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悠久思想同盟  作者: 二ノ宮明季
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「橙子! あなたって子はどうしてそうなの!」

 目を開けた時、私の前には鬼の形相の母が立っていた。

 私は視線をそらして、自分の両手を見る。……やっぱり、少し小さい。どうやら、また過去に戻ったようだ。

 私の想像通りの場面に飛ばされたのだとしたら、これは中学一年生くらいだ。

「橙子! ちゃんと聞きなさい!」

「……聞いてる」

 私はやり直したい。この出来事を。これを切っ掛けに、私と母の間には小さいけれど、確実な溝が生まれてしまったのだ。

「それが聞いている態度なの? ちゃんと叱られている理由を理解してる?」

「……」

 どうして、叱られていたんだっけ?

 どうにも、この後に言われた言葉と、言ってしまった言葉ばかりが記憶に残って、その前が曖昧だ。

「橙子は、どうして……」

 母が言葉を詰まらせる。

「どうして、無断外泊なんてしたの? お母さんがいつ、それを許したの? いつも言っているでしょう? 夜の七時までには帰って来なさいって」

 あぁ、そういえばそうだった。そしてこの一言で、ここが『私が変えたかった過去』だと確信した。

 ……我が家は、所謂母子家庭で、母は昼の仕事と夜の仕事を掛け持ちしている。

 それというのも、父が莫大な借金を抱え、離婚したからだ。

 離婚に至るまでの間にこさえた借金は、母名義の物も多く、こうして仕事を掛け持ちしなければ、親子二人、生きていく事もままならない。こんな状態でも、私が高校に通っているのは、ひとえに母の見栄なのだろう。

 私は中学を卒業すると同時に働こうと思っていたのだが、必要最低限の会話しかしない親子間で、母が強い口調で「行きなさい」と言ったのだ。

 ……こうして、当時の事を振り返ってみると、離婚するまでも壮絶だった事が思い出される。

 離婚するまでの数か月間、夜は毎日両親の大喧嘩を聞き、父はその苛立ちからか、時に私に暴力をふるう事もあった。ようやっと離婚した時、母に残ったのは、借金と、私という荷物と、悲しみ。

 十分理解していたはずなのに、私は寂しかったのだ。

 夕方には仕事に行く母が、私がいないことに気が付いたのは、夜の仕事をようやっと終えて帰ってきた次の日の朝だったのだ。

 凄く心配をかけてしまった。全面的に私が悪いと、今なら思える。

 しかし当時の私は、寂しさに負けたのだ。ずっと一人っ子で、祖父母や親戚の家も遠い。

 アパートの小さな部屋の中ですら、一人でいる事が嫌だった。だから私は、友人の家に泊めて貰った。

「橙子! 理由くらい言えないの!?」

 それに関しては、言えなかったのだ……。

 寂しいなんて言ったって、どうにもならない。私の寂しさをどうにかしようとすれば、仕事を変えなきゃいけない。そしたら、お金が足りなくて、私達は暮らしていけなくなったはず。

 そのくらい、中学生にもなれば理解出来ていた。

 母は、休みの日には、お昼を過ぎても起きる事がままならなかった事を知っていたし、家計簿と睨めっこしているのを、ずっと見ていたのだから。

 けど、そんなの……今だって言えない。無言を貫く事しか出来ない。

 一番変えたいと思った事だから、私はここに来たのに。

「橙子!」

 こうやって責められても、当時の私も無言だった。

 変えたかったのに、どうしたらいいのかが分からない。

「橙子、お母さんは一体誰の為に働いていると思っているの!?」

「お母さ――」

「お母さんは、橙子の為に働いているの!」

 これは嫌な展開だ。このまま、ずるずると何も出来ずに見ていたら、一番聞きたくない言葉を言われてしまう。

 お願い、それ以上言わないで! こんな事、二度も聞きたくない!

 聞きたくないけど、変えたくてここに来たのに、私はっ……!

「こんな風に橙子に裏切られるくらいなら……」

ねぇ、待って。待って。待って。待って。私は、私は――

「橙子なんて産まなきゃよかった!」

 私、は……これを、聞きたくなかった……。

 あぁ、駄目だ。来るって分かっていたのに、やっぱり、泣きたくなる。

 でも、あの時のような言葉は返してはいけない。

 あの時の私は、寂しくて、悲しくて、咄嗟に「産んで欲しくなかった」と言ってしまったのだ。それから、母との関係はあまり良好ではなくなった。

 この時、二人とも傷ついて、何もいい方向へなんて進まなかった。

「お母さん、私は……」

 声がかすれる。

「私は、お母さんの子供として産まれてこれて嬉しい」

 母の表情は、ハッとした物に変わった。

 この時、こんな風に言えていたら、現在の関係も変わっていたかもしれない。今の、冷え切って、必要最低限の事だけを話す関係が。

 寂しさからしてしまった事で、余計に寂しい思いをする事を、この時は全く分かっていなかった。

 ……もし私が死んだっていうのが、認識違いだったなら、今変えたのが本当になるのなら、色々話したい事はある。

「心配をかけてごめんなさい。もうしないから」

「橙子……。お母さんも言い過ぎたわ。酷い事、言っちゃったわね」

 母は私をギュッと抱きしめてくれた。温かい。

「ううん、私が悪いから」

 これが現実になって、私が死んでいなければいいと、望んでしまう。

 謎の空間に来たときは、どうせ死んだんだからとか、未練なんてないだなんて思ったけど、こうやって望むような未来に変える事が出来てしまうと、この後の人生を歩んでみたくなった。

