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気が付くと、最初の人形の空間に戻っていた。
「百瀬、もう俺の過去に干渉するのは止めた方が良い。さっきみたいな事になると、嫌じゃん」
「……確かにあまり良くはないけど」
日高のセリフに、私は俯いて答える。節ばった自分の指が見えた。
………………。
……節ばった?
これはおかしい。私の指……いや、私の指だけではないが、節ばっているはずがないのだ。だって、これじゃあまるで、人形みたいだ。
何だか私は怖くなって、日高の手を見た。
「日高!」
私は大声を上げて、日高の手を取ると、マジマジと見つめる。彼の手も、人形のように節ばっていたのだ。
「……何、これ!」
「俺だって聞きたいよ」
私達の右手は、サイズだけはそのままに、人形のように変化している。
今度は、佇んでいるだけの人形を見た。
「――っ!」
息が止まるかと思った。
私にそっくりな人形の手が、私の物に変わっていたから。慌てて日高を見ると、彼の視線も、彼によく似た人形へと向けられていた。同じ、だった。
「何で……?」
「さぁ?」
私の疑問に、彼も疑問符をつけて返す。
そうだった。日高は自分から動いたりはしないんだった。
私は自分に近い人形に近づくと「ちょっと」と声を掛ける。硝子玉の瞳が私を見て、不気味だ。
「これ、どういう事?」
自分の手を見せながら尋ねると、人形は「はい」、と、私と同じ声で答える。
「ゲームオーバーとなると、パーツが一つずつ私と変わってゆきます」
人形は言う。私の頭の中には、あの黒い空間での文字が浮かんでいた。おそらく、あれの事だろう。
「ゲームオーバーって、何なの?」
「ゲームオーバーとは、過去の改ざんにて、死亡した場合の総称です」
尋ねてみると、直ぐに答えは返ってきた。前に見た説明と同じ答えが。やはり私と日高は、先程の場所で一度死んでいたようである。
「リプレイしますか?」
また、最初と同じ質問。私は人形と距離を取って、考える。
リプレイするという事は、また過去を改ざんしに行くという事だ。完全に、無事に帰って来る事が出来る保証は、どこにもない。
「リプレイ、するよ」
「……日高?」
私が悩んでいる間に、日高は一人で決断して、自分の姿をした人形へと近づく。
「日高、何で?」
「俺はやり直したいから。百瀬は止めておいたら?」
私の問いに、彼はお馴染みのニヤニヤした表情で答える。でも今は、全然腹立たしさなんて感じない。ただ、不安なだけだ。
「でも――」
「気にしないでよ。元々は他人同士なんだし、うっかり馴れ合ったりもしたけど、人の過去とかどうでも良いじゃん?」
「それは……」
思わず口ごもる。そうだ。他人だったんだ。
過去を覗き見たせいか、ここには日高しかいないからなのか、つい構いたくなってしまうけど。
「俺は、どうしても変えたい。こんなに楽しい気分は、久しぶりなんだ」
「楽しい? 苦しいの間違いでしょ?」
「苦しいのは今までの生活だよ。それをぶち壊せてるんだから、楽しい以外の何物でもない」
意味が分からない。私は日高じゃないし、日高は他人だから、全然分からない。
「失敗すれば、人形化するんだけど、それでも良いの?」
「良いよ。自分の判断だし、悔いなんて残らない」
ニヤニヤ顔で彼は言い、私が更に何かを言う前に、人形に手を伸ばして消えてしまった。
私はどうする事も出来ずに、その場に佇むだけ。
何分なのか、何十分なのか、何時間なのか。ここには時計がないから分からないけれど、暫くしても、日高は帰ってこなかった。
私は人形と距離を取ったままだったが、ふ、と息を吐いて自分の姿にそっくりなそれに近づいた。
「ちょっと質問」
人形は、硝子玉の瞳で私を見つめる。不気味だ。
「ここって、何なの?」
「ここは、平行世界の狭間です」
「平行世界? どういう事?」
「リプレイしますか?」
これ以上は答える気が無いらしい。何度も聞いたセリフを吐いたので、私は「しない」と答えた。
それにしても、質問すれば、答えてくれるものもあるらしい。最初から聞いてみればよかった。
平行世界、という事は、つまりパラレルワールド。私が見てきた『記憶の欠片』とやらは、パラレルワールドの自分の過去だったのかもしれない。
その世界では、私と日高は既に知り合っていて、なんか悪い展開になったりする。今だって、決して良い展開ではないけど。
何しろ、私も日高も片手を人形化されたのだから。
「どうして私達の手を、人形化させたの?」
「……リプレイしますか?」
「答えてよ!!」
人形は、答える気が感じられない反応を返した。私は、思わず感情に任せて怒鳴る。
けれどそれは、ほんの数秒、この世界を静まり返らせる程度の効果しかなかった。
「リプレイしますか?」
静寂を、人形があっさりと破る。私は、怒りで震える身体を抑えつつ、「もう一つ質問」と、口を開いた。
「私達が人形になったら、どうなるの?」
「入れ替わり、私達が肉体を手に入れます」
人形は即答した。……入れ替わる、か。
「じゃあ、あんた達は何なの?」
「リプレイしますか?」
また……また、これだ……! 私は、苛立って唇を一度噛み締めたあと、人形を睨みつけた。
「私の人生の続きを、あんたが生きるって事?」
「リプレイしますか?」
駄目だ。もう何も答えてくれない!
