第9話 水の大精霊、ウィンディーネ
第9話 水の大精霊、ウィンディーネ
「そんなに驚くことでもないと思うのだけれど。」
盛大に驚いて見せる俺達に対し、ソアは呟いた。
「今の話の流れだと、眷属として誓約を立てる流れだよね!?」
その呟きに対しシンシアは、『私間違ってないよね!?』と言わんばかりの勢いでソアへ迫る。
世界の真実から俺の秘密に至るまで殊更に伝えたのだ。
そこまで聞いたのであれば、世界を守るという正義感を抱いて――、或るいは優越思想を微かにでも感じて、特別な存在になることを選ぶとシンシアは思っていたのだろう。
それをあっさりと拒否したのだ。
「勿論、必要なら眷属にでも何にでもなるわよ。でも、それって今必要なことなのかしら?」
「どういう事なんだ?」
今必要なのかという言葉に、俺は理解が及ばず質問する。
「そのままの意味よ。必要なら眷属になる事を選ぶのだけれど、私にとっても貴方にとっても、眷属の誓約を立てることがメリットにならないわ。」
返ってきた言葉に、俺はシンシアの言葉を思い出し、眷属になるメリットを再考察した。
眷属になる事で、得られるものは二つである。
その一つは長寿を超える不老という特性だ。
ソアにとって、それは長期的に見ればメリットでもあるが、今で考えればデメリットまではいかないにしろ、大きなメリットにもならない。
それは彼女が妖魔という、約200年の寿命を誇る種族だからである。
ちなみに、妖魔の老化速度は15歳から緩やかとなり、そこから100歳までは人間の4倍、100歳以降も150歳までは3倍の緩やかさとなるとのことだ。
つまり、見た目20代前半である彼女は――と、詮索をするのはやめておこう。
無粋な詮索で自爆するのは避けたいものだ。
ともかく、今の若さのままが嫌なのであれば、確かに不老はデメリットになるかもしれないが、彼女の見た目は現段階でも十分な程、自然と視線を集めてしまうレベルの美少女なのだ。
これはデメリットではないだろう。
年齢を割り出そうと試みたことに、『勘付かれていませんように。』と願いながら、俺はもう一つのメリットとなる、力の獲得について考えを切り替えた。
ソアの力に更なる力が加われば、彼女はもはや人類最強となるであろう。
それを望むか望まないかは本人次第なのだが、力を得ることに否定的になる要素は彼女にはない。
寧ろ元の世界へ戻った場合には、その力はきっと助けになるはずだ。
一強となっているヴァルキュリス家に対して、挑戦しようとする者、徒党を組んで滅ぼそうとする者達等、この先幾度なくそういう機会は訪れる。
王者の宿命と言うやつだ。
それに対抗する力は既に持っているとして、それを上回る力が――、強大な勢力が攻めて来ない保証など無い。
彼女が持ちうる生き抜く術の鋭さであれば、後の事を考えて力を得て置く方を選ぶと思われる。
しかし、それでも尚選ばないというのであれば、何か別の視点――、シンシアから直接話されてはいないが、その言葉の中――、或いはその言葉の指し示すものが別にあるのではないだろうか。
そう頭をフルに活用しながら考え込んでいると、ようやく助け船が漂着する。
「推測でしかないのだけれど、誓約により得られる力は、眷属の誓約者である者の力から得られる、と言うことになるのではないかしら?」
ソアは見解を述べ、その正誤を確かめる様に視線をシンシアへと送った。
シンシアは正解の意志を頷いて返し、言葉を続ける。
「確かに今眷属になったとしても、アルテミスの今の力では貴方の力を今以上に増幅は出来ない。つまり貴方の言うメリットがないとは、そういうことかしら?」
ソアの言葉から推測し、今度はシンシアがその正誤を問いかけた。
「そうね。現状、力に関してメリットは小さいわ。でもそれは、彼がこれから強大な力をつければ解決する話でしょ?」
どうやらシンシアの推測は、一部当たってはいるものの核心たる理由を捉えてはいない様である。
それを決定づけるように、ソアから核心の言葉が放たれた。
