常世市での生活 【side高橋聡】
変わっているらしい常世市だけれど、生活様式なんかは市外と特に変わらないと思う。電気、ガス、水道は整備されてるし、電車だって通ってるし、携帯も普及してる。
空飛ぶ箒で通学はしないし、猫の妖怪がバスとして市中を走っていたりしない。薬局でポーションなんて売ってないし、本屋にネクロノミコンの真作だって置いてない。
というか、市外のやつらの常世市のイメージはいろいろ混ざりすぎてるだろう。おまけにいろいろ詳しすぎだ。
自分は、ネクロノミコンなんて知らなかった。
聞かれて分からなくて、ネクロノミコンがなんなのか教えてもらって、その流れでラヴクラフトを友人に借りて一冊読んでしまった。怖かった……。なんだよあれ。遭遇したらもうアウトとか。全方向に死亡フラグで救いがどこにもないなんて。あの日記が書き途中で終わってる理由なんて知りたくない……。小説であんなに怖いのに、ネクロノミコンが実在する世界なんて嫌すぎる。
そんな感想もあわせて常世市の実情を伝えるのだが、どうにも納得しない奴が多い。そういう奴らには実際に常世市を見てもらうしかない。目の当たりにすれば、さすがに納得せざるを得ないから。
件のネクロノミコンの友人も、納得した。
納得しつつ、嘆いていた。
夜刀浦市みたいな場所だと信じていたのに、と。
意味が分からず、夜刀浦市がなんなのかを質問したところ、日本に存在する設定になっているクトゥルーの舞台だと教えられた。夜刀浦市が出てくる小説も借りて読んだが……。常世市はあんな物騒な場所ではない。あんな場所を予想していたのに、よく常世市に来る気になったものだとむしろ感心する。
その友人だが、嘆いていた割にちょくちょく遊びに来る。常世市の事を気に入ってはいるのだろう。人によっては常世市に来られないので何よりだ。
そう。来られない人がいるのだ。
どうも常世市を蔑んだり馬鹿にしたりしている人は来られないようだ。あと、相性とか体質とか。
聞いた話だが、常世市を馬鹿にしていた人が仕事だからと言う理由では常世市を訪れようとしたら、謎の腹痛や頭痛に襲われたり、引ったくりにあったり交通事故にあったりとトラブルに見舞われ続け、結局常世市に足を踏み入れられなかったとか。ご愁傷様としか言えない。その人だって来たくて来ようとしたわけじゃないのに不憫だな。
仕事でなら大目に見てあげてもいいんじゃないかな。容赦なさすぎじゃないか、常世市。
もしかして、自分にも行けない土地があるのかな。隣の市には問題なく行けているけど。小学校の臨海学校も修学旅行も大丈夫だった。親に聞けば何か知っているかもしれない。今度聞いてみよう。回避できる不幸は回避するに越したことはない。
市外との違いはそのくらいじゃないかな。
あ。
そういえば市外の友人に、あれは便利だと言われた。駅前商店街の裏通り。
常世駅前には、駅を挟んで南口と北口にそれぞれ商店街がある。そのどちらにも、裏通りがあるんだ。
通称、青猫の扉。
この通りにあるのは、壁一面の扉。店名の書かれたたくさんの扉だけ。扉は一様に、店内を覗けない仕様になっている。扉を開けば、中はちゃんと店だ。
この通りのどこが便利かと言うと、実は扉の向こうの店は、裏通りには存在していない。常世市のどこかで営業している店なんだ。駅から遠い店舗なんかが、商店街に賃料を払って裏通りを使わせてもらってるんだとか。扉の設置には、常若町の術者が協力してる。
市外の友人達は、某猫型ロボットのドアだと大喜びしてた。思い浮かべることはみんな一緒なようで、青猫の扉って名称はそこから来てるらしい。
遠まわしな言い方は奥ゆかしさなんだろうか?
殆どの場合、便利な裏通りなんだけど、時々油断ならない。常世市が普通と違うせいか、常若町の術者の手が加わっているせいか、その両方か。裏通りの扉は、よく変わるんだよ。色から形から配置まで。なんなら、通りの造りから変わる事もあるらしい。
自分が目にしてるのは、扉がやたらある以外は特に何の変哲もない裏通り。これが多分本来の裏通り。
母さんは浅草の伝法院通りみたいになってるのを見たことがあると言っていた。姉ちゃんはどっかの花火大会会場みたいになってたて言ってたな。同級生が一番印象に残っているのは全面鏡張り状態の時だそうだ。
自分は、配置換えに引っかかったことはあるが、まだ、そういう裏通りは見たことがない。
造りが変わっている時の裏通りは、結構な確率で迷子になるそうだから気をつけたいと思う。