差しのべられた手
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――その子は言ったんだ。小さな手を私に差し出して。
『君の魂を僕にくれない? そうしたら助けてあげる』と。
けれど本当は『こんなこと』を望んでいたわけではなかった。
外は雨が降っている。もう何日目だろうか。雨季と乾季が分かれているこの国では一年の作物を決める恵みの雨だったけれどこうして続くと憂鬱なものがある。毎年のことではあるけれど。私は嫌いだ。洗濯だって溜まっているのに。――そう思った。
カチカチと刻む時計の秒針。私はそれを見て小さく溜息をもらしていた。
町の外れ。学校の近くにある小さな喫茶店。ほぼ学生しか利用しない喫茶店で周りにいるのもほとんど同じ制服を着こんでいる学生だった。誰かは勉強したり、誰かは話し込んでいたりする。安いお値段設定で利益を取れないのかアンティークと言えば聞こえがいい古めかしいものばかりが目立っておいてあった。――父も私と同じ学校なので聞いてみれば昔から変わっていないそうだった。
『お待たせしました』見せんおじさんが持ってきてくれてのはミルクティ。それが小さく音を立てて机に置かれるのを私は見つめていた。
「ありがとうございます」
そういえばどういたしましてと人の好い笑顔で帰ってくる。それにつられるようにへらりと私は笑顔を浮かべていた。
居心地はいいんだけれど。クラシックが背景に流れていて――けれど。私はもう一度溜息一つこぼしていた。
「――で? どちらを選ぶの?」
静かに告げられた声に現実を思い知らされ肩を震わせていた。
「ええっと」
思い出したくない現実に小さく愛想笑いを浮かべて見せる。どうせなら逃げたい。そう考えながら私は全身に汗が浮かんでくるのを感じていた。
夢だったらどれほどよかっただろう。いや、夢で逢ってほしい。――こんなこと絶対にありえないのだから。
こんな人生は『しらない』と私はきゆっと口を結んでいた。
目の前にいるのは眉目秀麗な少年たちだった。一人は麻色の肌。耳元で黒い髪を刈りこんでいる。その眼は灰色。半袖のシャツから延びる腕は薄い筋肉がついていてしなやかに見える。顔は整っていたが青年にも少年にも見える顔立ちをしていた。
名をセツラ・エリエル。学校の中では知らない人はいないほど有名人で知能も明晰。私たち普通科の中でトップを走る人だ。ついでに普通科の中で『選択』というものがあるのだけれどその中で『剣術』というものを取っている。その中で先生を打ち負かす程強いと聞いた。先生のレベルは知らないけれどたぶん強いのだろう。
もう一人は。金髪碧眼。肩までの長い髪を後頭部でまとめている。白い滑るような肌。口元はいつも弓なりに曲がっていて笑顔が印象的な少年だった。まるで絵本に出てくる『王子様』の彼は紛れもなく一般人だった。すべてが輝いているように見えるはきっと気のせい。
名を――ラキュースル・エンリッチ。私たちの学校では『魔術』というものを教えている。学生自体それほど多くはないがそのトップにいるのが彼だ。希少な才能は国の上層部を約束されていると聞いた。つまりはエリートなのだろう。一般人でも。
私たちの学校。女子の憧れだった。当然彼らと話せるのはスクールカーストの上位にいるような美人で私たちが話せるわけもなく――同級生なんだけど――こんなことが見つかると何をされるのか分からないので戦々恐々なのもあった。
見ているだけで十分な彼ら。それが私に向けてなんといっているんだろう。
理解が出来ない。いや、理解したくない。きっと何かの冗談だし。――おちょくられているんだと結論付ける。
だって。接点ないし。
「ええっと。ええと。――暇なんですか?」
顔をひきつらせて言えばラキュースルは軽く頭を抱えた。セツラは軽く眉を跳ねる。
「いや、だから。一向に話が進まないのだけれど。ねぇ。アーデルちゃん。大丈夫? 本気で落としていい?」
「殺すぞ?」
低く言ったのはセツラだった。
この二人は幼馴染で仲がいい、そう聞いたのだが思いっきり殺気が流れ込んでくる。それを気に留めることなくラキュースルは肩をすくめて見せた。
「ともかく。あんたが『選ばない』と俺たちはこの先に進むことができないんだ。アーデル・ロナ・デル」
「フルネームはちょっと。あの。アーデルでいいです。ではなくて。突然すぎて意味が分からないんだけど。――選んだところで……何かあるんですか?」
突然『付き合え』と言われたのがついきっきのこと。拉致同然にこの喫茶店に連れ込まれこの状態で。『お付き合いする方を選べ』と言われてもよくわからない。
ちょっと明日のことが不安だ。
