第1話 あやかし心中(上)
「まったく……、おかしなことが続くものだ。こうも死体ばかりでは、こちらの身が持たぬわ」
男はため息まじりにつぶやく。
彼は町方同心『西裏勢士郎』。
代々、江戸を警備する役目を仰せ付かる。
今朝方、川原で遺体が発見された。
そのせいで、こんな早朝から辺鄙な場所へと足を運ぶ羽目になってしまった。
実はここ最近、物騒な事件が多発しているのだ。
特に女が殺害される事件が多い。
しかも、必ず遺体の一部が失われているという猟奇性。
その切り口にしても、どのように行われたかも分からない。
今のところ、相手は獣だとされているが、その姿を見たものもいない。
また、それ以前には辻斬りも多発していた。
だが、こちらはいつの間に立ち消えになってしまった。
その件も、結局科人(=罪人)は見つかってはいない。
それにしても、岡っ引きの甚六の話は要領を得ない。
青い顔をして、何やら念仏を唱えるばかり。
この男は『とにかく見てください』としか言わないのだ。
有能ではないが、信心深く誠実な働き者である。
ただ、それが裏目に出ることもしばしば……。
とにかくまずは、その遺体を検分しなくてはならない。
「して、甚六よ。もう着くぞ? もう良いだろう。勿体ぶるでない。私はまだ、心中遺体だとしか聞いておらんのだ。いい加減仔細申せ」
「西裏様。とにかく見て頂ければ、すべて分かります。二人がこう絡み合うように……。ああ! あっしはもう、畏れ多くて畏れ多くて……」
「まったく、遺体の何が畏れ多いのだ。とにもかくにも拝んでおけば良いであろうに。死んでしまえば、皆同じ骸だ」
西裏という男は、あまり神仏の類に興味はなかった。
自身の行く末すらも、妙に達観しているほどだ。
町人だろうと侍だろうと、死ねば同じなのだと。
そこにあったのは、絡み合うような男女の遺体だった。
だが、西裏もその遺体を目前に確認したことで、ようやく理解する。
「なるほど、これは面妖な……」
それは、あまりに奇妙な心中遺体であった。
*
暗い闇夜が滴り落ちる。
その男は、飲み込まれていくような錯覚に陥る。
「私ではない。……違う、殺したのは私じゃない」
男の手は血に染まり、その熱い血は朝露のように零れ落ちる。
しかし、その熱も急速に失われていく。
その量も人であったならば助かるまい。
ただその記憶は、男にとっては自分のものではなかった。
「誰だ? 誰がいる? 私の中の、お前さんは誰なんだ……? いや、私こそ一体誰なのだ……?」
男が頭を抱えると、見る間に目前の世界が崩壊していく。
自身と別の誰かの境界が曖昧になり、少しずつ溶けていくような錯覚だった。
……そこで、男は目を覚ました。
「オイ、墨の字。起きろ。……ええい! いい加減起きんか!」
「がはっ⁉︎ な、何が⁉︎ ……あ、ああ、これはセツ様。えっと、おはようございます」
男が目を覚ますと、自身の布団の上に幼女が座っていた。
どうやら、彼女に頬を打たれ起こされたようだ。
「『これはセツ様』ではないわ。おぬし、またうなされておったのう。何度殴っても起きんから心配したわ。また、半分あちらに行ってしまっておったのだぞ? 何度も言うておるが、おぬしはもうあちらと繋がってしまっておるのだ。不用意に覗くではない。」
「それは理解しておりますが、寝ている時は私の意思とは勝手に……」
「まぁ夢というものは、彼岸と繋がっておるというからのう。おぬしのその体質、早々にどうにかせんとな。まったく難儀なことじゃ」
「……ところで、セツ様」
「なんじゃ?」
「もうそろそろ、降りていただけないでしょうか……?」
「なんじゃ、ワシが重いというのかえ?」
「いえ、そのような……」
「むむむ? ほ、ほう! おぬしさては、照れておるなぁ〜⁉︎ ようやっとワシの魅力に気付いたかのう〜⁉︎ 愛い奴め〜!」
「い、いえ、決してそのような……」
その時、部屋の隅からしわがれた声が聞こえてきた。
「セツ様、墨之介様。朝餉の準備ができております。冷めぬうちにご用意しても宜しいでしょうか?」
「はぁ〜、音次。音次よぉ? おぬしは有能だが、とんと空気が読めぬ。見て分からぬか? ワシは忙しいのじゃ。後じゃ後。飯なぞ後じゃ」
「あ、いえ! 頂きます! 今すぐ頂きますので!」
