第23話 子ども達の小学校時代の思い出
かくして、汐入小学校に日本にいる僕の子どもは全員が入学することになったが。
入学式の日、僕は結果的に両手に総司と千恵子と手をつなぐことになり、更に二人の空いた手を忠子とりつが握るという、何とも言い難い姿で小学校の校門をくぐり、入学式に出席することになった。
千恵子も総司も、僕と手をつなぐと言い張り、更に忠子もりつも譲らなかった結果だった。
当然、入学式の父兄席でも、僕の両脇に忠子とりつが座ることになる。
周囲からの、あの男は何者だ、というひそひそ声が僕の耳に痛い。
忠子は、だから諏訪小学校に総司を入学させるべきだった、と声に出して言いそうで、更に木で鼻を括ったような態度を示している。
一方、りつはそれとなく僕に寄り添い、正妻のように装って、忠子を挑発している。
更に言えば、りつは僕と同級生だが、忠子は僕より年下で、外見からもそれが明らかなので、忠子の方が知らない人から見れば、僕の若い愛人に見える。
僕は入学式の時間を過ごすだけで、胃に穴が空くような想いをしてしまった。
かくして、入学式は何とか終わったが、僕は6年後の卒業式が気が重くなって仕方なかった。
幸恵の入学式は、村山家に任せて僕は欠席したので、無難に過ごせたのだが。
自分の考えの甘さに、自分を自分で叱りたくなる結果になってしまった。
そして、小学校での子ども3人の日々が始まったのだが。
「いい、千恵子に負けないように勉強するのよ」
「はい」
忠子は、いきなり総司に千恵子に負けないように、と入学後に発破を掛けるようになった。
入学式でのりつの態度が、余程、腹に据えかねて、更に正妻でありながら、僕の若い愛人に見られたのが腹立たしかったことから、八つ当たり的な感じで、忠子は総司に頑張れ頑張れ、と言い出したのだ。
もっとも、りつもいい勝負らしい。
千恵子からの又聞きになるが、りつも千恵子に総司に負けるな、と発破を掛けているとのことだ。
そして、千恵子と総司は、何で姉弟なのに競争しないといけないのか、と不思議がっている。
僕は、千恵子と総司の様子を見て、姉弟なのだから程々にな、と言葉を掛け、お茶を濁すことにした。
下手に止めたら止めたで、僕に火の粉が飛んでくるどころか、松明が投げつけられそうだからだ。
とはいえ、休日になるとできる限りの子ども達との交流を、僕は止める気が無いし、それもあって姉弟全員が仲良くしている。
色々な小学校の行事等で友人や兄弟が集い出すと、自然と姉弟3人が集う有様だ。
だから、宿敵というより、仲の良いライバルみたいな感じで、千恵子と総司は競り合うようになった。
その結果、小学校の間中、学年成績の1位、2位を姉弟で交互にほぼ取る有様で、天才姉弟として学校中の話題になった。
その一方で、時は流れていく。
それこそ千恵子と総司が小学1年生の時には、関東大震災が起こり、地震直後の救援やその後の復興活動に、自分や家族も被災しつつ、僕は奔り回ることになった。
また、中国本土では、毎年のように事件が起こった。
千恵子と総司が小学4年生の時には、大正天皇が崩御し、昭和天皇が即位された。
その翌年には、昭和金融恐慌が起こって三井財閥等が大打撃を受け、南京事件から海兵隊が総動員されて、英米等と共に中国国民党軍と戦う事態が起きた。
この時は、僕も派遣部隊の一員となり、またも名誉の戦傷を負うこととなった。
そして、千恵子と総司が小学6年生になった時も、山東出兵や張作霖爆殺事件等が起こり、またも、僕は戦場に赴く羽目になった。
こうやって戦場に度々赴く僕の姿は、子ども達、特に千恵子に大きな影響を与えた。
お父さん、生きて還ってね、それがいつか子ども達の口癖になった。
ご感想等をお待ちしています。




