プロローグ
目の前には、唸りながらこちらを睨み付ける馬鹿でかい狼のようなモンスター。
後ろには走り去る上司たち、俺は目の前に迫る死を前にしても慌てる事なくそのモンスターを見つめる。
この状況から抜け出せる策があるわけでも無い、助けてくれる当てがあるわけでも無い。
「ここで死ねれば、もう終われる」
上司の無茶振りも、同僚の裏切りも、もう全部気にしなくて良い。
迫りくるモンスターを他人事の様に見つめる俺。
その時、それは突然現れた。
突然空中に浮かんだ黒い穴、そこから何かが飛び出し目の前まで迫っていたモンスターを一瞬で叩き潰す。
呆然とその状況を見ていた俺の前で、勝手にステータス画面が起動する。
「異世界人とのファーストコンタクトにより、ユニークスキル【他者強化】を獲得しました」
突然現れモンスターを叩き潰した目の前の少女、何の脈絡もなく手に入ったユニークスキル。
長い社畜生活で死んでいた心が軋む音が聞こえた。
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ある日俺たちの街は一変した。
大きな地震のと共に突然町中に現れた黒い穴。
その黒い穴からは様々なものが出てきた。
用途の分からない謎の道具、見たことも無い奇妙な植物、そしてファンタジー世界から現れた様な異形の生物達。
街中が大混乱に陥る中、一番最初に適応したのは所謂オタクたち。
「異世界転移きたー!!」
「ステータスオープン!ってまじでステータス出てきたんだけど!?」
「しゃっー!!俺は社畜辞めるそー!!」
大混乱の中、イニシアチブを取った彼らは、現れた異形のモンスター達を倒し世界を平和に導いていく。
……とはならなかった。
異世界物の定番、チート能力なんて無かったのだ。
”黒い穴”が出来てから人々は自分のステータスを見れる様になった。
自分の目の前に浮かび上がる半透明のディスプレイの様なものに浮かび上がる自分の情報。
そこにはこんなことが記されていた。
名前 :サクマ エイキチ
種族 :人間
職業 :社畜
性別 :男
年齢 :24
レベル :1
HP :5/5
MP :1/1
筋力 :3
耐久 :2
敏捷 :1
器用 :2
魔力 :0
スキル :痩せ我慢 LV3
チートも何も無い、他人と比べるべくも無い平凡能力、おまけに職業社畜ってなんだよ……
そしてスキル「痩せ我慢」の効果は
【痩せ我慢】
辛い時になんでも無い様に振舞うことが出来る。
精神論じゃねーか……
スキルでもなんでも無いだろこれ、今までブラック企業で頑張って耐え抜いてきたからこそ身についた痩せ我慢。
チートでも何でもなく、ただただ今までの経験がスキルとして表示されただけじゃんか……。
こうして一部で一瞬盛り上がった異世界フィーバーはすぐに鎮火し、このおかしくなった世界で始まる新たな日常は思っていたよりもずっと現実的だった。
一時期の盛り上がりも落ち着き、みんながそれなりに異変前の生活に戻り始めた中。
俺は今日も社畜としての日常を送っていた。
「なぁ佐久間、お前だけだぞ、今日のノルマの薬草10個収集出来てないの」
そう言いながら俺を蹴ってくる上司の阿藤。
手に入れたスキル【威圧】を使っているせいか、俺は身動き一つとることも出来ない。
「すいません、明日には今日の分も合わせて取ってきます」
「いやいや、何言ってんの?今日の仕事は今日の内に終わらせないとダメでしょ?社会人舐めてんの?こっちはさぁ今日出来る文の仕事を毎日考えて割り振ってるの、それを自分のペースで勝手にやられちゃ仕事になんないんだよね!」
「すみません……今から、残りの薬草探してきます」
仕事内容が変わっても、やることは変わらない。
会社に出勤し、上司から命じられた仕事をこなす、変わらない日常だ。
「そうだよね、それが普通の社会人の責任ってやつだよ。仕事は途中で投げ出さない、任された仕事は最後まで責任持ってやらなきゃ」
