ー長谷川ー
学校が終わるとその足で進学塾へ行き、名門中学校入学を目指すための受験勉強に励む。それが、長谷川のいつもの日常だった。
父親は有名私立大学を卒業し、大手商社に入社したエリートサラリーマン。母親はお嬢様女子大学を卒業した専業主婦である。
長谷川は厳格な父親の元、厳しく育てられたが、それでも年に一度は海外へ家族旅行に行くし、家族仲は良好そのものだった。勉強はやればやっただけ学力がついたし、運動は何もせずとも運動神経抜群だった。友達作りにも苦戦せず、常に誰かしら自分を尊重し立ててくれるクラスメイト達に囲まれて、長谷川の学校生活は滞りなく過ぎていった。はずだった。
小学五年生の春にクラス替えが行われ五年二組の教室に入ると、今まで存在すら知らなかったような顔がちらほらと見えた。けれど、見知った顔も幾つかあって長谷川は安堵から思わず笑みを浮かべた。
生徒達は全員、最初の授業の時間を使って自己紹介をするようにと、ポニーテールにジャージ姿の女性担任から指示を受けた。
出席番号順で一人ずつ黒板の前へ出てゆく。
長谷川は記憶力が良いため、顔と名前や趣味を簡単に記憶できる。この中で、仲良くなれそうな新しいクラスメイトを吟味しながら自分の番が回ってくるのを待っていた。
ところが、順調に進行してゆく自己紹介の流れを止める者が現れた。その者は、髪の毛がボサボサで乞食みたいな外見をした根暗オーラ全開の女子だった。女子は黒板の前に出てから直立不動のまま、一言も全く何も喋ろうとしない。
何だこいつ、浮浪者か……?
それにしても、不気味すぎる。
長谷川は、初めは寛大な心持ちで女子が喋るのを待っていたが、待ち時間が刻々と増えてゆくのにつれて苛々し始めた。一人の女子がみんなの時間を奪ってゆくことに納得がいかなかった。
結局、女子は担任の手助けにより名前を丸井章子ということ、趣味は読書だということが分かった。長谷川は自分の頭の中で、丸井章子の名前の横に赤字で、
迷惑極まりない肥満気味のブス
と書き込んだ。
その後、順番が回ってくると長谷川は模範的な自己紹介を淡々と行った。
長谷川にとって丸井とは見た目からしてあまり関わりを持ちたい存在ではなかった。しかし、嫌な試練が長谷川を襲う。ただでさえ丸井がまとう根暗全開オーラは不気味すぎて、その凄絶さは息を呑むほどで、とても無視できるようなものではない。それにも関わらず、席替えの度に同じ班になったり隣の席になったり、やたらと近くに座ることを強いられるのは何かの因果なのか。
そして、何より長谷川を驚かせたのは、丸井が同じクラスメイトの間中とは普通に談笑ができるということだった。
喋れるんじゃん、こいつ。
何なんだよ。訳が分からない。
この女、本当に頭がおかしいのかもしれない。
長谷川は頭の中で丸井章子の名前の上に大きく赤字でバツをつけると同時に、
嫌い
と心の中で呟いた。