第2話 あやかし心中(中)
目の前の螢十郎という男は、復讐代行業を名乗った。
親兄弟が殺された場合に、仇討ちを許される制度はある。
だが、それも武士階級の話であり、町人は含まれない。
また、その武士にしても勝手は出来ず、上の許可が必要だった。
そして、ここで殺された女は町人だ。
つまり、町方が捕らえない限り、遺族は泣き寝入りするしかない。
だから、そういう裏家業も納得はできる。
だが、調べもせず斬りかかるなら、もうただの辻斬りと変わらない。
墨之介は、螢十郎をキッと睨み返した。
「復讐代行業などと、そんなものただの殺し屋ではないか!」
「おうよ。真っ当な商売ではないな。だが、そうしてでも仇を討ちたい者もいるのだ。力を持たぬ者が、どうして復讐を遂げられる? 相手が、オマエのような腕に覚えのある者ならなおさらだ」
「だから、待てと言うておる! 私は下手人などではない!」
「下手人は大概そう言う」
螢十郎が再び斬りかかる。
墨之介も今度はたまらず、懐のそれを抜いた。
金属と金属が交差する音が響く。
螢十郎は、その墨之介の得物を見て驚いた。
「苦無とは……。貴様、忍であったか」
「……いや? 牢人だが」
「苦無を使う牢人なぞ、どこにいる⁉︎」
「ここに」
「……」
「良いか、斬田よ。とにかく、まずは話を聞け。私は事件屋を営んでおる『黒河墨之介』という者だ。最近、女が殺される事件が多発しておるな? 私が調べておるのは別件だが、関連があってこの女のことも調べていただけだ」
「ほうほう、事件屋とな。またそれらしい嘘を。だが、どうして一部の者しか知らぬ情報を知っているんだ?」
「それは、私が町方から聞いたからだ」
「町方がそんな簡単に情報漏らすかよ!」
「いやまぁ、言いたいことは分かるが……。本当にそうだからのう」
「全くのらりくらりと。だが、もう許さん。この妖刀『取り憑き女房・啜り泣きお炎』の錆にしてくれる。オマエには見えるか? この刀に宿し、女の怨念が!」
「なっ⁉︎ なんだその刀は⁉︎ そ、その女は誰だ⁉︎」
「くくく、ほぅらなぁ? やっぱりオマエだ、オマエが下手人だ! コイツはここで死んだ女。刀の妖気につられて、俺に取り憑いたのさ。オマエへの怨念を晴らすためにな! この女が見えるということは、やはり貴様こそが下手人よ!」
「ま、待て! だから、私ではない!」
墨之介は苦無で抗った。
だが、間合いでは明らかに相手の刀が勝る。
更にはこの男、復讐代行業というだけあってか、それなりに腕が立つようだ。
墨之介も苦無でいなすことしかできずに、防戦を強いられていた。
「しかし、お前さん。そんな小さい得物でコイツを躱すなんざ、相当な腕前だな。それで腰に差してりゃ、俺と対等にやれたろうに。まぁ忍ってなら、いっそのこと術でも使ってみるかい?」
だが、その時、通りに数人の通行人がやってくるのが分かった。
まだ遠いが、近くまで来れば、この状況は騒ぎになるだろう。
「くっ⁉︎ まずいな、誰か来やがるな?」
螢十郎は一瞬、通行人に気を取られた。
しかし、墨之介はそれを見逃さない。
一気に螢十郎の胴目掛けて突進した。
螢十郎はその動作を躱わせず、無理矢理刀を振るうも苦無でいなされてしまう。
そして、墨之介の体当たりは成功した。
「ぐふぁ⁉︎」
墨之介の肩が、螢十郎のみぞおちにめり込む。
螢十郎は息ができず、一瞬怯んでしまう。
墨之介はそのまま螢十郎を押し倒す。
二人は、街道のすぐ隣の緩い坂を転がり落ちていった。
「くあっ⁉︎ テ、テメェ⁉︎ ……ぐっ⁉︎ ……クソ!」
うつ伏せに倒れた螢十郎の上に、墨之介が乗っかる形になった。
右腕は絡め取られ、刀も手放してしまっている。
