都市伝説 Mu
使用お題:「地獄」「目薬」「嫌なツンデレ」
玄関の扉を開けて中に入るといつもの様にオープンキッチンにオーナーが立っていた。
「やあ、ボクくん、こんばんは。なにか飲むかい?」
「あ、はい、じゃあ、紅茶をいただきます」
「わかった」
オーナーが紅茶を淹れてくれる様を眺めているとリビングからなにやら喧しい声が聞こえてきた。紅茶を受け取ったボクはオーナーにお礼を言ってリビングに入る。
「ああ、やっぱり」
そこにはソファに腰掛け向かい合ったマスターと教授がいつもの如く何か議論を戦わせていた。
「今日はなんの議論ですか?」
「やあ、ボクくん、よいところに来たね」
「まあ、聞いてくれたまえ」
僕を見るなり二人が身を乗り出してくる。
「キミはいわゆるツンデレというものを知っているかね?」
「ええ、まあ、聞いたことはあります」
「われわれは良きツンデレとはどういうものかについて話し合っていたんだ」
「良きツンデレ? ……それってどういう?」
「まあ、聞いてくれ」
マスターが自説を披露するように両手を広げた。
「ツンデレとは、いつもはツンツンした態度を取っている人が、何かの切っ掛けでデレる、その瞬間がいいんだよ。これはいわゆるギャップ萌えというやつだな」
すかさず教授が反論する。
「その説で行くと普段強面のヤンキーが道端の捨て犬を拾ってかわいがるのもギャップ萌えだが、あれは断じてツンデレではなかろう」
「じゃあ、教授はどう思うんですか?」
ボクが尋ねると教授はこほんとひとつ咳をして
「ツンデレとはツンの中にも滲み出るデレ成分とその事を無意識に恥ずかしく思う照れが共存することこそ至高だと言える」
「は?」
「様式的にはかの釘宮理恵嬢の演じた「灼眼のシャナ」のシャナや「ゼロの使い魔」のルイズにより確立されたものと言えるだろう」
「えーと、ちょっとよく分からないのですが」
「仕方ない、よく見ておきたまえ」
そう言うと教授はおもむろにシナを作り、こう宣った。
「あんたのことなんか好きじゃないんだからね!」
え? え? 僕は訳も分からず戦慄する。
背中に悪寒が走り、ぞわぞわした。
「どうだ? これが典型的なツンデレだよ。分かったかい?」
「いや、あの教授それは……」
「なんだ、まだ分からないのか。それじゃあ、これはどうだ」
あ、待ってと言おうとしたが間に合わなかった。
「わたしのこと好きだなんて、あんた、バッカじゃないの? し、死ねばいいのに!」
うわー。教授のツンデレ演技が不気味すぎて冷や汗が出てきた。
「これで分かっただろう?」
「いやあの……」
これは……嫌なツンデレでは? 余りのことに言葉が出ない。それを非同意と解釈したのか、教授は意地になって次々とツンデレの実例を演じて見せた。いや、ちょっともう、勘弁してくださいよー
―――それから一時間、ボクは地獄を見た。
救いの手は外からやってきた。
「教授、何やってるの?」
「あ、ミカンさん」
いつも間にかミカンさんがあきれ顔で教授を見ていた。その後にはマツリカさんの姿も。
「やあ、ミカンくんとマツリカくん。いま、まさにツンデレについての実践講義をしていたところだ」
「ああ、ツンデレね」
ミカンさんが興味なさそうに答える。
「あれはね、ファンタジーよ。ファンタジー」
「うん? どう言うことかね?」
「現実にはそんな人いないって言うこと。ツンデレな女の子なんか世の中にいるはず無いじゃない。都市伝説だって」
「そ、それは……まあ、あれだ」
教授がいきなり狼狽えだした。
「……実際にいなくても、良いのだよ…ロマンと言うかなんというか……」
だんだん声が小さくなる。
ようやく教授のツンデレ地獄から解放された僕はマツリカさんの顔を見てそう言えばと思い出すことがあった。教授とミカンさんの会話を横目に小さな声で尋ねる。
「マツリカさん、あの聞きたいことがあるんですけど」
「はい? なんでしょう?」
マツリカさんがいつものクールな眼差しを向けてくる。
「マツリカさんって、あの……会長のことが好きなんですか?」
「は?」
マツリカさんが少し狼狽えたのが分かってこれはと思った。
「そ、そんなことありませんが、何か根拠でも?」
「あー、先日の読者会の最後に、マツリカさんが会長に『世界の中心で愛を叫ぶ』を渡しているのを見たので」
「そ、それが何か?」
「あの、その時、マツリカさんが『わたしの気持ちです』と言われたのを聞いたような気がして……」
「なっ! なにを言ってるんですか? キミは? わたしはそんなこと……好きだなんて言ってません!」
マツリカさんのその言葉を聞いた瞬間、その場の全員が沈黙した。ああ、ツンデレはファンタジーでも都市伝説でもなかったんだ。ボクは心を落ち着けるためにおもむろに目薬を差した。そうして思った。会長は一度豆腐の角に頭をぶつけて、死ねばいいのに!
2020年11月14日 助助文学サロン日誌 文責 ボク