一刻
私はいったい何をしているのだろうか。
私は心の中で独り言ちながら目の前にあるサラダに入れる人参を切っていた。私はここに招かれて――何かを用意してもらえるはずだったんだけど。
少しだけ期待をしていた自分が悲しい。オーレスが来ると聞いた時点で気づくべきだったのに。美味しいごはんを待ってしまった。
「すいません。貸してもらって」
精霊殿には厨房があった。普通の家よりは当然に広くて働いている人々は多い。夕食時を過ぎたためにこれでも少ないのだと聞いたのだがそれでも十数人はいた。そのほとんどが料理人で不思議そうに私たちを見つめている。
そう。私たち。
ラキュースルは厨房で食べ物を探し出して齧っているし、オーレスは女性の料理長にレシピを聞きながら何かを作っている。おやつだろうか。おいしそうな甘い匂いがしてくる。
にしても。改めて思う。年上まで魅了する整った顔だ。料理長の女性は頬を軽く高揚させていた。
話を聞いていれば料理以外の方向にずれていくがそれを何とかセツラが軌道修正している。まぁ、それがまっとうな反応なのだろうな。と思うし――二人に慣れ始めている自分が少し怖い。
「大丈夫ですよ。お構いなく」
にこりとほほ笑んでくれる料理人の人に頭を軽く下げてから私は人参に向き直った。
「でも、こんなところまできて何してるんだろうね――というか。あのお子様。どう見たって強そうに見えないんだけど。服だってあれだし」
人は見かけによらないよねぇ。
ラキュースルは呟きながらイチゴを口の中に放り込んで咀嚼している。それを冷たい視線で見ながら話が終わったらしいセツラが口を開いた。もっともそんな視線なんて気にも留めていないが。
「その魔術師様は?」
二人――デリートとローエルが去った後直ぐだっただろうか。扉が勢いよく開いて開口一番『お腹すいた』と言われたのは。もはや私は友人でも知り合いでもなく食事係か何かかとは思い始めているような。もっと――何かないのだろうか。あの性格だし、考えてもなさそう。なので期待しても無駄だけれどと、溜息一つ。
「まだ帰ってこないよね。デリートだっけ? に連れられていったままだよ」
ローエルに子猫よろしく首根っこを引っ掴まれていったオーレス。抵抗もせずに『ご飯』とだけ言い残していった。
ちなみにオーレスは私の料理しか食べないからよろしくと言い残していったのはデリートだ。で。現状こんな感じになっている。
うれしくは、ない。
「ま、あの部屋に置いておけばいいのかな」
「それでいいだろ。ここでは迷惑だし」
「確かに」
私はセツラの言葉に苦笑を浮かべてオーブンをのぞき込んだ。
オーブンには鳥が丸ごと入っている。なんでも使っていいよということだったので――家ではできない料理に挑戦してみた。お値段的に。
……。
誰も止めないし。
「なら私たちが運びましょう。お客様ですし――何もしないのでは」
料理人とはまた違う白い衣服を着た少年――おそらく私よりも少し年下――が眉尻を下げる。ここで働く司祭や魔術師とはちがう少しだけ些末な服で、見習いか何かなのだろうと思わせた。あるいは下働きか。どちらにせよ私たちの世話を言い使っているのだろう。ここについた時からピタリと張り付いていたのだから。
けれど彼に私たちの食事を運ばせるのはいささか気が引ける。そこは一般人なので仕方ない。
「あ、大丈夫です」
言うと悲しそうな顔を浮かべられた。そんなつもりではなかったのだけれど。どういえばいいんだろうか。考えているとラキュースルが言葉を紡ぐ。にこにこと柔らかい笑みを振りまきながら。
「一緒に食べる? 君?」
「え?」
何を言われているのだろう。そんな顔でぱちぱちと目を瞬かせる少年。
「うん。それがいいよ。そしたら『運べる』し」
「甘いものは好きか?」
畳みかけたのはセツラで。『いいだろう』と視線を持って言われた気かがしたので私は『うん』と軽く頷いた。別に断る理由はないのだし。皆で食べたほうが楽しい。別にオーレスは気に留めないだろう。それにと考える。もしかしたら『何もしなかったこと』を責められるかもしれないのだし。それにセツラたちはおそらく気づいたからそういっているのかもしれない。
気づくことができなかった私は――心底気が利かないし回らない。少し自分に嫌悪感を抱いた。
ただ、くよくよ考えても仕方ない。思考を切り替えながら口を開いていた。
「そうと決まれば――もう少しなので待ってね。ああ。スープも作ろうかな」
先ほど切っておいた人参。それを入れたサラダと。チキンと。パンに。セツラのお菓子。――うん。作った方がいいか。と考えて近くの芋を手に取った。
洗おうと溜めてある水に目を落とす。なぜだろう。それに違和感を覚える。軽く水面が震えていたのだ。風――ではない。窓は空いていたが風は凪いでいた。
耳に届くのは低いうねりの様な音。それは酷く不快だ。私は軽く眉を潜める。
「――え?」
「なんだ?」
低くセツラが呟いて眉を寄せ軽く身構える。その横でのんきに伸びをしているラキュースル。ただ。その眼は何かを探るように宙を見つめていた。
「これは」
小さく呟くのは少年だ。その顔色には緊張の色――いや。それよりも驚きの色が色濃く浮かんでいる。
そんなはずはない。そう言いたげにまばたきを忘れたような双眸が揺れていた。
「どうした――の」
「嘘だろ?」
私の言葉をかき消すようにして、そう呟いたのは誰だったか。
――刹那に響き渡ったのは耳を裂くような轟音。同時だったのか少し遅れてなのか――よくは分からない。視界が何かを捉える。その前に私の体は軽々と吹き飛ばされていた。