「僕たちじゃ不服? だったらどんな男がいい――整形でもしようか?」
カラカラとラキュースルが笑っている。
「好きな男でも?」
セツラに言われてそんな相手を必死に考えたけれどいないことが悲しく思えた。なんとか必死に言い訳を考えながら――基本的なことを思い出していた。
「そういうのじゃなくて」
「どういうの?」
ラキュースルにのぞき込まれて声が喉に引っかかった。これは言うべきことではないことは分かっている。きっと言っても信じてはもらえない。今までそうだったように。
けれど信じてほしかったのかもしれない。誰かに。
「私。もうすぐいなくなるから」
居なくなる――それは『死』を意味している。でも自分で死ぬとは言いたくなくて。
そう。私はもうすぐ『死ぬ』正確な時間、日付まで知っている。それに恐れも憂いも何もないのは――また世界が廻るから。
つまり私の世界はループしている。今まですべての世界に対して記憶が正確にあるわけではないけれど少なくとも同じことを繰り返しながら生きてる。
勉強も。友人も。家族も。何一つ変わらない世界。
そう。思っていたのに。
こんなこと『しらない』
私が軽く笑うと二人はあからさまに眉を潜めて見せた。『いなくなる』を察したようだった。
「――どこか悪いのか?」
まっすぐな灰色の目が私をのぞき込んだ。心配そうに。
死因は毎回変わる。初めは――覚えていないけれど事故だったり事件だったり。様々だ。なんとか抗おうとしたのだけれどそれは無駄だと知った。
そうして。世界は巡ってしまう。
みんなすべて忘れて。それはすごく悲しいことだった。たぶんここが終わればこの人たちも私を忘れてしまうのだろう。何もなかったように世界は進む。私の心をぽっかりと開けて。
きゅっと唇を噛んでいた。
「ううん。私は――」
刹那。扉が乱暴に開け放たれた。鈍い音。店員の『お客様』と困惑した声が店内に響いていた。
何事――そう言う前に一人の少年が大股でこちらに歩いてきた。学校の制服だ。しかもなぜか暑苦しいブレザー。新品みたいな制服に着せられた少年は幼さを色濃く残した顔で私たちの前に立った。
無表情で。
「え?」
「え」
口々に困惑を呟いていた。
「オーレス?」
私はこの子を知っている。オーレス・アリアントという少年だった。黒い髪。黒い双眸。それを引き立たせるのは白い肌で。天使のような顔立ちを持つ少年は死んだような目で私たちを見つめていた。
「知り合い?」
「友人なんだけど――ええ、でも」
なぜ学校の服を着ているのだろう。入学したという話は聞いていない。それに入学する必要はどこにもないし意味がない。
この人――この国にいる魔術師を統括する一人だから。正確な年齢はよくわからなくて少なくても私より年上だと思う。
「……なぜ学校の制服を?」
「おなかすいた」
会話にならないのはいつものことだった。これでどうやって魔術師を統括するのか謎だと思う。有事になれば率先して動かなければならないのにこれでいいのだろうか。――心配になる。ただ、私の記憶上そんなことは起こらなかったけれど。
「おなかすいた」
無表情である。
「ああ。ええと、腹減ったんなら何か食うか?」
セツラが言いながらメニューを開くが私は思わずそれを止めた。不思議そうにセツラは私を見る。
「いや。あの。この子すごく食べるので。お店の人も財布も――だから。私が作ってるんです」
「え」
「え」
何か変だっただろうか。私は不思議そうに見返した。
オーレスは私の大切な友人だ。そして私の事情を唯一知る人物である。忘れてしまうわけでもなく、しっかりと記憶を持っている。私を覚えてくれている。それはとてもうれしいことだった。
「え。だって。オーレス一人で暮らしてるから」
しかもろくなもの食べていないので一週間に一度くらい私が作りに行っている。下手すると石とか食べ始めるし。家も散らかっているので掃除もついでにするのだけど。
しかしまぁ。こうして催促に来るのは珍しいと思う。何かあったのだろうか。
そういえば昔一度だけ――何回目の世界か忘れたけど――部下らしき人に泣いてお礼を言われた気がする。なぜか。
私が言うと二人はお互いの顔を見合わせてからオーレスを見つめた。
「わかった。僕らも手伝うよ。アーデルちゃんの料理食べてみたいし」
にこりと私にほほ笑むラキュースル。なんとなく花を背負っているように見えたのは気のせいだろう。
「え?」
「俺はこう見えても料理はする方なんだが」
つまりは手伝うと言いたいのだろうがその意味が私にはわからなかった。流れ的に解散となるはずだったのだ。私たちは元の流れに戻って。また繰り返すはずだったのだけれど。
どうしてそんなことになっているのか私には皆目見当もつかなかった。