そして、螢十郎の首には、墨之介の苦無が押し当てられていた。
「勝負あったな」
「まさか、女を殺すような下衆野郎がここまでの手練れとはな。抜かったぜ。……さっさと殺せよ」
「だから言うておろうに、私は違うと。それに今回はたまたまだ。貴様は強いが、どうも剣にもムラっ気があるようだな」
そう言って、墨之介は螢十郎を解放してやった。
螢十郎は戸惑いながら、自分の刀を拾う。
「本当にお前さん、殺してねぇのかい?」
「だから、殺してないと何度も言っておる」
「なぁ、お前さんはどう思う?」
螢十郎は自分の隣にいる女の亡霊に、当たり前のようにそう話しかけた。
だが、墨之介には理解できない。
「は? なんだその刀は? その怨霊と会話できるのか? そんな無茶苦茶な……」
「無茶苦茶と言われてもなぁ。……で、どうだいお前さん。この男がお前さんを殺したのだよな?」
だが、女の亡霊は少し考えて、首を傾げた。
「……いや、その女もよく分かっておらぬではないか」
「まぁ、死ぬ前後の記憶ってのは、曖昧なものらしいからな。仕方あるまい。だが、怨念があるからこそオマエにも見えているんだろう。この女は普通の者には見えんからな」
「……もしかして、妖気が見える者には見えるのではないか?」
「どういう意味だ? オマエは妖気が見えるのか?」
「見える。というか、私も純粋な人間ではないからのう。諸事情があって、半分混ざっておる」
「なんだオマエ、半妖なのか。なら見えてもしょうがないな」
「しょうがないって……。そんな曖昧な理由で私は殺されかけたのか……」
「まぁまぁいいじゃねぇか。身の潔白が証明できて」
「貴様が言うか。人違いで殺そうとしておいて、まったく酷い奴だな」
「……結局、下手人には会えずか。オマエの方の別件ってのも、殺しがらみってことなんだよな?」
「まぁそうだな。関わりがあるかは分からぬ。共通点も『殺し』と、あとは『薬』という点ぐらいだが」
「薬……。あの桃源郷というやつのことか。なら、その線で探ってみた方がいいかもな。なぁ、どうやら俺とオマエは近いものを追っているみたいだ。詳細が分かるまでは協力しないか?」
「情報の共有はいいだろう。だが、私は復讐の片棒なんざ御免だぞ? そういうのは、私の知らないところで勝手にやってくれ。」
*
二人は手分けして、薬の流通経路を探る。
そして、夕方。
二人共、待ち合わせ場所の茶屋に来ていた。
墨之介の方が先に来ており、先に団子を食って待っていた。
そして、つい今し方螢十郎がやってきて、おせんに団子を頼んだところだ。
墨之介はお茶を啜り、ゆっくりとそれを置いた。
「調べて分かったのだが……。例のもの、思いの外蔓延しているようだな。なかなか大元まで辿り着けぬ」
「世も末だな。しかし、その手のものなんて、今までもあっただろう? 何だって、それだけがそんなに広まってしまったんだ?」
「他と言えば、阿片か。適量であれば、治療に利用されるものだ。だが、これは入手しづらく高価だ。町人がおいそれと買えるものではない。例のあれが広まったのは単純に安価だからだろう。阿片の半値もせんようだ」
「まぁ高いってんじゃ、おいそれとは手に入れられねぇよなぁ」
「だが、例のものの主成分は恐らく曼陀羅華と思われる。これも本来は治療に利用されるものだ。だから、そこまで安価ではないはずだが……。もしかすると、独自の流通経路があるのかもしれん」
「治療用なのか? 聞く分には、問題なさそうだが……」
「ああ。だが、毒はある」
「じゃあ毒草じゃねぇか」
「使い方や量にも依るし、加工次第で性質が変わる。附子というのがあるだろう。あれもそのままでは毒だが、手を加えれば薬にもなる。曼陀羅華もその類だな。ただ、過度に摂取すれば、それでも毒となるだろうな」
