第17話姉襲来。姉の言う事はきちんと覚えておくべき。
「……だるい」
ひたすらにだるい。
やる気が出ないし、食欲もわかない。
何もかもが億劫である。
今の状態を一言で表すのなら『夏バテ』していると言うのが相応しいだろう。
「はあ……」
そして、部屋には俺一人。
山野さんは居ない。
理由は簡単で、少しばかり実家へと帰省しているだけだ。
夏バテ+山野さんが居ないことで、相当に気が滅入る。
だるい気持ちで、冷房を利かせた部屋でだらだらと過ごしていると、
誰も来ないはずの玄関が勝手に開く。
一体、誰なんだ? と恐る恐る玄関の方を振り向くとそこには良く見知った顔があった。
「哲郎。様子を見に来ましたよ」
「なんだ。姉さんか。急に入って来て驚かすなよ……」
そう、年の離れた実の姉が部屋に訪れてきたのだ。
「何度も言いますが、一人暮らしでは鍵を閉めること。意外に危ないんですよ? こういう風に部屋に上がり込まれるんですよ?」
早速のお小言。
姉さんはいつもこうである。
年が離れているせいか、俺にやたらと厳しいのだ。
「だからと言って、実践はしないで欲しい。んで、今日はどうしたんだ?」
「私は今日から夏休み。せっかくなので、哲郎の様子を見に来ただけですよ」
そう言ってきた姉さんをよく見ると、汗をだらだらとかいているので飲み物を用意すべく、冷蔵庫に向かう。
前はペットボトルのお茶だったが、今では自分で沸かしたお茶が常備されている。
そして、コップにお茶をそそいで、姉さんに手渡した。
「ありがとうございます。前来た時はお茶なんて出さなかったのに、気が利くようになってお姉ちゃんは嬉しいです」
お茶を受け取り、適当にクッションを敷いて腰掛けた姉さん。
流れる汗をハンカチで拭き、失った水分をお茶で補給。
そんな姉さんは落ち着きを見せ始め、色々と話しかけて来た。
「ちゃんと綺麗にしているようで何よりです」
「まあな」
山野さんが出入りするようになってからは掃除は欠かさない。
でも、綺麗に部屋を保ち続けているのだが、自炊のせいで黒光りする奴が発生はした。
こればかりは幾ら綺麗にしようが、仕方がない。
「それで、学校はどうですか?」
少々、うざったい気がするも心配されているし、何よりも独り立ちしている姉さんから多少の支援を受けているので仕方がなく答える。
「良い感じだ。成績表があるけど、見る?」
「見ます」
棚から成績表を取り出し、姉さんの前に置く。
別に恥ずかしい成績では無いし、何の文句もないはずだ。
「いい成績ですね。これなら、成績は何の文句のつけようもありません。このまま、頑張ってくださいね」
「分かってる」
支援を受けている身だ。
頑張らないといけないのは十分に分かっている。
「成績も良いですし、ご褒美として今日はお寿司を食べに行きましょうね」
とまあ、こんな感じで優しいのでなおさら頑張れるのだ。
「姉さんの方こそ、仕事は順調?」
「まあ、ボーナスを結構貰えるくらいには順調ですね。という訳で、成績も良い事ですし、お小遣いをあげましょう」
カバンから財布を取り出して、その中から一枚、俺に渡してくれた。
……その一枚は万札だ。
「良いの?」
「はい。夏休みですから、そのお金で楽しんでください。私は大変で楽しめなかったので……」
姉さんも高校生時代から一人暮らし。
その時は両親の収入は今よりも少なかったらしく、仕送りは少なかったらしい。
なので、バイト三昧で大変な思いをしており、そんな思いを俺にはさせたくないからこそ、一人暮らしの支援や、こういう風にお小遣いをくれる。
本当に良い姉で、頭が上がらない。
「ありがとうございます」
深々とお礼を言って頂戴した一万円。
大事に使わせて貰うつもりだ。
「いえいえ、哲郎は可愛い弟なので。さてと、汗も引いてきました。しっかりと、お部屋を見させて貰いましょう」
「たぶん、姉さんが思っている以上に綺麗だから安心してくれ」
全体的に部屋を見られた。
もちろん、プライバシーを守ってくれ、棚を開ける時は『開けても良いですか?』と聞いてくれる。
そんな、チェックが終わり下される評価。
「安心しました。ちゃんとやっていて偉いです」
「だろ?」
