青猫の扉 【side小田桂子】
楽しみにしていた約束の土曜日。家に迎えに来てくれた礼美ちゃんは今日もとっても可愛い。身にまとったワンピースに見覚えがなかったのでそう言えば、美礼ちゃんははじけんばかりの笑顔でおろしたてなのだと教えてくれた。よく似合っていると伝えれば、笑顔に恥じらいが加わってなお一層可愛い。
もともと美礼ちゃんは可愛い。そこに本人による研鑽もあいまって、文句のない美少女だ。学校では女子にも男子にも人気がある。クラスどころか学年の中心的存在だ。
当然友達も多い。であるにも関わらず、影の薄い私を一度たりとも見失うことなく、昔も今も親しくしてくれる。とても得難い、私のたった一人の友人。多分、親友といって差し支えないと思うのだけど。
美礼ちゃんと相性が良いのは間違いないけど、私たちの関係は美礼ちゃんの寛容が作り上げたと言っても過言ではない。影の薄い私は、周囲への関心も薄かったから。
本当、美礼ちゃんは偉大な人だ。尊敬しかない。美礼ちゃんの寛容に甘えてばかりではいけないと気づき頑張ってはいるが……。相変わらず私の影は薄い。両親からは存在感が出てきたと言われたが、両親の言葉なので鵜呑みにはしていない。
本日のお出かけコースは、まず隣の市の駅ビルにある大きな本屋さん。そこから、雑貨屋さん、洋服屋さんと見て回り、常世市に戻ってきて青猫の扉の文房具屋さんを経て、玻璃の庭でランチ。
そう言えば、美礼ちゃんはやはり玻璃の庭でのデートが人気な理由を知っていた。学校でも玻璃の庭が話題に上がることは多いそうだ。教えてもらった玻璃の庭がデートに選ばれる理由に、一理ある、とは思った。でも、他にもあるのに。懐に優しく、雰囲気のいいお店。意外と知られてないんだな。
私達も同級生のデート現場に遭遇する可能性を分かっていて玻璃の庭でランチなので、人のことは言えないけれど。私も美礼ちゃんも玻璃の庭の気分だったので、あえての選択だ。対策は立ててある。美礼ちゃんと協議の結果、本日のランチは遅めの時間でとなった。時間をずらせば多少確率は下がるだろう、と。そうであって欲しいな。
玻璃の庭への懸念以外は、なんの問題もなく進んでいった。最初の本屋さんで私は小説の表紙買いをし、次の雑貨屋さんで美礼ちゃんと二人して一目ぼれした猫柄のマグカップをお揃いで購入し、洋服屋さんで美礼ちゃんが目をキラキラさせながら新作を手に取るのを眺めた。
美礼ちゃんとマグカップがお揃いになったのはとても嬉しかった。
常世市に戻り、青猫の扉にある文房具屋さんを覗く。美礼ちゃんがとても楽しそうだ。さっきまでも勿論楽しそうだったけど。青猫の扉のお店は別格なんだろう。
どうしたって常世市で生まれ育った私達には、常世市の気配があるものに馴染むのだ。
美礼ちゃんは、いろいろ手にしていたが、御朱印帳だけ購入した。葉書や便箋はコレクションがあふれかけていると少し前に言っていたし、カラーボールペンや万年筆は使う頻度を考えて止めたんだろうな。
万年筆は初心者向けのお手ごろ価格だった。カラフルな見た目は女性向けを狙ったのだろうか。インクも色の種類が豊富。美礼ちゃんが興味を惹かれるのも分かる。あの万年筆、今年の美礼ちゃんの誕生日プレゼント候補にいれておこう。
そろそろ玻璃の庭に向かおうとお店を出た途端、美礼ちゃんが立ち止まった。どうしたんだろう。不思議に思ったが、すぐに分かった。
お店に入る前はなんの変哲もない裏通りだったのに、店内にいるうちに通りの模様替えがあったのだ。白いレンガ造りの高い壁に囲まれた階段だらけの通りが目の前に存在していた。
美礼ちゃんの背中から困惑が伝わる。そうだよね。模様替えは珍しいことじゃないけど、これはなかなか意地悪だ。だって、一見して扉がどこにも見当たらない。美礼ちゃんなら普段より時間は掛かるだろうけど、突破可能だろう。でも、はっきり言って、上級者向け。利用者の多い土曜の昼にこんな難易度の高い模様替えするなんて。何か理由があるのかな?