「ちょいと墨さん、物騒な話は外でやってよ?」
二人が物騒な話をしていると、茶屋の看板娘おせんが話しかけてきた。
彼女は螢十郎の横に、団子の皿とお茶を置いた。
「ああ、すまぬ」
「例の、例のって、桃源郷ってやつでしょ?」
「なんだ、おせんも知っておるのか? まさかお主も……?」
「いやね、私は使ってないわよ? 見たことはないけど、話には聞くのよ。こういう商売だと、結構噂が聞こえてくるのよね。それこそ、あまり人には話せないことも……、ね? こういう世の中だと、現世を忘れたい人もいるんじゃないのかな。まぁ私は毎日忙しくて、忘れてる暇なんてないけどね」
「ふむ……。して、おせん。何か欲しいものがあるのか?」
「ん? どういう意味だい?」
螢十郎には、墨之介がおせんに言った言葉の意味が分からなかった。
「要するに、情報をあげるから、何か寄越せという意味なのだよ。今の話は」
「ああ、なるほど。案外、しっかりしてんだな、お嬢ちゃんは」
「あら、螢十郎さんって言ったかしら? お嬢ちゃんだなんて、あんまりね」
「斬田、おせんを怒らせるな。あとが怖いぞ。彼女はここの看板娘だが、同時に腕利きの情報屋でもあるのだ。こういうところは、情報が集まりやすいしな」
「そうよ? そんなこと言うなら、貴方には教えないわよ?」
「む⁉︎ そうなのか⁉︎ それは困る。分かった、取り消す。御免よ……」
「分かったなら宜しい」
「で、何が良いんだ?」
「うーんとねぇ、伊織奇乃香の弁天浮世絵がいいな」
「奇乃香って、あの役者のか?」
「斬田、貴様は知っているのか?」
「え? 知らねぇのか? 歌舞伎だよ歌舞伎。女形で大層綺麗だって話さ。有名だぜ? でも、その浮世絵って、結構入手するの大変だぞ……?」
「店に売ってないのか?」
「売ってんだけど、すぐ無くなっちまうんだとよ。それはもう、刷っても刷ってもすぐ……、な」
「そうよ? 歌舞伎だって、いっつも満員で滅多に見られないって話。私は忙しくて、そもそも行けないんだけど。だから、せめてね。浮世絵欲しいなぁ」
「分かったよ。この螢十郎に任せておきな。なんとか手に入れてきてやるよ」
「本当⁉︎ 絶対よ⁉︎」
「で、その肝心の情報ってのは、使えるやつなんだろうな……?」
「えっとね……」
それからおせんは、二人に耳打ちするように小声で話した。
*
おせんの情報は確かだった。
なにせ彼女の情報は、ただ聞き齧っただけのものではない。
いくつもの情報を多角的に突き合わせ、そこから新たな情報を導き出す。
勿論、それは推測したものもあるし、噂話も含むので本来確度は低い。
だが、彼女にはそこから真実を導き出す嗅覚のようなものがあった。
それこそ、彼女の腕利きの情報屋として力なのだろう。
二人は、おせんからの情報を元に辿っていく。
すると、とうとう薬の販売元と思しき場所に行き当たった。
それは、鴞谷一家という筋者だった。
夜になり、二人はそこへと向かうことにした。
だが途中、複数人の気配と足音を察知。足を止める螢十郎と墨之介。
「オイ」
「分かっておる」
すると、暗闇から男たちが現れた。
「何やら嗅ぎ回ってんのはテメェらだな? どこの回し者だ?」
キッと睨み返す螢十郎。
「ああ、ちぃとばっかし臭くてなぁ。鼻が良いもんだからついな。お? おお、オマエらからもぷんぷん臭いやがる。臭ぇ臭ぇ餓鬼どもの臭いがな!」
「ああん⁉︎ 喧嘩売ってんのかテメェは⁉︎」
「そうだよ、売ってんだよ! 危ねぇもん、ばら撒いてよぉ⁉︎ オマエらのせいで死ななくていい奴が死んでんだ。ちったぁ、申し訳なさそうにしてもいいと思うんだがな?」