「はい。私が高校生の時はここまで綺麗にしてませんでしたし。でも、気になったことが一つあります。この髪の毛は誰のでしょうか?」
手渡された一本の髪。
俺の頭から抜け落ちたとは思えいない程ではないが、そこそこ長い。
俺の髪質は硬く、姉さんはそのことを良く知っている。
手にした髪の毛は明らかに柔らかく、俺の物ではないと一瞬で理解できた。
大体、誰のかは分かるが、ありのままを答えても面倒なので俺はこう答える。
「友達のだろ。ちょっと髪が長い奴がいてな」
「そうでしたか。まあ、それ以外ありえませんよね。哲郎に彼女なんているわけありませんし」
「まあな」
「仮に彼女が出来たら、一人暮らしで連れ込み放題。羽目を外さないように気を付けるんですよ?」
それからもちょっとした姉さんによる家宅捜査は続いた。
あらかた、俺の近況を知った姉さんは満足そうにこう言う。
「しっかりしていて良かったです。さてと、夕食には良い時間。約束通りにお寿司を食べに行きましょうね」
近くのコインパーキングに車を停めてあるとの事で、その車でちょっと良いとこのお寿司屋さんに行くのであった。
そして、食べ終わって部屋に帰って来る。
「美味しかった……。ありがとう、姉さん」
夏バテで食欲不振だったのだが、一口で食欲不振が吹っ飛ぶくらいに美味しく、大満足だった。
「いえいえ、満足して貰えて何よりです。そう言えば、大事なことを言い忘れてました。明日から3日ほど時間は大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。何の予定もないけど」
「そうですか。私の夏休みは今日から1週間。明日から、3日ほど実家に帰ろうと思っていたので一緒にと思いまして。それで、どうします? 一緒に帰りますか?」
夏休み。
実家に帰る時期は決めていなかったが、帰るつもりだった。
さらには姉さんと一緒なら、姉さんが車で送ってくれるだろうし、交通費も掛からない。
それなら、答えは一つだ。
「分かった。俺も帰る」
「はい。じゃあ、明日一緒に帰りましょう。という訳で、今日は泊っても良いですか?」
「姉さんが良いなら別に問題は無い」
「では、泊まらせて貰いますね」
姉さんが俺の部屋に泊まる事になったので、俺はお風呂場に行きお風呂を掃除。
掃除を終えて戻ると、机の上には一枚の書置き。
『車から荷物を取ってきます』
との事だ。
「さてと、姉さんにはベッドを使わせるとして、俺の寝床を作るか……」
姉さんは今日から夏休み。仕事の疲れは抜けていないだろうしベッドに寝かせる予定だ。
ベッドが使えないので、俺が寝る寝床を作るべく、机を動かしたり、片付けをしていると足元に女性用の可愛らしいというよりも清楚で綺麗な絵柄であるハンカチが落ちていた。
後で姉さんに返そう。そう思って、棚の上にどかしておく。
机を動かし、床も綺麗にした後、普通にクッション類でうまい具合に背中が痛くならないような寝床を作り上げていると、姉さんが戻って来る。
「帰省用に準備した着替えがあったので、取ってきました」
「お帰り。姉さん。お風呂を沸かしたからそろそろ入れると思う。タオルとかは今用意する」
「分かりました。それでは、お先に頂いちゃいますね」
タオルとかを渡し、姉さんはお風呂場へ行くと、あっという間に綺麗になり戻って来る。
姉さんが上がった後、俺もお風呂に入り、時間は早いが電気を消して眠ることにした。
電気を消して、さあ、寝ようというのに、暗い部屋で姉さんが話しかけてくる。
「哲郎は気になる人は居るんですか?」
「なんで急に?」
「いえ、高校生と言えば恋バナかと思いまして」
「居たとしても教えない」
「生意気ですね。もし、気になる人がいるのなら悔いは残さないようにとだけ伝えて置きます。私は……あれでした。そう、あれは6年前……」
急に始まった姉さんの失恋話。
暗がりの中で『ちょっとしたことでも、相手は気にする』だの『仲良くなるチャンスは転がってた』とか色々と一方的に話してきた姉さんは最後にこう締め括る。
「今を後悔しないように過ごしてください」
姉さんの恋バナは心底どうでも良かったが、この言葉だけは耳に残った。