男は跳ね起き、転がる幼女。
「まったく、照れおってからに……」
そうして3人で朝食を食べる。いつもの風景だ。
『墨の字』と呼ばれていたのは、『黒河墨之介』という名の牢人だ。
今や主君を持たぬ彼は、この貧乏長屋でひっそりと暮らしている。
そして、セツと呼ばれた幼女は名を『刹那』という。
元は姫君であり、墨之介の主君でもあった。
だが、のっぴきならぬ事情により、家から放逐されてしまった。
今では、墨之介の部屋に居候している始末。
また、『音次』という小男はセツの下男だ。
セツが放逐された時に一緒についてきた。
墨之介からすれば、本来なら二人とも追い出したいところ。
だが、さすがに元主君、無理に追い出すわけにもいかず。
その上、音次が作る飯の美味さが、その気持ちを鈍らせてしまう。
今ではすっかりこの風景も馴染んでしまった。
墨之介が美味い朝餉を堪能していると、音次が淡々とした口調で告げる。
「ところで墨之介様。ご依頼が入っております。食後にお茶をお出しする際、仔細お伝え致します故……」
「え。あ、はい」
言うなら今でも変わらないし、なぜそれを今言うのか。
そんなことを考えると、美味しいはずの味噌汁の味も分からなくなってくる。
この音次の空気の読めなさは、わざとなのではないかと勘繰ってしまう。
どの道、音次のところにくる話なぞ、面倒事しかないのだから。
*
墨之介は、茶屋で休憩をしていた。
仕事は今のところ、可もなく不可もなく。
おおよそ予想通りの進展だ。
今はその内容を反芻するが如く、頭の中で思案していた。
依頼というのは、人探しだった。
実はこの墨之介、事件屋を生業としている。
捜査といえば、町方や岡っ引きの仕事だが、対象は専ら科人や証人だ。
それ以外の人探しや物探しといった内容は、墨之介のような者が扱うのだ。
言わば私立探偵である。
依頼人は、とある商家の若旦那だ。
昨晩から奥方が出かけ先から戻らず、行方不明になっているのだそうだ。
両親である老夫婦も心配し、くれぐれも宜しくお願いしますと念を押された。
旦那は婿養子で老夫婦とは義理の親子ではあったが、仲は良さそうに見えた。
彼女の名は『はつ』という。
失踪当時の服装は、黒を基調とした紫陽花柄だそうだ。
(ふむ……。失踪か、拐かしか。あそこは裕福な商家だ。拐かしの可能性も十分ある。だが、身代金の要求もないのではな……。考えたくはないが、すで殺害されている可能性も……)
実は墨之介、ここでは人を待っていた。
だが、待ち合わせをしているわけではない。
この時間になれば、やってくるであろう人物がいるのだ。
そして、その人物は案の定やってきた。
ソワソワとしながら、店に入ってくるが見える。
「ああ、おせん。今日もなんだ……、いい天気だのう」
「ええ、そうでございますね、西裏様。いつもので宜しいです?」
「お、おおう。頼む。ああ、それからのう……。い、いや、なんでもない。座らせてもらおうかのう」
看板娘『おせん』が応対したのは、町方同心の『西裏』だ。
この男は、おせんが目当てで、こうしてちょくちょくサボりに来ているのだ。
だが、墨之介の顔を見ると、あからさまに怪訝そうな表情に変わってしまった。
「……ぐっ⁉︎ 貴様おったのか、黒河墨之介。牢人が昼間から茶屋なぞ、良い御身分だのう」
「いえいえ。お待ちしていたのですよ、西裏様」
「む、むむむ! 知らん! 知らんぞ! 儂は何も知らんからな!」
「まぁまぁ、西裏様。貴方と私の仲ではありませんか?」
「知らん! 貴様のせいで儂がどれだけ……」
そこへ、おせんが団子とお茶を持ってやってきた。
「あら、何のお話です? ……はい、どうぞ、西裏様。いつものです」
「ああ、聞いてくれよ。おせん、西裏様がなぁ」
「なっ⁉︎ オ、オイ、貴様っ⁉︎ 何を⁉︎」
「先日、私が難儀していたところを助けて下さってなぁ」
「まぁ! 本当ですか?」
「た、助けた……? 何の……、話だ……?」
「忘れてしまわれたのですか? 私の仕事が行き詰まっていた時に、的確に助言を下さったではないですか。さすがはお上から大役を任されているお方。西裏様に分からぬことなぞありましょうか。私はもう感服いたしましたよ」
