第60話 王子の失踪
第60話 王子の失踪
新生110年。
妖魔廃絶を目論む、元異端審問官達が多数在籍する国家――、ベロックス。
各国が王政を主とする中、ローグリフ教典の教えを法に取り入れる等、教皇が主権を握る、この世界では珍しい教皇が国を治める国であった。
また、ベロックスは隣国のサグリフと協定を結び、二国連携によって三大大国に次ぐ国力を有している。
その隣国サグリフも、王政を廃して大統領制を取り入れている国家で、元異端審問官の者達による政党も存在している程、妖魔廃絶の色を濃く残す国家であった。
この二国を一括した連合国の名称を、ローグリフ協定国と言う。
その中枢を担う教皇府にて、この年、大規模な軍部編成が行なわれていたのだった。
「我が国家と隣接する、アステイト王国の王子が誘拐されたという情報を、我々は秘密裏に入手することができた。」
整列する軍隊の正面に立った、軍隊長のような男が声を張る。
「この様な卑劣な行ないは、人の所業に非ず、妖魔種によるものに違いないだろう。」
男は声高に演説し、全軍の視線を自身に集めていた。
「我々は人間種の尊厳とこれまでの歴史を守り、子孫の未来とこれからの歴史を紡がねばならない。」
聞こえのいい甘美な文言が並べられる。
「我等は勇者の代行者にして、我等こそが英雄となり得るのだ。」
心地の良い言葉の響きに、軍の士気は大いに高まり、それは威勢となって静寂なこの場に零れだした。
「我ら人の未来に栄光を!!」
「卑劣な妖魔に鉄槌を!!」
「我らが英雄とならん!!」
軍隊のあちらこちらで、様々な威勢が声となって――、思いとなって放たれ、静観していた者すらも巻き込んで合唱の様になる。
妖魔種に対する罵詈雑言、人間種にとって聞こえの良い美辞等、止め処なく響き渡っていた。
「皆、静粛に!!」
軍隊長らしき男の一喝で、大騒ぎだった軍隊は再び静けさを取り戻す。
そして、静かになった軍隊の前に、また別の――、大層な飾付けを施したローブを纏う老いた男が徐に歩み寄ってきた。
ベリオール・ローグリフ。
現教皇の座にいる、ベロックスのトップである。
「教皇様による宣託である!心して享けよ!!」
軍隊長らしき男が振り絞る様に声を出すと、軍隊は一斉に片膝をつくようにして屈み、額の前で掌を組んで神託を待つような態勢を取った。
軍隊は一糸乱れず静止し、場は神聖な空気を纏って静寂に包まれる。
それを一瞥し、老人は軍隊に向かって口を開いた。
「偉大なるロザリオ神の神託を受けし教祖、ベヒオン・マーシャラ大教皇様の御教えを受け継ぎ、私は今日まで教皇の責務を至らぬながらも務めてこれた。しかし、老いしこの体では、今までのように教典を深く世に広める事は叶わず、新たな御教えに応える事が難しくなってきた。利他に責務を負う事は理として世に良く認知し、利己に責務を負うは理を逸して世に憚る。教典の一節からも分かるように、私は時を迎えたのだと悟ったのだ。」
文脈からも判る、事実上の退位宣言。
それを黙して聞き入るしかない兵士達の中には、声を押し殺して涙を流しながら聞き続ける者もいた。
「我がベロックス、並びにローグリフ協定を結びしサグリフを故郷とし、これまでよく私に仕えてくれた事、心より感謝を示したい。そして、願わくば次なる教皇、我が愚息のルオルエルに力を貸してやって欲しい。」
名を出され、次なる教皇に指名されたルオルエル・ローグリフも、これを見計らって軍隊の前に姿を現す。
退位を告げる老いた父の横に立ち、相応に歳を取っている彼も、涙を零しながら父の言葉に聞き入った。
「そして、私から最後の宣託を皆に伝えたい。隣国の王子を奪還する為、人の子よ、英雄と成れ。」
言い切ると同時に、一斉に拍手が巻き起こる。
「教皇様万歳!!」
「教皇様、貴方の為に我々は英雄となりましょう!」
「必ずや王子を救って見せます!」
拍手に混じり、教皇への敬意と兵士達の決意が爆発していた。
「我が父ベリオールの威光の一端でも担えるよう、私はここに宣言する!」
その歓声に割って入る様に、新教皇となったルオルエルは一声を発する。
「勇者を迎え、魔に攻め入り、我が代で必ずや魔王を討つ!」
発した言葉に煽られ、兵士達の士気は声となってドッと沸き上がった。
その言葉を待っていたと言わんばかりに、兵士達は拳を掲げて雄叫びを上げる。
その様子の一部始終を、大木の影から伺う一人の女性――。
「この軍で魔王が倒されるとは思えないけど……、リスタルテ様はルオルエルの動向が魔王討伐に関連すると仰られた。」
リスタルテの命を受けてアルテミスを妨害する、レイラの姿であった。
「私達の遠征軍が歯が立たなかったあの魔王に、こんな老いぼれがどう太刀打ちすると言うのかしら……。」
脆弱な軍隊に不安を覚えつつ、レイラは考えを巡らせながら今暫し状況観察を続ける。
「でも……、ここはグレイの、レベロ・セルフィートの故郷であり、因縁の場所でもある。彼が辿り着けなかった真実を、私が見つけ出さないと。」
独り言を呟きつつ、彼女は決意を固めてこの場を去っていった――。




