアイテムとしてはお腹がいっぱいになりすぎないベストな「ちょい食べ」として優秀な温泉饅頭はそれ自体が集客力があるのだろう、あっという間に列が形成されていく。
「さて、行きましょうか」
「うむ。確か旅館は新海旅館……じゃったかの?」
「ええ、海の見える良い旅館ですよ」
熱海の旅館はその性質上、山側か海側かの概ね2種になる。どちらが上だとか下だとか、そういうことはないが……水棲モンスターへの恐怖もあり山側の旅館やホテルが自然と値段が高くなる傾向にあった。元々山側に関しては坂を登らなければいけないという弱点があるだけで、景観は良いのだ。まあ、逆に言えば一般人の客が多いということでもあり……そういう意味でも赤井は海側の旅館を選んでいた。
「あ、見えてきましたよ。あそこです」
「おお、中々良い風情じゃのう」
モンスター災害後に建てられたので歴史のある旅館とかそういうものではないが、熱海の古き良き雰囲気を今此処に……みたいなコンセプトで建てられた新海旅館は、3階建ての和風旅館だ。中に入れば豪勢な内装と従業員が笑顔でお出迎えしてくれる。ちなみに新海旅館側としても今有名な覚醒者を迎えられて箔がつくので、本当に心の底から笑顔だったりするのだが。ともかくイナリと赤井、本日はお二人様二部屋でここに一泊である。
イナリ「歓迎の心を感じるのう……」
赤井「そうですね(まあ、そうでしょうね……)」