第6話 水龍
第6話 水龍
精霊の浸食を受けた獣を魔物と呼ぶが、対して精霊獣は精霊の加護を受けた獣である。
どちらも精霊の干渉を受けてはいるものの、魔物は精霊の浸食による強制的に身体強化を施された状態の生物だ。
対して精霊獣は自ら精霊への干渉を行い、精霊を自身の力として揮うことができる。
云わば、精霊術を扱う獣だ。
そしてそのポテンシャルは、元がカエルであるか虎であるかでかなり差が開いてくる。
ましてや、今目の前にいるのは物語りにしか登場しないであろう幻の生物――、龍だ。
そのポテンシャルは獣の中では最強と称しても過言ではない。
その最強を称する生物であり、精霊の加護を受けているという――、まるで物語に登場する勇者クラスの潜在能力の持ち主を目の前にして――、
「それで、これはどうするつもりかしら?」
動揺や恐怖、そういったものを微塵も感じさせない冷静な態度で――、いや寧ろ少し面倒くさそうに、ソアは水龍を指でさし、水龍出現の原因を作った張本人――、つまり、俺に向けて質問を投げてきた。
「出てきたなら仕方ない。危なそうだから俺達で倒さないとな。俺達で!」
俺達を強調して返答しておこう。
「……まぁいいわ。私達で倒しましょう。」
どうやら折れてくれたようだ。
ソアは呆れ半分で肩を竦めて見せると、倒すべき標的となった水龍に向き直る。
「なら、まずは身に纏っている水流を剥がさないとね。」
ソアは言い切ると、唇を奪われた時と同じ速度で水龍の眼前に移動し、片手を構えて紅蓮の光を集束する。
そして――、
『ブレイズカタストロフィ』
一瞬――、刹那――、瞬の刻。
彼女の右手から紅蓮の閃光が水龍に向けて走ったかと思えば、次の瞬間には轟音を鳴らし、水龍が身に纏う水流の渦となっている鎧、その全てを瞬時に蒸発させる程の業火が放たれる。
何が起こったのか、水龍自身もわかってはいなかっただろう、自身が纏っていたはずの水流の渦、その全てが水蒸気となって蒸発していたのだ。
その機を逃さず、鎧を剥がれ生身となった水龍に、俺は追撃を加える。
『ジャッジメントアロー』
アルテミスは、生身となりつつも飛翔している水龍に向けて手をかざし、白い光を集束させて複合属性である光の精霊術を放った。
幾度も途中の階層で練習しただけあり、発動にかかる時間は少ない。
集束していた白い光が飛翔する対象に向けて放たれ、水龍の上空を覆うようにして白い魔法陣を描いていく。
その間数秒――、完成した白い魔法陣から無数の光の矢が水龍を目掛けて降り注がれた。
『ギャオォォォォ――!!』
無数の光の矢が体を貫き、水龍は堪らず苦痛の悲鳴を上げながら地に落ちる。
落ちた衝撃で部屋が揺れ、その強い揺れ具合からも察するに、対峙しているこの水龍がいかに強大かを知ることとなった。
だが、俺達にとって相手がいかに強大かということは左程重要ではない。
やらなくてはいけないことがある以上、臆することも容赦も必要無いのだ。
そして、悶える苦しむ水龍に対し、再び目の前へ移動したソアが容赦のない追撃を加える。
『ヴァニッシュスピア』
『ギャウギャアアアァァァ――!!』
傷ついた体に白銀色の槍が撃ち込まれ、水龍は激痛のあまり悲壮に満ちた叫びをあげ――、否、それは激痛による悲鳴などではなく、激怒の咆哮の様であった。
そして、異変に気付いた。
「……あれは!?」
その言葉の示す先にある異変――、怒号とともに大きく開かれた水龍の口に、薄っすらと藍色の光が集束しており、集められた光は魔法陣を描いていた。
「ソア!危ないっ――!!」
「――えっ!?」
ソアに危機を知らせると同時に、渦を巻いた藍色の水流が勢いよく放たれる。
