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序章1:勇者は選択を誤った。ただそれだけのありふれた結末

 男は女神に選ばれた勇者であった。


 突然異世界の女神と名乗る存在に呼び出され、聖剣に選ばれた勇者だと伝えられ他人にはない特別な才能も数多く与えられ、魔の存在と争っている異世界に転移させられた。


 男に悪の根源たる存在を倒して欲しいと嘆願した国王には、十分な資金と最上級とされる聖属性の鎧を与えられた。道中で戦った魔物と呼ばれる存在や敵の兵士は、男の斬撃にろくな反撃さえできずに殺すことができた。


 最初こそ戸惑いもあったが、徐々に自分という存在の特異さを理解し、聖剣を一つ振るだけで魔物や人間の身体が消滅していくのを、ゲームのように楽しんでいた。


 それは比喩ではなく、男にとってはゲームと違いなかった。元の世界では決して目立つ存在ではなかった男にとって、簡単な行為で身分の高い人間が男の優秀さを褒め称えられ、美女たちが黄色い歓声をあげて寄ってるのは大変に気分がよかった。


 つい先日、世界の平和のために、諸悪の根源を討伐に向けた敵国への調査に向かって欲しいと頼まれ、男はその願いを快諾した。理由は当然世界平和のような高尚なものではなく、引き受けるだけで高額な報酬が確約されていることと、戦闘になっても他を寄せ付けない聖剣の力があったから。


 男だけがゲームのようにステータスウィンドウを開くことができ、自身の圧倒的な身体能力の数値とスキルの数を見てほくそ笑む。周りの人間の数値を比べ、何の苦労もすることなく英雄として凱旋できると確信していた。


 悪の根源たる敵国に侵入することも容易かった。国境の守りも少数精鋭であれば、山を迂回することで回避することができる。道中で魔物襲われることになるが、それも脅威にはならない。


 男の任務は、敵国に侵入し、まず首都からそう離れていない場所に拠点を作ることだ。遠くの場所と場所を繋ぐ空間魔法であるゲートを設置し、敵国を攻めるための準備を行う重大な任務だ。


 ちなみにゲートの魔法は異世界の勇者にしか使えない特別な魔法だ。男とパーティーを組んでいる魔法使いが、同じように転移したときに女神から授けられた特別な魔法なのだという。


 男のパーティーはゲートを使える魔法使いの他に、炎・水・風・土の四属性を操り剣技ならば勇者の男に匹敵する魔法剣士、瀕死の重傷であろうと一瞬で全快にまで回復させ、ありとあらゆる呪いや状態異常を寄せ付けず回復もできる聖女という、4人全員が女神様に特別な才能を与えられた異世界の勇者で構成されている。


 レベルは当然カンスト。流石に聖剣の勇者の自分ほど数値は高くないが、それでも並みの魔王ならば裸足で逃げ出す最強のパーティーであると確信していた。ゲーム風な例えでいうなら、裏ボスに挑むに十分なステータスだった。


今となってはすべてが過去形だが。


 猫のような大きな目をした女性が、情けなく腰を抜かしている聖剣の勇者を見下ろす。服装はいわゆるメイド服、黒を基調とした袖に目線を移していくと、その手の先には魔法剣士の頭部がある。髪の束を握って手持ち無沙汰に魔法剣士の頭をグルグルと振り回すと、首から滴るまだ温かい血が壁や床に散らばり、男の頬にも血がかかる。


 首都からほどよく離れた郊外に、拠点にできそうな屋敷を見つけたのはほんの30分ほど前だ。屋敷は大きさの割に警備の人間がおらず、易々と侵入することができた。よもや空き家かというほど気配もなかったため、各々がまず一階の部屋を調べるために行動した。


 そして、魔法剣士の怒号と激しい戦闘音に3人が集まった時にはすでに戦闘は終わっており、すぐさま魔法による攻撃を行おうとした魔法使いを、味方のはずの聖女が後ろから素手で心臓を抉った。


 目の前で仲間が殺されたかと思うと、突然仲間だった聖女が味方を殺した。勇者の男は自分の置かれている状況の変化の速さに完全に置いて行かれ、心臓を抜き取られた魔法使いの瞳から光が失われている様子を、ただただ見つめることしかできなかった。


「その聖剣は飾りなのかなー? 仲間がこれだけ無残に殺されたのに、勇者様はただ傍観するだけなのー?」


 間延びしたやる気が感じられないメイドの声に、ようやく男の思考が動き出す。


「情けなく腰を抜かすだけですしね。丸のみされても弱音を吐かずに最後まで抵抗したこの聖女様の方が勇敢でしたわね」


 かつての仲間である聖女の姿をした何かが、聖女の最後を思い出して口を歪ませ愉快そうに笑う。その瞳は、爬虫類のような輝きをしていた。


「意味がわからねえッ! こっちはレベルカンストの勇者のパーティーだぞ! それが数分で壊滅? 女神様の加護まであるのにどんなバグだよ!!」


 状況を理解して、まず男が感じたのが理不尽に対する怒りだった。これまでの戦闘も常に一方的な展開しかしたことがないし、レベルや各種ステータスが最大まで上がりきっている男との戦闘は、そうでなければならない。


「バランス崩壊だとしても限度があるんだろ! クソゲーすぎだわ! ここはゲームの世界じゃなかったのかよ!」


 男は醜く喚き散らす。この世界がゲームだと勘違いしていたのは男だけである。異世界の勇者の言葉など目の前のメイドにわかるわけもなく、仲間の死にショックを受けておかしくなった哀れな男という目で見ていた。