「まぁ、そうでございましたか。さすが西裏様ですね」
「あ、えっ、オイ。貴様、黒河……。お、おせん、これはだな……。くっ⁉︎ そうさなぁ。町のことで、儂に知らぬことなぞ無いと言っていい、かな」
墨之介は心にもないことを言い、西裏を煽てる。
なお、おせんも実は墨之介の仕込みである。
予め、話を合わせるように頼んであったのだ。
だが、そのおせんも別の客が来てどこかへ行ってしまった。
グッタリした西裏。妙な脂汗をかいている。
「……まったく貴様は調子のいいやつだな。……それで? どんな情報が欲しいのだ? あまり面倒なのは駄目だからな?」
「私が欲しいのは、とある女の情報です。人探しを頼まれたのですが、もしやと思い……。そうでなければ良いとは思いつつも、まずは西裏様の方へお聞きした方が確実かと思いまして」
「なるほどのう。最近は特に、女の遺体が多いからな。たしかに儂を頼ったのは正解かもしれん。して、特徴は?」
「『はつ』という女で、黒の紫陽花柄の着物の……」
「黒の……、紫陽花……」
西裏は少し考えて、ハッとした表情をした。
「貴様、また面倒な話を持ってきたのう……」
「面倒、とは……?」
「おそらく、今朝方に発見された遺体のことだろう。心中と思われるものだ」
「心中……、ですか? しかし、それは少々考えにくいですね……。一体誰と……。その遺体、確認させてもらうことは可能でしょうか?」
「貴様、あれとどういう関係なのだ? また傍迷惑な……」
「それは一体どういう意味で……?」
*
墨之介は西裏に連れられ、勢妙寺という寺まで来ていた。
西裏の話では、今朝方見つかった心中遺体が、『はつ』ではないかという。
もしそうなら、墨之介は家族が望まない報告をしなくてはいけない。
正直、気が重かった。
だが、心中というのは腑に落ちない。
『はつ』は裕福な商家に生まれ、優しい両親の元で育った。
最近は、有望そうな旦那にも恵まれ、暮らし自体には何の不満もなさそうだ。
勿論、本当は何かあるのかもしれないが真相は分からない。
心中というものは、特段珍しいものではない。
最近はあまりにも多くて、『心中は重罪人扱い』なんてお触れが出るほどだ。
死んでしまえば重罪も何もないのだが、生き残る場合もあるのだ。
もちろんその場合も改めて沙汰がある。
また、心中の場合は葬儀も禁止されている。
そして、ここ最近はその心中が特に多い。
勿論、それには理由がある。
それは、巷で流行っている怪しげな薬のせいだ。
その成分には、毒が使われているという。
それで、分量を間違えるとそのまま死んでしまうのだそうだ。
ただ大層気持ちの良いもののようで、その死に顔も恍惚としたものだとか。
そういった心中騒ぎや、昨今巷を騒がす女の惨殺死体。
おかげで西裏は、連日のように死体ばかりを拝む羽目になっていたのだ。
寺に着くと、奥の離れた場所にある土蔵へと通された。
墨之介には、特段に珍しいものは確認できなかった。
だが、住職の怯えた表情は妙に印象に残った。
土蔵の中へ一歩足を踏み入れる。
すると、冷んやりとして外気温よりもずっと低く感じた。
そして、墨之介はその中の遺体を視界に入れた。
だが、墨之介はそこで固まってしまった。
すぐ後ろには西裏もいる。
「これは一体……? 何の冗談で?」
「冗談ではない。ほれ、よく見てみろ。貴様の言う紫陽花柄であろう?」
たしかに目の前の遺体は、黒を基調とした紫陽花柄の着物を着ていた。
だが、問題はそういったことではなかった。
「これは蜂……、か?」
それは、ただの女の遺体ではなかった。
透けて見えそうな白く美しい肌。
そして、透き通るような薄い羽に、七色に光る複眼のような美しい眼球。
女は人間ではなく、蜂のあやかしであった。
「貴様の探していた者に相違ないか?」
「え? あ、ああ……、着物は確かにそうなのですが……」
「もしや、貴様もあやかしとは知らずに探しておったのか?」
「へい。このあやかしが本当に『はつ』かどうかは分かりませんが、たしかに黒の紫陽花柄。それにしても……」
「あやかしと心中なぞ……。他人の趣味をとやかく言うつもりはないが、理解はできんな……。それに、最近巷で流行っておる桃源郷とかいうものを使っておるのだろうな」
「あの……、怪しげな薬ですか?」