油断していたのだろう、咄嗟のことで避け切れず、水流の渦にソアは飲み込まれた。
放たれた水流は壁にまで到達し、その勢いのまま強く打ち付けられたか、或いは、破壊する威力が水流にあるとすれば、妖魔種の頂と称される彼女でさえ無傷ではないだろう。
一度でも回復系の精霊術を試しておくべきだったと後悔してももう遅い。
今はただ、絶えず放水を受け続けているソアの無事を祈る事しかできない。
そう思っていたのだが――、
「大丈……夫なのか?」
収まった水流から覗かせたソアの姿をみて、俺は安堵と驚きの両方を一度に覚えた。
水浸しではあるものの、傷は負っている様には見えない。
そして、無傷の理由――、彼女の背から生えた漆黒の翼。
その翼が彼女の身を守る様にして、前方に折り重なっていたからだ。
依然、攻撃を放った水龍はソアを警戒しているかのように、睨みを利かして見つめており、対するソアは、漆黒の翼で前方を防いだまま俯いた状態で静止していた。
その光景にどう声を掛けていいかと迷っていると、静寂の中に薄っすらと――、それでも強い意志、否、非常に強い怒りを込めて――、
「フフフフッ……、レディに水をかけるなんて、いい度胸じゃない。」
と、ソアが言い放っていた。
不敵な笑みを浮かべながらも、水龍宛らの雷の中を昇る龍を背景に伺わせるソアに対し、少しだが水龍が後退するところを見てしまう。
いや、ここは気づかなかったことにしておくべきだ。
全生物の中で最強の存在に恐怖を与えるなど、もはや人の出せる威圧ではない。
絶対に怒らせてはいけないやつだと認識しておこう――。
「アルテミス!ぼさっとしていないで20秒ほど時間を稼ぎなさい!」
そんなことを考えていると、八つ当たりが飛んできた。
憤怒のソアは指示を出し、自身は両手を高く上にかざし精霊の力の集束を始める。
「仕方ない。巻き込まないよう、ちゃんと加減してくれよ。」
了解の意を示し、ソアに代わって水龍に向かって突進した。
多少の安堵で気は抜けていたが、戦闘開始となれば切り替えは早い。
瞬時に研ぎ澄ました集中力で、拘束や奇襲に特化した闇属性の精霊術を水龍に向かいながら行使した。
『シャドーバインド』
水龍の下に紫色の光が集束し、その光が魔法陣を描く。
完成と同時に、水龍の影が自身の本体を引き寄せるかの如く、まるでその場だけ重力が強くなったかのように、水龍の巨大な体を地に縛った。
上体を起こそうにも起こせず、伏せた状態を強いられてはいるが、攻撃は可能であると判断したのだろう、水龍は開口する。
しかし――、
『アイアンウォール』
水龍の攻撃よりも先に、漆黒の光を集束させて前方に鉄の壁を築いた。
その直後、水龍の開口と同時に放たれた、圧縮された水の砲弾が鉄壁に着弾する。
予想していた攻撃を難なく防ぎ、俺は再度攻勢に出た。
『サイクロン』
地に縛った水龍へ緑色の光を集束させ、複数の風の刃を浴びせる。
効果はあまり期待できないが、時間稼ぎには充分だ。
横目でソアを確認すると、彼女のかざした両手の先には巨大な魔法陣を描くように紅蓮の光が集束しており、発動まで後数秒だと察することができる。
それならばと――、
『シャドーレストレイント』
俺は既に地へと縛った水龍に、追い打ちとなる拘束の精霊術を放った。
紫色に発光した光りが影のように水龍の姿を模り、その影が纏わりつくようにして完全に水龍の動きを封じ込める。
二重の束縛により、水龍は開口すら許されなくなった。
そしてその直後、水龍に最期の時が訪れる。
『アブソリュート』
ソアが言葉を発してから一瞬――、水龍の体を紅蓮の魔法陣が包み込み、強く発光したかと思った次には、紅蓮の魔法陣共々水龍の姿は消失していた――。