閑話
ネタばれ。読まなくても支障はないです。
暗い世界に淡い明りがともる。虫のような。雪のような。綿毛のような。柔らかく舞うそれに目を落とし、その向こうに彼は目を細めた。
美しい――息を呑むような景色。
夜だというのにすべてが淡く輝く。花も葉も。夜露すらも。見上げた月はいつものように白く、しかしながらいつも見ているそれとは何処か違うように見える。
濃く、清浄な空気。すうっと息を吸えば身体すべての細胞が入れ替わっていくように思えた。
チリチリと聞いたことのない美しい鳥の囀りはどことなく音程があるようで彼はそれを聞くために耳を傾けていた。
「どういうつもりだ? デリート」
不意に入ってきた声が邪魔だ。そういわんばかりに彼は軽く眉を寄せた後声の主に目をゆるりと向けた。
燃えるような赤い双眸。それを打ち消すような水色の髪。明らかに人ではない色を持った青年――ローエルは溜息一つ、彼を見、空に目を向ける。
「俺もここに連れてくるのは違うと思うんだが。あれは保護されている。ここに連れてくる意味はないだろ?」
あれ。と考えてデリートは苦笑を浮かべて見せた。
思い出すのは少しだけおどおどした少女。どう見てもごく普通――言っては悪いがどこにでもいる――の少女で彼女自身は何かあるとは思えない。
けれどと、デリートは口の中で転がしていた。
「――保護はもはや無意味です」
光りを指先で軽くつつけば『邪魔』と言いたげに光は遠ざかっていく。――まるで意志を持つように。
「どういうことだよ?」
「もはや『人』でないことは隠しきれてませんよ。あの方は。――いくら神族の臭いをかき消したところで、体内に溜まった凝りは消えない」
それはもはや人の身で溜めておかれないほどの凝り。おそらくその身が普通の人であればすぐに亡くなってしまうだろう。
彼女はそれすら気づいていない。
ローエルは少し考えたあと眉を潜めた。
「――魔力か」
「はい。気づきませんでしたか? 臭いよりそちらの方が酷くて――酔いそうでした」
魔力を持つものはより強いものに恐れ、惹かれる。それを知らないものは恐怖に脅え――または恋焦がれる。いわば猫に対する股旅のようなものなのかもしれない。
彼女の周りにいた少年たちも恐らくそうなのだろう。彼女の魔力に当てられている。彼らの間柄は知らないが、それを知ったときの彼等が――あるいは彼女――デリートには少し可哀そうに思えた。
「俺は魔力には鈍いんだよ」
ぷくっと、不服そうに膨れた青年は当然のようにかわいくはなかった。精神年齢だけは十代半ばで止まっている青年だ。仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。と呆れを抑えて納得するしかない。ただ、十代半ばの少年がそんなことをするかというのも甚だ疑問ではあったが。
「知ってますよ――ローエル様はもともと魔力ないですし。その眼と鼻以外」
基本的に魔力は先天的なものだが、この青年だけは後天的なものである。であるが故魔力には疎く感じる力は弱かった。
本人もそれは弱点に感じているらしく悔しそうに小さく口をとがらせていた。だからかわいくはないとデリートは内心突っ込んでいる。
「ちくしょう」
「ともかく。オーレスの力ではもはや抑え込めていないのは明白です。あれが『学校』とやらにいるのは魔力を抑え込むためでしょう」
世界最高の魔術師が扱いきれない魔力。そんなの世界の誰が扱うことができるだろうか。デリートは軽く瞑目した。
扱うことができるとすれば――しかしながらオーレスはそれを良しとはしないだろう。だが。もはやそんな場合ではないし悠長に構えている場合ではない。
そうしてもらわなければ困る。
「あぁ――神族と魔力が揃えば世界なんて簡単に支配できるからなぁ」
人ごとのようにオーレスが呟いた。その横でデリートは軽く顔を上げる。そのセピア色の双眸に白い月が移りこんで黄金色に見えた。
「この間報告があったんですよ」
「あん?」
報告という言葉に嫌な予感がしたのかローエルは眉を寄せまだ隠し持っていた飴をポケットから出したところで手を止めた。
「魔兵器が熱を持ったそうですよ」
カツリ。手元から落ちた飴が床に滑り落ちて足元に転がる。唖然とした顔がいささか面白く感じたのだろう。デリートは軽く笑みを浮かべて見せた。
何。大したことは無い。そういうように。
「故に――ここに招待したんですよ」