「ここはゲームの世界ではないし、そもそもお前の尺度で俺たちを計ろうとするんじゃねえよ」


 階段から今度は執事服を着た男が降りてきて、発狂して騒ぐ勇者を見下ろす。その首には紫炎が首輪のように巻き付いており、後ろにはジャラジャラと、これまた紫炎をまとった鎖が伸びている。


 この場で唯一勇者の言葉を正確に理解していた。彼もまた、勇者と同じ世界から来た人間であるが、この状況で駄々をこねるように喚く男を冷たい目で見下ろしていた。


「猫、蛇。どうしてこの男はまだ生きている。異世界の勇者は何もさせずに殺せと常々言っているはずだ」


 もう興味もないと魔法使いの持ち物を物色していたメイドが気だるそうに見上げ、執事が来たことに気付いた聖女だったものは、爛々と表情を明るくして、叱られたことを理解してしゅんと俯く。


「いくら雑魚そうに見えても異世界の勇者は加護だとスキルだとかいう厄介な能力があるんだ。もしお嬢様に危害が加わるものだったらどうするつもりだ?」


「大丈夫ですよー。聖剣の勇者なんて戦い飽きてますしー。単純な戦闘力は破格ですが、こんな風になってしまえばただの人間と変わりませんよー」


 猫と呼ばれたメイドは不機嫌そうに返す。執事の男もこの勇者がすでに脅威にならないことも知っており、猫や蛇も手を抜いているわけではないことも知っている。


 だが、ここは彼らの主が住まう屋敷であるので万が一もあってはならない。そして、彼らの主の前なのである。これは完全に執事の男のワガママなのだが、死体を見せるのも、敵とは言え目の前で人間を殺す場面を主に見せることも、執事は極端に嫌っている。


 しかし、それは執事の男だけが持つ感情であり、自分の仕留めた獲物をほめてほしいと見せる価値観を持つ猫と蛇には、決して理解できない気遣いだった。


「いいのです、ケン。あなたの気遣いにはいつも感謝しています。でも、私の敵がどのような存在なのか、しっかり見定めないといけませんから」


 執事の男に繋がる鎖の奥から優し気な声が投げかけられた。繊細な指や細い腕には不相応な紫炎の鎖を巻き付けて、一人の少女が前に出る。その声が、姿が現れた瞬間から、猫と蛇もその場で跪く。まだ醜く騒いでいた勇者の男でさえ、場の空気が一転したことに思わず押し黙ってしまった。


「ハルサ=ドラニア!」


 勇者は自身が使えるスキルで少女の名を見て、目を見開いた。まずはドラニアという姓。これは勇者が女神様と国王から討伐を依頼された諸悪の根源の国の名前であり、かつて討伐された魔王と同じ名だった。


 決定的なのは名前の下、“女神に反逆せし魔王の娘”という称号がつけられていた。彼女は魔王の娘なのだ。


 絶望から一転、勇者の顔に理性が戻る。自分の仲間が一瞬でやられたこの戦闘はゲームの言うところの負けることが確定していたイベントなのだと判断した。正面からではどうやってもクリアできない、何かしらのギミックを解くことで一気に攻略進むものなのだと。


 そこにこれ見よがしに魔王の娘が現れた。魔法剣士を圧倒したメイドの強さは、魔王の力によるものだと結論づける。さらには討伐を依頼された相手の一人をここで始末できたとすれば、報酬にボーナスがつくはずだと、哀れにも、勇者はまだゲームの世界であるという根底を考え直さなかった。


 ゲーム風に言うなれば、勇者は選択を誤ったといったところだ。先ほどのように正気を失っていればもう少しは寿命は延びていたし、涙と鼻水を垂らしながらプライドもすべてかなぐり捨てて土下座して命乞いをして敵対の意思を失くせば、慈悲深く優しい彼らの主は、きっとこの勇者を殺さなかっただろう。そうすればゲームオーバーにはならなかったかもしれない。


 そもそもの選択の誤りは、ろくに調べもせずにこの依頼を受けたことだろうが。


「死ねぇえええ! 魔王の娘よぉおおお!」


 聖剣の柄を握りしめ、勇者の最大の攻撃のスキルを発動する。魔力を最大値の半分も使用する大技だが、幸い勇者はこの屋敷に入ってからまだ戦闘を行っていないので一切の消耗をしていない。1万を超える魔力を有する勇者は、この一撃で魔王の娘と隣の執事を殺したなら、ギミックが解除されたメイドと聖女モドキの二人を相手にしても負けない自信があった。


 しかし、スキルは発動されることはなかった。クシャ、と何かを咀嚼する音が手元からすると、紫炎に包まれた狼に聖剣ごと両腕を噛みちぎられていた。


「なっ――――――」


 悲鳴すら上げる間もなく、胴と頭を左右から同時に狼の牙が迫り、食いちぎる。紫炎に包まれた狼には、三つの首があった。


「すみません、ケン。またあなたに同郷の者を殺させてしまいました」


 紫炎の鎖を握る力を強め、少女は泣きそうな顔で執事服の男を見上げる。可能ならば殺さず穏便に済ませたい、そう願って少女は危険を顧みず侵入者のところまで連れてきてもらっていたのだ。魔王の娘という恐ろしい称号が与えられているが、不釣り合いな慈悲深さと優しさがあった。


「何も気にされる必要はありません」


 執事服の男は跪き、先ほどまで勇者に見せていた冷たい表情とは打って変わり、明るい少年のような笑顔で答える。


「俺はお嬢様の“犬”ですから」



『お嬢様の犬』を読み始めていただきありがとうございます。

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