「うるせぇ! テメェら、ちょっとウチまで来てもらおうか? たっぷり可愛がってやっからよぉ?」
その場にいた複数人の男らは、墨之介と螢十郎を取り囲んだ。
「あい分かっ……」
墨之介が何かを言いかけたとき、螢十郎は腰の刀に手をかけてしまった。
「何だ? やるってぇなら、相手してやってもいいぜ? ぶっ殺されたいヤツから、かかってきな。コイツの錆にしてくれるわ」
墨之介は、はぁと深いため息を吐く。
「まったく、貴様は喧嘩っ早い奴だのう。素直に着いていけば良かろうに」
「なんでだよ! コイツらが薬流してる悪者だろう? ここで、全員ぶっ殺しちまえばいいだろうが」
「それより奴らの家までついて行った方が、一網打尽に出来たであろうが」
「……お、おう? たしかに?」
「浅慮なのだ、貴様は。少しは考えろ」
周りの男たちは長ドスを抜いてしまい、結局は戦う羽目になってしまった。
*
そこは鴞谷一家が住む屋敷。
頭である鴞谷玄坐は、子分たちに睨みを効かしながら、煙管を燻らす。
「オイ? 銀次のやつ、若いの連れてったっきり、帰ってこねぇな。いい加減誰か見てこいや。……まったくウチの縄張り嗅ぎ回ってるなんざ、お上の犬じゃねぇだろうな?」
だが、その時。部屋の襖が蹴破られる。
慌てる玄坐。
「どぅわ⁉︎ な、なぁんだぁ⁉︎」
二人の見知らぬ男が、土足のままズカズカと部屋に入ってきた。
それは墨之介と螢十郎だった。
螢十郎は、玄坐の首に刀を突きつけた。
「オイ、オマエがここの頭だな?」
「なんだテメェら! オイ、オマエら、ぼうっとしてんじゃねぇ!」
玄坐の声で、思い出したように長ドスを抜き、墨之介らに斬りかかる。
だが、墨之介は無手のまま、長ドスをいなし、相手の腹に当て身を見舞う。
鈍い呻き声を上げながら、相手はうずくまって動かなくなった。
二人ほど叩きのめすと、他の者らは戦意喪失してしまった。
長ドス相手に怯むどころか、意図も容易く叩きのめしてしまったのだ。
力の差は歴然だった。
「な、なんなんだオマエら、一体……」
「別に私は殺しに来たわけではない。ただ少々情報が欲しくてな。……だが、そっちのは違うぞ。貴様らを斬りたくてしょうがないのだ。ここに来るまでここの若衆がいたが、殺さぬように言い含めるのに苦労したわ」
「オマエが、『殺したら喋らなくなるかもしれん』て言うからよ……。まったくお優しいこって。コイツ以外を全員ぶっ殺しゃ、コイツだって流石に喋るだろうに。そっちの方が手っ取り早いだろ」
「貴様と一緒にするでない。私とて、此奴らなぞどうなろうと知ったことではない。だが、貴様のように毎度毎度殺し回っていたら、棺桶がいくつあっても足らぬわ。というわけで、いくつか喋ってもらおうか?」
「テ、テメェらに話すことなんざ無ぇ! こちとら喧嘩稼業、舐められたらお終ぇよ! ほら、オマエら! ぼうっとしてねぇで、早くコイツらぶっ殺せ!」
だが、若衆も軽々には飛び掛かりはしない。
すると、螢十郎が手首を返し、玄坐に刀の刃を見せた。
「オイ、オマエ。俺の刀が見えるか? この刀身に何が映って見える?」
「は? 何を言って……、ひぃ⁉︎」
玄坐が刀身に見たのは、目だった。
ぎろりと睨め付ける怨念の篭った目が、玄坐を見ていたのだ。
そして、ふと気がつくと、そこに複数人の男女が滲むように姿を現していた。
それは、ここで殺された人々の怨霊であった。
「俺の刀は妖刀。死んだ人間の怨念が籠るのよ。さっそく、ここで死んだ奴らが群がって来やがったぜ。なぁ、見えるか? 全員オマエの知った顔か? コイツらが見えているってことは、オマエさん、相当恨まれてるってことだぜ?」
「わ、わわわわわ……!」
慌てふためく玄坐。
その様子を見ていた墨之介は、感心するように呟く。