「問題は寧ろ、老化の停止、不老の方よ。」
その意外な一言により、俺達は困惑する。
「不老がデメリットになる事なんてないと思うのだけれど……。」
「俺もそう思うんだが……。」
俺達は各々に解せないといった感じで、ソアに言葉を返した。
その疑問に答えるように、ソアは自身の二つの膨らみ――、華奢な身体つきの為か、些か膨らみに欠ける両胸に手を置きつつ、至って真剣な表情で二人に告げる。
「成長の可能性が無くなるのはデメリットでしかないわ。」
〝そこ気にしてたのか――。″
意外な答えに、あれだけ真剣に考察したのは何だったのかと、唖然とせずにはいられなかった――。
またしても、ソアの意表を突く言葉に衝撃を受けつつ、シンシアは気を取り直して話を変える。
「眷属の話は一先ず置いておくとして、そろそろ頃合いだからウィンディーネを召喚するわね。」
そう言うと、今まで動こうとしなかったシンシアがディヴァインコアへと歩みを進めた。
彼女はゆっくりと近づいて行き、コアの目の前に到達する。
そして目を閉じ、両手をコアへと向けて詠唱を始めた。
「盟約により、我の力を依代として汝の姿をここに解き放つ……。」
その言葉と同時に、シンシアの周りを青い光が包み込む。
「静寂なる水面に一点の雫を落とし、波紋を広げ、環を描く……。」
その青い光は、言葉の通り環を成して広がり、瞬く間にこの空間を青く染めた。
「環は循環を現し、水の祖である汝に行き着く……。」
やがて、青い光の環は魔法陣のような複雑な紋様を刻み、はっきりとシンシアを中心にして地面に浮かび上がる。
「我が声の波紋を伝い、この場にその姿を見せよ……。」
強く言い切られた言葉と共鳴し、青い光は一層輝きを増した。
「ウィンディーネ!」
その輝きが更に強くなり、いよいよ視界全てが青に染め上げられると感じた時、シンシアの詠唱――、その呼び声に応えるかのように――、水の大精霊、ウィンディーネがその姿を現す。
「これが……、ウィンディーネ……。」
シンシアの頭上で、まるで幽体離脱しているかのように、ウィンディーネはその姿を現した。
まるで長髪の女性を思わせるようなシルエットを見せるが、その輪郭を象って薄っすらと青く光るだけで表情は伺えない。
だが、優しく輝く青の光からは、敵意や嫌悪と言ったものは感じられなかった。
『お久しぶりです、シンシア様。』
「たったの85年よ、ウィンディーネ。あの時と比べれば、ついこの間のように思うわ。」
言葉を発すると言うより、脳に直接語り掛けるようにウィンディーネが挨拶をし、シンシアは言葉で返した。
『状況は察しております。ですが、私ではアルテミス様の記憶を戻すことはできません。』
何処か申し訳なさそうに、ウィンディーネの声が脳内に響く。
「そう……、大精霊の力を持ってしてでも難しいのね。」
『いえ、そうではありません。』
ウィンディーネの説明に、残念とばかりに肩を落とすシンシアであったが、『そうではない』と、ウィンディーネは言葉を続けた。
『恐らくは、地の大精霊、ノームによる魂魄属性の精霊術と、火の大精霊、サラマンドラによる核属性の精霊術を駆使して行われた、記憶の隔離保護が記憶喪失の状態を作り上げているのだと思われます。』
その言葉に光明が伺え、俺はウィンディーネに尋ねる。
「それなら教えてほしい。地の大精霊と火の大精霊に会うために、俺達はどこへ向かえばいいんだ?」
その質問に応えるべく、ウィンディーネは視線と体を俺に向けるよう、青く光る輪郭だけの姿でありながら最大限にそれ表し、優し気な口調――、否、波長で脳へと直接回答した。
『妖魔領域最北の地にて、火の大精霊サラマンドラに……、人間領域北西の霊山にて、地の大精霊ノームに会えます。ここからだと、双方同じくらいの距離は有りますが、先にサラマンドラに会うことをお勧めいたします。』
ウィンディーネの言葉を受け、俺はソアへと視線を向ける。
その視線に対し、俺の言おうとしている事を察して、彼女は頷いて見せるのであった――。