……それでも、これで相手の目的のようなものははっきりした気がする。さっき答えてくれなかった内容は、これでいいのだろう。
つまり、私を乗っ取る、と言う事。その為にゲームじみた事をしている理由は、おそらくそうしなければ乗っ取る事が出来ないから。
そうと分かれば、私は過去に行くことなど出来ない。きっと、どんなに頑張ったって、元の世界に戻る手立ては、過去を改ざんする事では得られないだろう。
私はため息を付く。一体どうすれば私が望むようになるのだろうか。誰かの掌の上にいるだけの状況で、私の望みは叶えられる可能性は少しでもあるのか。
人形の物へと変わってしまった右手を見ながら考える。どうせ思いつきもしない癖に、思考を止める事は出来ないのだ。
右手が軋む。人間の手とは違う異質なそれは、私を憂鬱にさせる物だ。
私はまたため息を付いて、何気なく日高の姿をした人形を見た。
「見なきゃよかった……」
次の瞬間には独り言。彼の姿をした人形は、まるで日高自身であるかのように変わっていたのである。
もう、人形のような場所は、見える範囲では瞳くらいだ。服で隠れて見えない胴や足は人形の物なのかもしれないが、両手と髪の毛、顔の質感は人間そのものである。
ぞっとした。日高が、ずっとゲームオーバーになっているって事であるし、人形が人間に近づいているという事は、彼が人形のようになっていっているという事だから。
「早く帰って来い、馬鹿」
思わず呟く。このまま日高がコンテニューを続けていたら、人形になって、その後どうなるのかなんて分からない。
「はいはい、馬鹿は帰って来ましたよー、と」
丁度帰ってきたところで、私の言葉が聞こえていたらしい。
突然現れた日高は、軽い声で私に話しかけた。ニヤニヤとした顔を想定して視線を向けた先――私は、絶句した。
彼に笑顔が無い。口が動いていない。あぁ、そうだった。こうなっている事は予想出来ていた筈なのに。
だというのに私は、つい、さっきまで顔を突き合わせていた日高を想像して見て、ギャップに声が出なかったのだ。
「びっくり?」
そういって首を傾げる。目だけは人間の物で、感情があるように見えたが、もう殆ど人形だ。
「日高、もう、止めよう」
私は日高に歩み寄って、彼の服の袖を掴んで言う。服越しの腕は、硬くて、温度がない。
「うん、俺もそう思って。さすがにこれ以上はマズいしね」
「他に、何か方法があるかもしれないし、とりあえずこの空間を隅々まで探そう」
「そうだね。一応協力くらいしてあげるよ」
私の提案を無視されなくて、ほっとした。日高の事だから、「百瀬が勝手にやれば? 俺は関係ないし」とか言うかと思ったから。
「それじゃあ――」
私の声は、ここで途切れた。腕を誰かに強く引かれたのだ。
何事かと振り返ると、私の腕を引いた相手は……私にそっくりな人形だった。慌てて日高の方を見ると、彼も、彼そっくりな人形に拘束されていた。
「認められません」
「認められません」
二体の人形が言う。
「リタイヤは許しません」
「リタイヤは許しません」
二体の人形は言う。
「リプレイして下さい」
「リプレイして下さい」
二体の人形は言う。
「リプレイします」
「リプレイします」
二体の人形が言う。
この言葉が耳に入った瞬間、私の目の前は真っ暗になった。