「その刀、便利だのう」
「だろ? しかしまぁ、これはこれで面倒なんさ。ひっきりになしに取り憑かれるし、そもそも俺はこの刀に取り憑かれているしな。捨てたくても捨てられん。橋からぶん投げても、次の日には枕元に戻ってきているくらいだ」
「捨てたのか……。まぁ考えようによっては、それも便利ではないか。無くしても戻ってくるのであろう?」
「そういう考え方もあるか……」
そんな風に墨之介と螢十郎が話していると、怨霊はどんどん増えていく。
そして、それは部屋を埋め尽くすほどになった。
他の若衆らにも見えているようで、玄坐と同じようにあらん限りに怯え始めた。
「ひぃいいいいいい!」
「くわばらくわばら……。なんまんだぶ、なんまんだぶ……」
そうしていると怨霊たちが、玄坐や若衆の身体に取り憑き始める。
玄坐は背筋が凍るような寒気に襲われ、思わず叫ぶように助けを求めた。
「ひぃいい! た、頼む! 助けてくれ! な、なんでも話すから!」
「まぁ、話すのは当然としても……。そいつらは消せないぜ? というか、最初からここにいたしな。ただ見えるようになっただけだ。だって、オマエ。ここで暮らしてて寒気がすること、前にも無かったか?」
玄坐は顔が青ざめる。
どうやら、その言葉に思い当たるフシがあったようだ。
「まぁ、これに懲りたら、真っ当に生きるんだな。調子に乗るなよ? 俺はいつでもオマエらを殺せるんだからな?」
「それで誰それに売ったかは、名簿やらあるかい?」
「くっ⁉︎ オイ、は、八。きゃ、客人にアレ、渡しな。」
「ひぃぃ、わ、分かりやした。い、今すぐ持ってきやす!」
「斬田、貴様の刀は本当に有能だな。……主人と違って」
「一言余計だ。それに、そんなに褒めてもコイツはやれんからな?」
その後、すぐに若衆が名簿を持ってきた。
玄坐はそれを螢十郎に渡した。
「ちょ、直接売った奴はそこに記録してある。こ、こっちも客あっての商売だからな。だが、間接的に捌いてるのは全部は分からんぞ。……だ、だから、早くコイツら何とかしてくれぇ……」
「とりあえずは中を見てだな。捌いてる奴は、こちらであたるから問題ない。だがそれにしても結構あるな。これ全部あたるのは、骨だぞ……?」
「そうさなぁ。なぁ、どっか武家の者に売ったことはあるかい?」
「武家? そりゃあるにはあるが……。一体アンタ、誰を調べているんだ?」
「馳倉の息子がいないかと思ってな」
「馳倉……? ああ、あの態度の悪い兄ちゃんか」
「知っているのか?」
「知ってるも何も、ほれ、そこの……、ああどこだ。これだ。ちゃんと名前書いてあんだろ? 態度は悪いがな、上得意だ。こんな量、何に使ってるかは知らねぇがな。まぁ武家連中に売り捌いてんだろうな。だが、こういうとこで本名使うやつだ。あんまりモノを考えてねぇんだろうな」
*
次の日。
墨之介と螢十郎は、名簿を元に二人で手分けして手がかりを探すことにした。
なお、鴞谷一家の怨霊騒ぎは、螢十郎が刀を鞘に収めるとすぐに消えた。
だが、それは見えなくなっただけ。結局、玄坐らは怯えたままだ。
一家の者たちは、それから悉く気が狂い始めるのだが、それはまた別の話。
墨之介は馳倉を軸に調べ始めたところ、様々情報が得られた。
以前は、高名な師範のいる道場に通っていた。
だが、売人紛いなことをして破門になっている。
そして、馳倉戯由は養子であった。
ただ、この男も不憫な境遇ではあった。
子が望めない馳倉家の養子になった。
だが、それから暫くして、馳倉の家に子が産まれてしまったのだ。
名目上の長男は、勿論戯由だ。
しかし、家督は実子である次男が継ぐという話がある。
ただし、それ以前からも随分と素行の悪い男だったようで。
