序章2:運よく拾われた異世界人の物語
異世界転移というものは、もっと夢やロマンがあるものだと数年前まで思っていた。しかし、実際に自分の状況を振り返ると、理不尽で過酷でしかなかったとケンは考える。よくよく考えれば、異世界転移というものは、身体一つで発達レベルが低い知らない外国に放り出される感覚に近いといえば、理不尽さを少し想像しやすいかもしれない。
この地球ではない世界では、異世界転移が二種類ある。女神様が直接異世界から人間を見つけ、加護と特別な才能を与えて異世界の勇者としてこの地に召喚する方法と、女神を通さずこの異世界に迷い込んでしまう、迷い人になってしまう方法だ。
女神様に呼び出された勇者は、その加護によって様々な特典を与えられ、元の世界で戦闘の経験がなくても、単純な強さは将軍級やAランクと評される実力が備わることになる。さらには転移後すぐに王城まで案内され、手厚い保護を受けながらこの世界の諸悪の根源たる魔の者と戦う力を高めていくのだ。
かつて魔王と呼ばれたドラニア帝国初代帝王は、強い上に残虐で強欲で、大陸全土にまで支配域を広げて世界を荒廃させていた。それを見かねた女神様が、この状況を打破するために強力な能力を女神様が直接与えることができる、異世界の勇者を召喚した。
が、一人の異世界の勇者では、ドラニア帝国軍を討伐するどころか臣下にさえ返り討ちにされてしまう。それを皮切りに、女神様は勝つために何度も異世界から人間を転移させ、ドラニア軍を倒せるだけの勇者の数を揃えた。
異世界勇者の人海戦術により、多くの犠牲を払いながらも遂にはドラニア帝国初代帝王を破り、ドラニア帝国遠征軍を打ち倒すことに成功した。そこから数年して、ようやく首都であるドラニア帝国にいる女王とその子供たちを残すのみとなった。
しかし戦況は好転したが、異世界の勇者を過剰に召喚した弊害も同時に起こっていた。
一つは異世界人の人口の増加である。それは大陸にいくつか異世界人のみで国が誕生するくらいには多い。単純な戦力の数ではすでにドラニア帝国よりも大きい。今は共通の敵でドラニア帝国打倒を掲げているが、それがいつこちらに向くか、新たな魔王になって侵略を始めるのではないかと、この地に最初から住む人類は戦々恐々としている。
ドラニア帝国を滅ぼせたなら勇者たちを帰還させればいいのではないかと思うが、そう簡単にもいかない。長年この大陸で生活してすでに国までいくつかあり、生活に根付いてしまっているため、勇者全員を元の世界に返すとしても、この世界の経済や生活に与える影響が計り知れない。この問題は魔王討伐よりもかなり深刻と考えられている。
もう一つ大きな社会問題があり、それが異世界転移の方法のもう一つの方法にも繋がる迷い人という存在についてだ。
異世界勇者の召喚の過剰により、この世界の空間は非常に不安定なものになってしまっており、特に地球と繋ぐ空間の壁が大きな衝撃ですぐに開くようになってしまっているのだ。それによって、女神様から一切の加護を持たない地球人が、この異世界に迷い込んでしまうようになってしまった。
女神様の加護がなければ、地球人はこの異世界で言葉も通じない。文化も違い、魔物や野盗もいるため治安も悪い、そんな中で意思の疎通もできず身分を保証する手段もないためまず国の中に入れない。運よく勇者の国にたどり着ければ身の安全を保障されるが、迷い人の多くは食われて死ぬか、食えずに飢えて死ぬ。
ケンも数年前、迷い人として地球からこの異世界に迷い込んだ一人だった。当時はまだ学生で、異世界転移ヒャッハーと喜んでいたものの、ギルドに行って冒険者になるのがテンプレだろと意気揚々と街に向かえば叩き出される、何か特別なスキルがあるだろうと強気に反抗すればボコボコにされ、ステータスと言ってもメニューは開かない、川の水を飲めば腹痛になり、野宿しようとすれば魔物に襲われろくに眠れずに逃げ続ける生活。
生きることに苦労していなかった現代人の限界は早かった。異世界転移三日目で空腹と疲労と睡魔で動けなくなった。プライドも捨てて会う人間に食べ物を求めたが、汚らわしいと無視されるが蹴られるだけだった。
学校をダルイとクラスメイトたちと愚痴を言い合っていた日々がどれだけ幸せだったかと感じながら、死ねば帰れるか、そんな幻想に期待して目を閉じようとして。
「〇△◇×」
そんな死にかけのケンに、この世界でただ一人優しく声をかけてくれたのは自分よりもずっと幼い少女だった。かけてくれた言語はわからない。ただその声色の優しさだけで、手を差し伸べてくれたことだけで、心配そうに見つめてくれただけで、救われた気持ちになった。
「あなたは、女神様ですか?」
その優しさに輝いて見えた少女に、ケンは思わずそう尋ねてしまった。少女はケンの言葉の意味がわからず困ったような笑顔で首を傾げるだけだった。その笑顔を最後に、一度ケンの意識は途切れた。
優しい現地人に運よく拾われる異世界人。物語の導入としては陳腐なものだ。ありふれている。
だがそれでいいのだ。なぜならこの異世界人の物語は、そんなありふれた幸福な結末を目指したのだから。そのために、彼はすべてを賭したのだ。