ようやく威圧スキルをとくと、阿藤は笑いながら去っていく。
はぁ、今日も家には帰れそうにないな。
「あの、佐久間さん大丈夫ですか?」
「三島さん?あぁいつもの事だから気にしないで」
声をかけてきたのは同僚の三島咲。
小柄な体格に、大きな瞳、どこか小動物を感じさせる彼女は心配そうに俺を見つめる。
このブラック企業の中の数少ない癒しである彼女を見ていると、自然とスキル【痩せ我慢】が発動し平気なふりをしてしまう。
「……本当に大丈夫ですか?辛いことがあったらいつでも言ってくださいね?」
「ありがとう、本当に平気だから。それじゃ、外回り行ってきます」
異変が起こる前と変わらないやりとり。
モンスターが現れ、劇的に変化したはずの世界で過ごす非日常な日常。
毎日会社に出勤し、言われたノルマをこなすだけの日々。
どうしてこうなった異世界生活、もっとこう特殊な力でモンスター倒しまくって周りからチヤホヤされまくる成り上がり人生が始まるんじゃ無いのかよ……。
こんな世界になってから、一部にはモンスターと戦い人々から称賛をうける様な人たちもいるらしい。
でもそういう人たちは元々がスポーツやら格闘技をやっていた人間たちで、いきなりこの世界になったから強くなったわけでも無い。
結局は異世界でも努力と才能が必要なんだ、チート能力なんて都合の良い物は存在しない、社畜は社畜らしくこき使われて生きるしかない。
「いや、それがチート能力あるらしいんですよ!」
ニヤニヤしながらそう話しかけてくるの後輩の小林賢。
いつもこんなブラック企業辞めてやると愚痴を言い合いつつ、なんだかんだもう一年の付き合いになる。
「チート能力って、そんなもん本当にあったらもっと話題になってるだろ」
「それが、かなり特殊な条件をクリアしないと手に入らないらしくて、中々持ってる人がいないらしいんですよ。しかも手に入れてもあまり人には言わないみたいで」
まぁその気持ちは分かる、本当にそんな能力があるなら、何が起こるか分からないこの世界では隠しておいた方が身のためだろう。
「でも、最近有名な討伐隊のメンバーが自分が特殊なスキルを持っているっていうのを公表したんですよ、なんでもユニークスキルっていうので、自分の経験から得られるスキルと違って、いきなり特別な力が手に入る見たいなんですよね」
「あぁ、自分たちの力を誇示するために発表したんだな、ちなみにどんな能力なんだ?」
「全魔法適性とか言ってましたよ」
「な!?じゃあついに魔法使いが現れたってことか?」
「みたいですね、モンスターに向かって火の玉ぶつけてらしいですよ」
まじか、ついに魔法を使える人間が現れたのか……本当に世界が変わっちまったんだなぁ
「でですね、阿藤さんがその話を聞いて俺もユニークスキル手に入れたいって言い出して、部下一同付き添いすることになりました」
「は?」
「なんでも、その人がユニークスキルを手に入れたきっかけがあるモンスターを倒した事らしくて、自分もそのモンスターを倒して魔法を手に入れるんだって息巻いてるんですよ」
「いやいや、俺たちはなんの戦闘スキルも無い一般人だぞ、モンスター討伐なんて無理に決まってるだろ」
「それ、阿藤さんに言ってくださいよ。あの人が言い出したら聞かない事くらい先輩だって知ってるでしょ?」
「そりゃ、そうだけど」
「言われた事をこなす、俺たち社畜はどんなに理不尽でも上の命令に従うしか無いんすよ」
今思えば、この時会社なんて辞めていればあんな目に合わなくて済んだんだ。
命を賭けてまで会社に尽くすなんて馬鹿げてる。
だけど、完全にブラック企業に洗脳されていた俺は、その時はそんな風に考える思考能力はなくなっていた。
考えていたのはどう無難にやり過ごすか、それだけだったんだ。
初めての作品です。
読んでくださった皆さんありがとうございます。






