第14話 村山家と話し合いました。
僕は、娘の村山幸恵を抱きしめて、日本に生きて還ってきたことを、改めて実感した。
3歳になったばかりの幸恵は、見知らぬ軍人が自分をいきなり抱きしめてきたことに戸惑ったようで、身を固くしてしまった。
その反応を当然と思う心の片隅で、そう言えば史実では、僕は日本に生きて還ることなく、ヴェルダンで戦死したので、幸恵を抱くことは全く無かったのを、僕は想い起こしてしまい。
「幸恵、お前が結婚する姿を見るまで、実父の僕は必ず生きるからな」
僕は思わず呟いてしまった。
その声が聞こえたのか、村山キク夫妻が動揺する気配がし、僕は我に返った。
「すみませんでした。まさか、世界大戦で欧州に赴いて、日本に生きて還って娘に逢えるとは、戦友の多くが戦死したこともあり、全く思っていなくて。幸恵を見て、幸恵が結婚する姿を見たい、とあらためて想ったのです」
僕は頭を思わず下げながら言い、村山夫妻は、
「そういうことでしたか。別にいいですよ」
と言ってくれた。
「そう言えば、幸恵はもう御夫婦の養女に迎えられたのでしょうか」
「ええ、そうです」
「それは良かったです」
僕の問いかけに、キクの夫はそう答え、それに僕は打てば響くように言った。
こういうのが、先程の続きとして一番無難なように、僕には思えたのだ。
実際、村山夫妻はホッとしたような表情を浮かべた。
僕が現れたことで、幸恵を引き取りたい、と僕が言うのでは、という想いが夫妻に浮かんだのだろう。
「それで、お願い事があります。幸恵には、僕が実父ということを明かしてくれませんか。そして、幸恵と僕とを、時々逢わせてください。その代わりという訳ではありませんが、それなりの幸恵の養育費をお支払いしたいと思うのですが、如何でしょうか」
「それは」
僕からの提案に、キクの夫は困惑したような表情を浮かべ、口ごもって答えた。
その様子を見たキクが口を挟んできた。
「それは有難いです。実は」
キクは打ち明け話を始めた。
史実通り、キクは幸恵を身籠ったことで芸妓を辞め、キクの母を頼りに幸恵を産んだそうだ。
そして、貧困に苦しみながら、キクは仲居で稼ぎ、今の夫の板前と結婚して、小料理屋を開いた。
ただ、幸恵の育児にも、小料理屋の開店にも、お金が入用でカツカツの生活を強いられているらしい。
こうした中で、キクは今の夫の子を身籠り、頭を抱え込んでいたとのことだった。
「それに実は」
幸恵のことを、岸家と篠田家が探っているようだ、とキクは話しだした。
面と向かって、キクに問いかけるようなことはしない。
だが、近所の人にそれとなく聞いて回るようなこと等をしており、近所の人も怪しみ出している、とキクは僕に対して述べた。
僕は自分の仕出かしたことに、二重に申し訳ない想いがした。
一つは言うまでもなく、僕の知らない内に、キクが幸恵を産み、キクの一家が生活に困っていること。
もう一つは、手紙を書いたことから、僕の妻の忠子と、篠田りつが手を組んで、キクや幸恵の身辺を探りまわるようなことをしてしまったことだ。
「だから、この際、貴方に認知してもらおうか、と想っていたのです」
とキクは自分の言葉を締めくくった。
キクの夫は、少し呆然としていて、思わず口走った。
「俺は、岸家と篠田家の動きに気づかなかったが」
「あなた、料理と商売のことで頭が完全に一杯だったじゃない。私もあなたに心配を掛けたくなくて。黙っていたの。本当にごめんなさい」
「ああ。もう、そんなことをされたら、責められねえ」
キクの振舞いに、キクの夫は表情を崩してしまった。
ああ、本当にいい夫婦だ、幸恵を安心して養女として任せていられる。
僕は目の前の村山夫妻のやり取りに心温まるものを覚えた。
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