次男がいなくとも、この男が家督を継げたかは微妙なところだ。
特に女に対して妙な執着心があったようだ。
家の金を勝手に持ち出しては、岡場所に入り浸っていた。
更には、それだけで飽き足らず、町人の娘を手篭めにすることもあったようだ。
(正直、話を聞くだけでも胸糞悪い男だ。これではいつ何時、殺されても文句は言えまい)
墨之介は螢十郎と合流する。
だが、螢十郎は困惑しているように見えた。
「それがな。どうにもおかしな話になってきた」
「おかしな話? 殺された娘の方を、薬の方面からあたっていたのであろう?」
「ああ、そうなんだが……。娘の方はさっぱり接点が見えてこない。その上、例の男の話が出てきてな。お前さんの調べている馳倉の放蕩息子さ」
「……はぁ? なぜそんなことに?」
「奴さん、どうも娘に付き纏っていたらしく、とうとう人気のないところで……。ただその時は、別の侍が助けてくれたようでな。事をなきを得たらしい。だが、問題はそれからよ。この侍、その数日後に辻斬りで死んでしまった。その際、戯由は町方の取り調べを受けている」
「なるほどのう。調べれば調べるほど、怪しげな男だ。……まさか、例の女を殺し回ってるのは此奴ではないだろうな」
「可能性はあるな。なにせ、その辻斬りというのは、夜とはいえ町中の話よ。一部を目撃した者がいたんだ。だが、すぐに無罪放免となった」
「無罪放免? 見たものがおるのだろう?」
「それがな、侍を殺した刀が見つかっておらんのだ。町方も必死で探したようなのだがな。それも切り口からはただの刀ではないらしくてな。野太刀のようなかなり大きなもののようだ。なにせ、侍は袈裟懸けで両断されている」
「私のも貴様の件も、戯由が関わっていると思って間違いなさそうだな」
*
それから、二人は馳倉戯由を見張ることにした。
もしかすると長期戦になるかもしれない。
そう、二人は意気込んでいたが、そんな心配は無用だった。
戯由は見張を始めたその日には、もう怪しげな行動を始めたのだ。
女のあとをつける戯由。
そして、その戯由をつける二人。
だが、女は人気のない場所へは行かなかった。
結局、戯由はその女には何もしなかった。
「なぁ、今回は何もしなかったが、こりゃクロじゃねぇか? アイツ、明らかに女を物色してるぜ?」
「しかしなぁ。何の証拠もないでは、結局無罪放免になってしまう」
「んなもん、関係ない。俺は復讐の代行ができればそれでいいんだよ」
「だから、私は『それ』の手助けはせんと言ったろうに。それに明確な証拠がない以上、また人違いになるやもしれんぞ?」
「そうかなぁ。絶対奴だと思うのだが」
「貴様のその自信は、一体どこから来るのだ……」
だが、戯由はそのまま人気のない場所まで歩いていった。
二人はそれについていくと、早速そこで目撃してしまう。
とうとう戯由は女を襲ったのだ。
女を押さえつけながら、さらに暗闇の中へと連れていく。
「オイ、アイツやりやがった! 行くぞ!」
「おう」
二人が助けに入った時、女はグッタリとして動かなかった。
すぐに螢十郎は女から戯由を引き剥がす。
だが、女はすでに恍惚とした表情をしていた。
「なっ⁉︎ こりゃ、一体……」
「なんだぁ? オマエら?」
「貴様、馳倉戯由だな。これこそ決定的な証拠。貴様が女を殺して回っていたのであろう? 神妙にいたせ」
「俺の名前を知ってるのか。そうか、なら生かしてはおけんな……」
戯由はそう言った瞬間、墨之介の目の端に何か巨大なモノが映る。
咄嗟に苦無を構えたが、それはとても受け切れるものではなかった。
墨之介はそれを袈裟懸けに受けてしまう。
「墨之介!」
螢十郎は叫ぶ。
夜の暗闇に、墨之介の血飛沫が舞った。