「ああ。ほれ見てみろ、この表情。なんとも気持ちよさそうに死んでおるわ」
たしかに、はつの表情は恍惚とした表情だった。
おそらく、その薬が使われた可能性は高いだろう。
「お前さんの探してたのがそいつだとして……。ってことは、その一家、あやかしの……」
「旦那、それ以上は言いっこなしですぜ。知らない方がいいこともある」
「まぁ、そちらは儂の仕事ではないしな。これ以上の面倒事は御免だ」
「して、こちらの男は何者です?」
蜂のあやかしの遺体の隣には、人間の若い男の遺体があった。
「さぁな。まだ調べの途中だ。見たところ、どこぞの武家の息子だとは思うが。聞き込みするにも、まさかあやかしと心中なんぞという話もできんでな……。見たところ、胸に少し傷があるくらいで、他には外傷もない」
だが、その時、遺体だと思っていた男が息を吹き返した。
「う、ん……? ぐっ! がはっ⁉︎」
男は呼吸をした後で、咳き込んで軽く嘔吐した。
これには、さすがの墨之介も驚きを隠せない。
西裏も動揺して、墨之介の着物を力一杯掴んでしまう。
「なっ⁉︎ く、黒河⁉︎ オ、オイ、此奴、生き返りおったぞ⁉︎」
*
息を吹き返した男は、目を覚ましてしばらくは混乱していた。
隣に横たわる蜂のあやかしには、特に動揺していたように見えた。
だが、少し経つと状況を理解し始めたのか、男もポツポツと話し始める。
とりあえずは寺の一室に移動し、医者を呼んだ。
息を吹き返したことを聞いた医者は、訝しげな表情だった。
「死んでいた……、のですか? 本当に?」
「胸あたりに傷がある」
「なっ⁉︎ 医者なぞ要らない! 俺は健康だ! 早く帰らせてくれ!」
だが、男は頑なに診察をさせず、結局医者は何も診ることもなく帰っていった。
西裏は男の前に座る。
「……で、お主。心中は重罪だぞ? 分かっておるのか?」
「冗談じゃない! だから、さっきから違うって言ってんだろうが! 俺は、殺されかけたんだよ! あ、あの蜂女に! あんな化け物と心中なんてするかよ! そ、そうだ! 最近、女を殺してるやつがいただろ? コイツだ、きっとそうだ! いやそうに違いない!」
顔を見合わせる西裏と墨之介。
「まぁ百歩譲って、お主の言う通り、あの女がお主を殺そうとしたとしよう。ならなぜあの女は死んでおるのだ?」
「そ、そんなこと俺は知らねぇよ。あ、そ、そうだ。突然苦しみ出したんだよ! 思い出した!」
「ふ、ふむ……。それで、お主はなぜあんな場所に?」
「ば、場所? ……俺はどこで発見されたんだ?」
「あ? ああ、街道沿いの……。ほれ、一本松の向こう側の」
「あ、ああ……? ああ、そ、そうだ。思い出したぞ。橋向こうまでお参りに行こうとしてたんだ」
「それは何時の話だ?」
「そ、それは……、ちょっと思い出せねぇ……。そ、そんなことどうだっていいだろ? あの蜂女が下手人だ!」
「しかしなぁ、お主よぉ……」
「とにかく家に連絡してくれ。俺は『馳倉戯由』だ」
「馳倉……? お主あの馳倉の……? 旗本の?」
困惑する西裏。
どうやらこの男、それなりの御家の子息だったようだ。
「分かった。使いを出そう」
西裏はそう言って、男を部屋で休ませたまま部屋を出た。
それに続く墨之介。
「ああ、しまった。甚六を連れてくるべきだったか」
「それでしたら、私が馳倉の方へ行きますよ」
「む、そうか? それは済まんな。頼まれてくれるか」
「はい、それはたしかに。……ですが、それにしても西裏様。なぜ嘘を? 発見された場所、一本松は逆側では……?」
「黒河、貴様も気付いておるのだろう? あの者、どうにも真実を言っておるようには聞こえぬ。かと言って、あの者が心中なぞするとも思えぬ。それでカマをかけたのだが……。彼奴め、お参りなどと適当なことを言いおって」
「旦那、たしかにこれには裏がありそうですね」
「どの道、旗本の子息となれば、真っ当な裁きも期待できん。はぁ……。すぐにはあの遺体は引き渡せぬが、いずれは貴様の好きにするが良かろう。まったく貴様と関わると、やはり面倒事しかないわ」
*
墨之介は馳倉の家へと向かった。
町方同心西裏の使いだというと、丁寧に対応をしてくれた。
戯由が寺にいることを伝えると、すぐにでも迎えを寄越すと言っていた。
