第31話 中国戦線と千恵子や総司の初陣
1937年に中国内戦は再開され、日本も介入することになった。
そのために、1938年4月、僕は海兵隊大佐として、息子の総司も海兵隊少尉として、中国に赴くことまでは、僕も覚悟して帰国してきたが。
まさか、千恵子まで軍医少尉として、中国に出征する羽目になるとは、僕は想定外だった。
(ちなみに、千恵子は僕に黙って、出征志願書を出しており、せめて相談してから出せ、と僕は叱った)
「それでは、行ってきます」
千恵子は笑って、横須賀から出征していったが。
僕や総司、幸恵は溜息を吐く羽目になった。
千恵子が軍医になるのは、僕も想定していたが、いわゆる内地勤務だけ、と考えていたのだ。
まさか、女性の軍医が戦場での治療に当たるとは、それも自分の娘とは。
僕は頭が痛くなる思いがした。
そして、千恵子は中国の戦場で想わぬ活躍をしてくれた。
千恵子曰く、
「弟のアランが戦場で活躍しているのに、姉が負けてどうするの」
と宣い、前線近くの大隊病院に自ら志願して赴いてまで、治療に当たった。
僕や総司は、千恵子の精神が持つのか、と危ぶんだが、幸いなことに杞憂で済んだ。
その一方で、僕や総司も中国の戦場で戦う羽目になった。
1938年の秋まで、約半年に渡り、僕達親子は戦い続ける羽目になった。
そして、半年に渡り、激戦が展開された末、南京等、一部例外もあるが、主に長江以北についての中国本土沿岸部の制圧が成し遂げられたことから、攻勢を取るのを止め、占領地の維持を図りつつ、守勢を取ることになった。
それに伴い、海兵隊は基本的に帰国し、陸軍が占領地の維持に当たることになる。
そして、戦場にいたので、僕達親子は知らなかったのだが。
僕達親子が帰国してみると、千恵子は、日本国内ではいつの間にか有名になっていた。
「弾雨を怖れず、治療に当たる大和なでしこ」
という千恵子を紹介する新聞記事が発端になったとのことだった。
そして、千恵子がそこまで励んだ理由は、というと。
実は恋愛だった。
僕は、失念していたのだが、この世界でも土方勇と千恵子は知り合い、愛を育んでいたのだ。
自分は庶子だから、土方伯爵家に嫁ぐのは困難だ、と千恵子は考え、戦場で活躍することで、名を高めて、更に軍人同士なら、結婚しても問題ない、という声が周囲から挙がるように、と更に考えたのだ。
実際、千恵子の考えは正解になった。
土方勇が千恵子と結婚したい、と僕に申し入れしてきたとき、僕はいいのか、と少し悩んだ。
それこそ千恵子は庶子で、僕が戦死した世界では色々と悪く言われた末に千恵子は結婚したからだ。
だが、千恵子が戦場で活躍していたことから、出生がやはり問題になったが、その声は高まらず、むしろ、医師とはいえ軍人であり、戦場で活躍している以上、土方伯爵家の嫁に相応しい女ではないか、という声が挙がり、順調に婚約に漕ぎ着けることができた。
そして、このことは忠子の機嫌を少しだけ直した。
千恵子が、土方勇と結婚する話を、忠子が聞いたとき、忠子はかつての略奪婚云々の噂が蒸し返されるのでは、と心配したのだが、そんなことは無かったからだ。
とはいえ、土方勇は、まだ海軍兵学校の生徒であり、結婚するには少し早かった。
だから、土方勇が海軍兵学校を卒業次第、勇と千恵子は結婚することになったが。
世界情勢は急激に悪化していき、第二次世界大戦の危機が高まっていくことになった。
そう言った状況もあり、幸恵も結婚し、アランもカトリーヌと結婚した。
お祝い事が続くことは僕としては本来、喜ぶべきことだったが、背景事情が背景事情だ。
素直に祝い事、結婚が続くことを喜ぶ気に、僕はなれなかったし、周囲も同様の気配を漂うわせることになった。
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