続:誤字脱字報告に関する私見
先日、誤字脱字報告に関する私見 https://ncode.syosetu.com/n0025hf/ を投稿したところ、思いがけず大きな反響があったので、改めてこの問題に関して考えてみることにしました。
まず、先日の投稿の後で私が認識していなかった問題が一つあることに気づきました。それは、「明らかに不適切な誤字脱字報告を繰り返す」読者の存在です。そういった読者の存在はほとんど居ないくらいだろうと考えていたのですが、感想欄を見る限り、一部にそういったしつこい読者がいるようでもあります。
ただ、一方で、やはり(特定のエッセイを貼るとややこしいので控えますが)かなり慎重に控えめな誤字脱字報告をしていると思われる読者でも、作者からブロックされたケースもあるようで、この問題は、どちらのケースも存在していると考えるのが正確なのでしょう。
その上で、「適切な誤字脱字報告とは何か」について考えてみたいと思います。
しかし、そもそも「誤字脱字」とは何だろうというのが問題です。辞書的な意味は「誤った形の文字や誤って使った別の字、書き落とした文字、文の途中で抜けている文字などの総称。」(実用日本語表現辞典より)ということですが、カジュアルな用法としては、日本語の文章として読んだ時に、明らかに誤りである文字(誤字)や、欠落している文字(脱字)の事を指すと考えるのが感覚にあっているように思います。
抽象論でわかりにくいかもしれないので、例を挙げます。
誤)僕は近場のラーメン屋に歩いて「言」った。
正)僕は近場のラーメン屋に歩いて「行」った。
これは明らかに誤字です。もちろん、「誤字脱字をする登場人物」がこういう表現をしているので誤りではないケースもあるにせよ、メタ要素のある物語は全体から言えばごく少数なので、今回のケースでは無視してもいいでしょう。
また、別の例としては、
誤)僕は近場のラーメン屋歩いて言った。
正)僕は近場のラーメン屋「に」歩いて行った。
助詞「に」がたまたま抜けたケースで、明らかに脱字として良いものでしょう。他には、
・句点の抜け
・括弧のバランスが取れていない(たとえば、"「"があるけど、"」"がないなど)
・人物名の間違い(主人公の名前が隆なのに、誤変換のせいで崇になっているなど)
なども、システムが想定した、広義の誤字・脱字に入ると言えそうです。
このような意味での「誤字脱字」報告を、システムを用いてすることはおそらく正当だと言えるかと思うのですが、どうも様々なケースを観察していると、誤字脱字を受け入れるとしていながら、このレベルの指摘も拒否してしまう作者も散見されるようです。
このような誤字脱字報告を拒否するのは、端的に言えば「おおむね作者側が悪い」ということになろうかと思います。念の為書いておきますと、あらかじめ誤字脱字報告を閉じている場合は、読者もその意思表示を尊重すべきかと思いますが。
さて、誤字脱字報告がこの種の「誤字脱字報告」だけであればいいのですが、どうにも問題はそう単純ではないようです。
色々観察していると、どうやら「誤字脱字ではないが、誤用」であるケースも同様に指摘される事が多々あるようです。たとえば、「煮詰まった」の本来の意味からすると、「会議が煮詰まる」はおかしいといった指摘は「誤用」の指摘に当たります。
しかしながら、このような慣用句の解釈は時代によって変わっていくので「誤用」をどれだけ指摘するかはなかなか難しいところです。代表的な例でいうと、「的を得る」は誤りで、「的を射る」が正しいという言説がありますが、この誤用はかなり市民権を得ていますし、いずれ「正しい」表現になりそうな気もします。
それでいて、この種の「誤用」について潔癖な読者はそこそこ居るので、誤用を執拗に指摘するタイプの人は割と多そうだなと感じます。誤用についての指摘は、そもそも作者側でもわかっていてあえて書いているケースもありますし、指摘されるのは鬱陶しいという方もままいそうです。
読者側の配慮としては、「誤用」の指摘についてはほどほどにと言えるかもしれません。
この誤用報告からさらに進んで、一部の読者が「日本語の添削」や「より適切な表現への修正」をやりだすケースもあるようです。これは仮に作者の文章能力が滅茶苦茶であったとしても、謹んだ方が良いようです。そもそも、「日本語の添削」をされれば、さすがに作者としてもムッとする人が多いでしょうし、「より適切な表現への修正」に至っては、編集者でもない一読者にそれをする権利はないでしょう。
まとめると(作者が誤字脱字報告を受け入れているとして)、
・「明らかに誤字・脱字に属するもの」を報告したユーザをブロックするのは、作者が悪い
・「誤用」報告は、やり方によっては、ブロックされたユーザが悪い可能性もある
・「誤字脱字」や「誤用」を超えた報告は、(信頼関係があるとかのケースを除いて)読者側はやらない方がいい
といったところでしょうか。とはいえ、この問題については私自身全体像がつかめていないので、引き続き、私が見落としている視点などあれば感想をお待ちしています。
というわけで、改めて補足も兼ねて私の考えを書いてみました。この問題、作者側も読者側もそれぞれ言い分がありそうなので、実際の「適切だと思える報告」と「不適切だと思える報告」の例があるとより建設的な議論になりそうです。
その辺り、具体例があれば感想などで指摘していただけると嬉しいです(とにかく、実態をつかみたいので、評価より感想という形で色々な事例収集が出来るといいなというのが本音です)。