困ったままの美礼ちゃんに、大丈夫だよと声をかけた。確かに上級者向けだけれど、私には問題ない。このくらいならちゃんと見える。
通りを見てみると、模様替えだけでなく配置換えもされていた。本来ならこの文房具屋さんから遠くない場所に設置されている玻璃の庭の扉は、ずいぶん遠回りしないと辿り着けなくなっている。見えている私にはいつもより少し遠いくらいのものだが。
いつもより時間が掛かってしまうけどちゃんと玻璃の庭に行けるよと伝えると、美礼ちゃんは今日一番の笑顔を見せてくれた。すごい。目がくらみそう。笑顔がまぶしいって、こういう事か。
美礼ちゃんと立ち位置を入れ替える。さすがにこれ以上何もないと思うけれど、念のためゆっくりと歩みを進めた。うっかり美礼ちゃんとはぐれたりしないように。
美礼ちゃんはレンガに触れながら私の後を付いてくる。どうやら、指先から何らかの情報を得ているようだ。隠されてる扉の存在を感知してるみたい。振り向かなくても、美礼ちゃんのまとう空気の揺れで分かる。やっぱり、美礼ちゃんなら一人だったとしてもここを乗り切れてたな。
美礼ちゃんと玻璃の庭で何を食べようかあれこれ候補を挙げあいながら、私は通りを注意深く観察した。そして、気づいた。 実は今この通りでは、結構な人数がさ迷い歩いている。普通に見ただけでは分からないし、そもそも遭遇することもないようだ。ほんの僅か異なる場所に全員振り分けられているから。
今回の模様替えは、やけに手が込んでる。通りにいる人別に、コースが与えられているなんて。一見一本道。その実、かなり分かれ道がある。気を付けてよく見ていると分かれ道に気づけるが、分かりやすく目につく道を選ぶと、目的地には辿り着けない仕様だ。
全員が同じ難易度のコースなのだとしたら、他の人たちは攻略不可能なんじゃないかなあ……。これ、かなり見る力がものを言うもの。まず、一本道じゃないって気づくまでに時間かかると思う。本来の青猫の扉が一本道だから、その思い込みもあるよね。
ああ、どこかで揉めてる気配が……。いつまでも迷い続けてたら気も立つよね。人間関係に溝が出来そう……。あ、うまくすれば絆が深まるかな? そちらを期待したい。
他の人たちに助言できるなら、進み続けるよりもどこのお店のでもいいから扉を見つけてと言いたい。隠されてはいるけれど、扉はそこここに配置されている。多分、これがこの難易度の高い模様替えのセーフポイントなんじゃないかな。なんのお店だったとしても、中に入ってしまえば今の状況から脱却できるし、そのお店の本来の出入り口を使わせてもらって外に出ることもできる。事情を話して模様替えから元に戻るまでとどまらせてもらってもいい。こんなレンガと空しか視界に入らない場所でさ迷い続けるよりずっといい。特に一人でさ迷っている人は、是非扉を見つけて。
そう願いを込めた時。
思わず足を止めた。
下り階段の先。こちらに背を向けて座り込んでいる男の子がいる。一瞬警戒して、すぐに解いた。彼は大丈夫。知っている人だ。後ろ姿でも分かる。何故なら彼は、私を認識できた稀有な人だから。
それでも呼びかけは何故か疑問形になってしまった。
「高橋君?」
多分、結構な時間ここをさ迷っていたんだと思う。振り向いてこちらを見上げてきた顔には疲れが見えたし、目にはほっとしたような、嬉しいような、驚いたような様々な感情が滲んでいた。
こちらを見上げてきた男の子は、クラスメイトの高橋聡君だった。