5.この命に代えても
これは、十七世紀のイギリスにて起こったという人形に魅了されることになった男性の物語のようなものである。
彼の名前はジョン。先祖が代々受け継いできた土地を使用してオーダースーツを扱う店を営業している。そんな彼も現在では、エミリーという妻と共に夫婦で仲睦まじく店を営んでいる。
ジョンがエミリーと結婚することになったのは彼が三十二歳の時で、それから二年後には娘が生まれるのだが、その時のエミリーは二十五歳だった。
娘が生まれた翌年のこと。彼らの住む隣の街ではペストが流行りだすが約三カ月ほどして終息したかのように思えた。しかし、どういうわけか隣の街での流行が終わったように感じてから二年後にはジョン達の住む地域でもペストの感染者が数名確認された。ちょうどその頃から妻、エミリーの体調が芳しくないようになってきた。
具体的な症状としては発熱や頭痛、その他にリンパ節の腫れといったものが挙げられる。
妻の体調に異常が出始めてから二、三日は自宅兼職場にて様子をみていたのだが、日を増すごとに彼女の症状が悪化していったため近くの診療所へと連れていく。すると、医者の口からペストの症状に似ているとのことで入院してもらった方が好いという風なことが言われたのです。そうして妻は入院しながらの治療に専念することとなりました。
当時の治療法は、患者の晴れたリンパ節に医療用の蛭をあてがう瀉血という方法が主流で、妻が入院している間は夫であるジョンと娘とは完全に隔離されることになったのです。
また、医者からは「このまま空気が薄汚れた所に住むよりも空気の澄んだ田舎へと移住しなさい」と言われたため、ジョンは決意をし、これまでの職を捨てて娘と遠方の田舎でペストの感染が落ち着くまでの期間を過ごすことにしました。その際、ジョンは正直なところ妻のエミリーの容体が回復するとは思っていなかったということもあり予想される治療費の全額を妻が退院する前に予め病院側へと支払ったのですが、彼の所持金だけでは不足したため自らの所有する土地までも売却してしまったのです。
そうして、娘と田舎に移住してから三週間が経過していた。そんな中、妻エミリーの入院していた病院から一通の訃報の手紙が届きました。そう、エミリーが亡くなったことを知らせる手紙でした。
それからというもの、一人娘の父親であるジョンは娘を単身で育てていくこととなったのです。そして、娘が父に時折こんなことを聞きました。
「私のママはどこ?いつ帰ってくるの?」と。
その娘の質問に対し、ジョンは決まって「知らないよ」と返事をするだけで、それ以上のことは言えなかったのです。
時の流れとは速いもので、田舎で過ごし始めてから一年が経過し、娘は四歳になっていました。その頃には以前住んでいた地域でのペストの感染も落ち着きを取り戻したようで、ジョンの現在いるところまでの影響はありませんでした。だからといって、もう戻る場所も失くしたため今さら焦る必要もありませんでした。
田舎に移住したての頃は、ままならなかった農業による自給自足の生活も一年が経ったことで安定していました。
そんなある日、ジョンは娘を見晴らしの良い丘へとピクニックに連れて行ったのですが、いつしか娘の姿がなくなっていました。ジョンが日の入りまでの時間、必死に探しても見つかりませんでした。そして、ジョンは田舎に唯一ある村の交番のような所へと行き娘の捜索をお願いしました。
ジョンが娘の捜索を依頼してから一週間が経過。事態は急変。しかし、それはジョンにとってとても辛い知らせ(もの)でした。何故なら、行方知らずになっていた娘が見つかるもすでに息を引き取った状態。それに加え、ジョンと訪れた丘から数百メートル離れた位置の小川よりもさらに下流へと向かった場所で発見されたのですから。
そうして妻だけでなく娘までも失ったジョン。彼は己の理性やら平常心を保つことができなくなってきていました。そして、娘を何かしらの形として自分の手元に残しておきたいと思った彼は、衝動に駆られるがまま、亡くなった娘の光沢の失われた髪を一心不乱に抜いたのです。これは、残忍な行為であるということは頭では判っていてもどうしようもすることはできなかったのです。
それから間もなくしてジョンは娘の葬儀のようなものを一人で行い、村外れにいる有能な技術を持つと名高い人形技師のもとへと訪れ、娘からむしった髪の毛を渡すと同時に亡くなった娘にそっくりな人形を製作するよう依頼をしました。その費用にして、ジョンの全財産の約八割がつぎ込まれました。
二週間後。人形技師からビスクドールが完成したとの手紙が届く。完成した人形は、ジョンの娘と全てが同じではなかったが、彼の娘を失ったことによりできた穴、心の溝は少しばかり癒えたようでした。
それからというもの、ジョンは娘に似た人形に対して昼夜を問わず話しかけるようになり、どこに行くにしても肌身離さず持ち歩くようになっていました。そして、農作業をするときも人形を木陰の風通りのよい場所に置き自らの作業を見てもらうようにしていたのです。
そんなことからいつしかジョンは、村の人々からが二つ名で呼ばれるようになりました。『娘を人形にした狂人』といったものです。それでも、彼からすれば人形(愛娘)と一緒に過ごせているのですからどうでもよかったのです。
いつしか、ジョンも四〇歳を迎えていた。そしてこの日は人形を連れてあの日、娘を失うことになった森へと再び訪れていた。何故かというと、娘の亡骸が見つかった場所こそが自分にとって娘を最も近くで感じられるといった歪んだ思想があったため。そして、もう一人の娘である人形と同じ景色が見たかったから。
そういったジョンも今となっては当時の面影はあるものの、ひどく窶れた全くの別人であるようでした。
その後は、娘が発見された場所へと向かいました。人形を胸の正面で抱いて。
目的地付近では、露を表面に帯びた苔や石等が散見され、足場が安定していませんでした。そして、ジョンは何事かをぼそぼそと呟きながら歩いていたため、不幸なことにも足を滑らせてそのまま頭から地面へと倒れてしまったのです。その時の衝撃音が凄かったことは言うまでもなく、体から液を常に垂らしている状態でした。
ジョンの意識も徐々に薄らいでいき・・・・・・彼は森に散策に来ていた家族に発見されました。その時のジョンの手は、人形を握ったままの状態だったそうです。
ジョンがこの世を去ってからというもの、彼の残した人形は廃棄しようにもできずじまいであったため村の役場で保管されることとなりました。現在では、その人形にまつわる譚と共に大切に展示されているとのこと。
これは、人形のモデルとなった亡くなった娘の父であるジョンが生前に残したとされる願い「未来永劫自分の娘には輝いていてほしい」というものが叶ったといっても過言でないかもしれない。
こうして、ある男性、人形に魅了された漢の一生は幕を閉じていった。