喫茶店「玻璃の庭」 【side高橋聡】
青猫の扉の中の一つに、玻璃の庭という喫茶店がある。青猫の扉創設当初からの店で、当時から今に至るまで人気がある、らしい。
自分はまだ一度も行ったことはない。姉ちゃんと母さんが時々行っていて、二人の口から耳にすることがちょくちょくある。
何でも、店の壁と屋根はガラス張りのように透明で、店内にはたくさんの植物が置かれていて、温室のようなのだとか。透明な壁の向こうに見える風景も緑豊かで、野外で過ごしているような気分になるそうだ。壁と屋根が透明なのは、演出だろうとのこと。常若町の人に依頼して、ガラス張りに見せかけているんじゃないかと母さんが言っていた。
店名が「玻璃の庭」だから。
姉ちゃんに教わったのだが、玻璃とはガラスのことだそうだ。なるほど。喫茶店をやるような人はいろいろこだわってるんだな。
お洒落な喫茶店なんて自分には縁がない。そもそも、中学生男子には敷居が高い。雰囲気的にも、懐的にも。
そう思っていたのだが……
最近、クラスでも玻璃の庭の名前を聞くんだ。大体は女子だ。一度行ってみたかったから行けて嬉しいとか、噂のソーダが本当に綺麗だったとか、蔓バラのアーチが素敵だったとか。実に女子らしい感想だ。
そんな感想に混じって、ワンコインで軽食に飲み物つきはありがたい、あそこなら俺の小遣いでもなんとかなる、店内が思っていたよりシンプルで居づらくない、なんて男どもの意見も聞こえてきた。最初は、中学生でも喫茶店行くやつ多いんだなーくらいにしか思ってなかったんだけど、さらに耳に入ってくる内容に驚愕した。
相手には目新しさがないかもしれないけど外さないのが一番大事、最初くらいは奢ってみせたい、意外と知り合いと鉢合わせもしない、などなど……
まさかと思いつつ、適当な一人に確認すると、そのまさかだった……。玻璃の庭は、同級生達の間でデートによく使われているのだとか……
デ、デートって!
マジか!
みんな彼女いるの?!
本当に?!
何人かは見栄張ってないか?!
頼む、そうだと言ってくれ!!
衝撃に、その日は一日ふらふらと過ごし、そのまま帰宅した。ボーっとしている自分を不審に思った姉ちゃんに、何かあったのかと問われ、自分はありのままを打ち明けた。姉ちゃんは呆れた顔をしたけれど、自分をからかうこともなく、彼女がいるのはありえない事ではないと言った。
ありえなくないのか……
ただ、自分が疑ったように見栄を張っている奴も間違いなくいると断言した。
だよな!
あからさまにほっとしたのが態度に出ていたのだろう。姉ちゃんは自分を見て苦笑してた。苦笑しながらこうも言った。
周りが彼女を作ったからって自分も作らなきゃいけないわけじゃない。焦る気持ちは分かるが、「彼女」が欲しい、相手は誰でもいい、はどうかと思う。付き合うのなら、ちゃんと好きになった相手にしろ。
姉ちゃんの言い分は、当たり前の事だけど、すごく大事なことだった。
そうだよな。自分は、「彼女欲しいの? 私も彼氏欲しいしちょうどいいから付き合おう」って言われも、うんと言えないと思う。人によってはそういうのも有りなんだろうけど、自分には多分向いてない。言ってきた相手が気になる子だったら別だけど。
……気になる子かあ……
チラッと脳裏にある女の子の姿が浮かんだ。
その事に動揺したのが、また態度に出たのだろう。姉ちゃんの苦笑が、ニヤニヤ笑いに変わっていた。ニヤニヤ笑いながら姉ちゃんは、こう言ってきた。
彼女が出来てから慌ててデートプランを練ったところで失敗するし、行き慣れていない場所でスマートな対応も出来ない。玻璃の庭は、確かに中学生が初デートでお茶をする場所としてはかなり良い。今のうちに玻璃の庭に慣れておいたほうが後々のためだ。
いや! 違うんだよ!
確かにチラッと思い浮かべたけども!
そうじゃなくて!
ちょっと気になってるだけって言うか!
……嘘です、すみません。すごく気になってます……
あぁぁぁぁぁ! 姉ちゃんにばれたあぁぁぁ!
恥ずかしさと居たたまれなさで、自分はその場に頭を抱えて丸まりこんでしまった。
そんな自分の背中を、姉ちゃんはなだめるようにぽんぽんと叩いてきた。そしてさらにこう言った。
あとで青猫の扉での玻璃の庭の扉の位置と特徴を書き出しておく。慣れておいたほうがいいのは本当だが、無理強いはしない、その気になったら行くといい。一人で行くのが気後れするなら、一、二回くらいは一緒に行ってあげよう。練習にかかる費用は三分の一くらいなら援助してもいい、ただし五回まで。本番のファッションチェックと軍資金は任せろ。玉砕したらラーメンを奢ってやろう、チャーハンと餃子も特別に付けていい。姉の情けだ、深くは追求しないし、両親にも好きな子が出来たことは伝えずにおく。
姉ちゃぁぁん! ありがとう!!
時々理不尽な扱いを受けることもあるけど、普段から面倒見のいい頼れる姉ちゃんだ。姉ちゃんが自分の姉ちゃんで良かった。