第21話 長男の総司の小学校入学で騒動が起きました。
事実上の第2部開始になります。
前話から4年程が経ち、幸恵は小学校に入学し、千恵子や総司が小学校入学前の時が舞台です。
そんな大騒動があっても、時の流れはいつか騒動を結果的に鎮めてしまう。
それに家庭内の騒動は、いわばコップの中の嵐に過ぎない。
家庭外に大騒動が起きれば、家庭内の騒動は置いてけ堀になる。
国内では原敬首相暗殺事件が起き、更に国外では中国本土では軍閥間の抗争と中国国民党による中国再統一への胎動があり、半ば国内外で関連するかのようにワシントン条約が締結され、日米英仏伊の主力艦の保有数に制限が掛けられ、日英同盟が廃棄されるという動きがあった。
(もっとも、秘密裡に防衛同盟という形で、いつでも復活可能なような体制に日英同盟は置かれていた。
中国本土の騒乱に日英共同で対処するために、また、米国にしても、日米満鉄共同経営を柱とする日米の満蒙権益を護るためには、日英同盟は維持される必要があったのだ)
そんなことが世間であるうちに時は流れて、1922年4月に長女の幸恵は小学校に入学し、更に次女の千恵子と長男の総司も小学校に1923年4月に小学校に入学することになったのだが。
「お姉ちゃん2人と同じ小学校に入りたい」
と、1923年の年明け早々に、総司が我が儘を言い出した。
僕はこの頃、岸の姓を使うことにようやく慣れ、義父の岸三郎夫妻の家に、妻の忠子や長男の総司と共に同居して暮らしていた。
細かい地図は省略するが、岸家は諏訪小学校の学区内に家を構えているのだが。
村山家と篠田家は、汐入小学校の学区内に住んでいる。
だから、幸恵と千恵子は、同じ汐入小学校に通えるのだが、総司は通えないのだ。
とはいえ、岸家が住んでいるところは、諏訪小学校の学区内でも汐入小学校に近いところだ。
そして、諏訪小学校と汐入小学校の学区は隣接していて、僕や篠田りつが通っていた会津の若松小学校の学区面積から考えれば、汐入小学校に総司が通学する等、小学1年生になったばかりの総司の足でも何の問題もない道のりに過ぎない。
だから、総司がそう思うのも無理は無いのだが。
妻の忠子は、ムッとした表情を浮かべて、頭ごなしに総司に、
「我が儘を言わないの。諏訪小学校に通うの」
と叱り飛ばす事態が起きた。
さて、何でここまで忠子が過敏になったか、というと。
数年前に僕が岸家の婿養子になり、更にアランが野村家を事実上継いだ後。
僕は休日になると、できる限りは総司を連れて、幸恵や千恵子に逢いに行く日々を送っていた。
とはいえ、篠田家の敷居をまたぐのは、これまでの関係が深すぎて、僕としては少し気詰まりだし、邪推もされそうで、子どもが全員幼いこともあり、村山家に千恵子を連れて来てもらい、そこで、幸恵や千恵子と逢うことが、恒例にいつかなってしまった。
岸家に子どもが集ってもいいのだが、忠子がいい顔をしないので、半ば消去法というのもあった。
すると、いつか村山家への路を総司は覚えてしまい、更に千恵子も覚えてしまい、僕抜きで姉弟3人が村山家に集って仲良く遊ぶことが起き出したのだ。
忠子も素直に姉弟が仲良くすることを喜べばいいのだが、このことから、幸恵と千恵子、総司が異母姉弟であることが、ご近所の公然の秘密になってしまった。
これで、総司が汐入小学校に通っては、ご近所どころか、小学校中の公然の秘密になる、と忠子は懸念した次第だった。
だが。
総司が岸三郎夫妻に泣きつき、更に姉二人にも泣きついた結果、岸三郎夫妻や村山家や篠田家は、総司を汐入小学校に通わせた方がいいのでは、というようになった。
忠子は孤軍奮闘状態に陥ってしまい、僕の仕出かしたことをあらためて責めもしたが、最終的には折れてくれた。
それで、僕は横須賀市の教育委員会に掛け合い、総司を汐入小学校に無事に通わせることになった。
この頃の小学校の越境入学がどの程度可能だったのか、私の調査した限りでは不明でした。
こんなのムリムリ、とツッコミが入りそうですが、どうか、生暖かいご指摘でお願いします。
(私としては、主人公の実祖父の林忠崇侯爵の介入で何とかなる程度の話と考えたい)
ご感想等をお待ちしています。