それから、墨之介は依頼人である商家を訪ねた。
そこで娘のことを伝えた。
その際、遺体の頭髪に差してあったかんざしを渡す。
すると両親は泣き崩れ、夫も目を瞑り唇を噛み締めた。
やはり彼女はこの商家の娘だったようだ。
「お前さんらは、あやかしなのだな?」
「はい……。ですが、私どもは人なぞ食うてはおりません。はつにしても人を殺すなぞ、そんなこと有り得ませぬ」
「それは私にはまだ分からぬが、今回の件、どうにも腑に落ちぬ。心中であれば葬儀もできん。殺人の下手人ともなれば、こちらの家もただでは済むまい」
「なんとかなりませぬか? そのような汚名、死んだ娘が浮かばれませぬ。早く引き取って、供養してやりたいのです」
「そうだな。幸い、この件を取り扱う同心は、私の知り合いでな。文句は言うても、それなりに便宜は図ってくれよう。だが、まだすぐに遺体を引き取るのは無理だろう。それに、事件のことで同心から何か話はあるやもしれぬ」
「分かりました。今回の件、娘を見つけて下さりありがとうございました。……ですが、私どももこれでは納得できませぬ。追加報酬をお支払いします故、何卒、はつの無実を証明してはいただけないでしょうか?」
「心配するな。もとよりそのつもりだ。追加も要らぬ。ただ、期待はあまりしてくれるな。真実が分からぬ以上、お主らの希望通りになるかは分からぬ故」
*
次の日。墨之介は河原へとやってきていた。
途中、おせんのいる茶屋に寄ったところ、西裏の伝言が残されていた。
どうやら例の男は釈放されたようだ。
結局、旗本の子息をどうこうするには、決定的な証拠もない。
はつについても、遺体だけでは判断しようもなかった。
このままでは、何も分からぬまま有耶無耶になってしまいかねない。
はつが無罪かどうかは、墨之介の腕にかかっていた。
だが、河原へやってきても、何も目ぼしい情報は得られなかった。
そこで、墨之介は他の現場も回ってみることにした。
他の場所に関しても、予め西裏から情報を貰っていたのだ。
そこは、町からすぐ近くの街道沿い。
ここは、西裏が馳倉にカマをかけるのに口にした場所でもある。
墨之介が現場に訪れると、そこには花が置かれていた。
明らかに誰かに手向けるためのものだ。
まさにここで、女が死んだのだろう。
墨之介はそこでしゃがみ込み、手を合わせる。
(それにしても、情報と呼べるものは何もないな。西裏から聞いている現場は、どこも人気のない場所ばかり。聞き込みも出来やしない)
だが、墨之介が立ち上がった時、背後から声をかけられた。
「なぁアンタ。その花はアンタが置いたのかい?」
それは知らない男だった。
蛍火をあしらった派手な着物で、腰には妙に薄汚い刀を差している。
牢人、もしくは盗賊というところだろうか。
「いや? 誰か先客があったのだろう」
「そこで何があったのか知ってるのか?」
「ああ。先日、ここで女が殺されたと聞いておる。痛ましいことだ」
「アンタ身内じゃないんだよな? 誰から聞いた?」
「待て。お前さんこそ、何だ? なぜそんなことを私に聞くのだ?」
「俺のことはどうでもいい。なぁアンタ、その女がどうやって殺されたか知っているのか?」
「何が言いたい? なぜそうも質問責めにするのだ? まるで私を疑っているかのようだな」
「疑っているんじゃない。確認しているのさ。さぁ答えろ、女はどのように殺された?」
「……肉体の一部を持ち去られているとは聞いている」
西裏からは、例の薬『桃源郷』が使われている形跡があるとは聞いていた。
だが、それにはあえて触れなかった。
「ふ、ふははは。語るに落ちるとはこのこと。それを知っているのは、町方と遺族、そして犯人だけだぞ!」
その瞬間、男は刀を抜いて墨之介に切り掛かる。
その目にも止まらぬ斬撃に、一瞬遅れをとった。
だが、すんでのところでなんとか躱す。
「ほう? 腕に覚えあり、ってわけか」
「ま、待て。なぜ貴様が私を殺そうとするのか分からぬ。ここで死んだ女の旦那か何かか?」
「そうだな。何も知らずに死んだとなれば意味がない。教えてやろう。俺は復讐代行業を営んでおる『斬田螢十郎』という者だ。ここで貴様を切り伏せ、女の無念を晴らす。やはり下手人は現場に戻ると思っていたぜ?」