 私はそっと目を閉じる。さっきと同じなら、次に目を開けた時には病院の待合室のような場所にいるのだろう。

 一瞬だけ余韻に浸って、私は目を開けた。



 やっぱり病院の待合室で、『GAME CLEAR』の黒文字が躍っている。

 それから、診察券ホルダーの横に、宝箱があった。近づいて開けると、中には母の写真と、片方だけの靴が入っていた。

 私は両方取り出すと、ピロリーンと音が響き、またしても黒文字の下に文字の羅列が現れた。ただ、さっきと違うのは、文字が多かった所。

 『モモセ トウコ ハ キオク ノ カケラ ヲ テニイレタ』の下に、『モモセ トウコ ハ ヒダカ ショウタ ノ キオク ノ カケラ ヲ テニイレタ』。更に下に『ツカイマスカ? >ハイ イイエ』の字。

 日高の記憶? よく分からない。

 それに、さっきも嫌な目にあった。原因がこれなのかどうかははっきりしないけれど、少なくとも、酷い頭痛はこれのせいだったのだろう。

 でも……もし、もしも、これを全部見れば現実世界に戻れるのだとしたら……。

 このもしもが、絶対にないとは言い切れない。勿論、絶対にあるとも言い切れないけれど。

 見ないでそのまま記憶の欠片とやらが消滅し、あまつさえ後から「戻るためのキーでした」と言われてしまったら、私は確実に後悔する。

 母との未来を望んでしまったから……。

 私は、大きく大きく息を吐く。それから、「はい」と答えた。

 すると次は、『ドチラ モ ツカイマスカ? >ハイ イイエ』と表示され、私は一瞬だけ躊躇って、また「はい」と答える。

「――く、ぅ……!」

 突然の酷い頭痛。前回と一緒だ。視界が霞んで、霞んで……やがて白くなった。



「別にいいでしょう?」

 視界は晴れない。けれど、声は私のもののようだ。

「どうせ誰からも必要とされていないんだもの」

 何を言っているの?

「前に言ったでしょ。母とは酷い仲。友達って言える相手もいない。……あんたは、どれかっていうと理解者だし」

 少し、風景が見えるようになった。青い空、白い雲。陳腐だけど、これ以外表現できない程度の風景である。

「理解はしてくれるけど、他に何もしないでしょ? それはお互い様だけど。私だって、あんたの事は理解出来るけど、だからって言って、あんたの為に何かしてやろうだなんて微塵も思わない」

 誰かと話しているみたいだけど、相手は見えない。

 ただ見える景色は、空。どうやら私は、『私』の視界をジャックしているようだ。

 多分、前回も同じだったんだろう。

「だから、止めないでよ」

 『私』は少し視線を落としたようで、眼下には、複数の、私の高校と同じ制服の生徒が見えた。……これ、まさか、私の学校の……屋上?

 ぼそぼそと、第三者の声が聞こえた。不鮮明で、誰なのか、何を言っているのか全く分からなかったけど、『私』が会話している相手なのだろうという事は、容易に想像がつく。

「止めないでって言ったでしょ。私、ずっと生きている実感なんて持てなかった。私は、私を産み落とした人間に嫌われたの。それで自分の事を好きになるなんて不可能でしょ? あんただって知ってるクセに」

 また、ボソボソと不鮮明な声が聞こえたかと思うと、『私』は「それじゃあね」と一言口にした。

 そこからは早かった。

 視線は青い空。身体は、強い風を受けながら、どうやら落ちているようである。

 一瞬だけ校舎の屋上に、生徒が見えて――私は……。



 ふと気が付くと、さっきの光景とは全く別の物が見えていた。

 視界がぼやけて曖昧だけど、それでも全く知らない場所の様に思える。誰かの家の、誰かの部屋のよう。……ここは一体どこ?

 それに、さっきのは何だったの? 心臓がドクドクと大きな音を立てているような気がして、胸に手を当てようとしたが、何もできなかった。

 慌てて自分の実態を見ようとするも、不可能だった。

 さっきの様に、誰かの視界をジャックしている状態のようである。

「俺に構うなって言ったじゃん」

 ……この声、日高?

 相変わらず頭は痛いし、わけがわからないけど、でも、久々に他の人物の声を聞いたような感覚にほっとした。そりゃあ、さっきもボソボソとしたものは聞こえたけど、あれは何なのかやっぱり分からなかったし、はっきりと他人の声が聞こえた今とは別だ。

「俺さ、干渉される事自体は慣れてるんだよね。でも、純粋に俺の事だけを考えて構われるのって慣れてないの。分かる?」

 この腹立たしい言い回しをするのは、私が知っている人物の中では日高だけ。声もそうだし、本当に日高なのかもしれない。

 そして多分、これが日高の記憶の欠片とやらだ。

 だからと言って、本当に日高の身に起こった事なのかどうかまでは分からない。

 何しろ、私の記憶の欠片も、私が体験した事ではないのだから。

 それに、今まで見た二つ、どちらも胸糞の悪い物だった。もしかしたら、これもそうかもしれない。

「態々家に上げたのは、こんな話他に聞かれたくないから。俺は、ヘラヘラ笑って、他人に従ってるだけでいいんだよ。その辺理解して」

 一体誰と話してるんだろう。頭は痛いし、視界はぼやけているしで、全く何が何だかわからない。

「それさえ理解して、俺がどんな目にあっていたとしても放っておいてくれれば、後はどうでも良いから。別に、アンタの事が嫌いな訳でもないし」

 多分、この人が日高なら、今ニヤニヤ笑っているのだろう。

 何か、またぼそぼそと声が聞こえるけど、誰のものだか、やっぱり分からない。謎の空間に来てから、分からない事だらけだ。むしろ分かる事の方が少ない。

「そうだ、同盟でも作ろうか。お互いがお互いの理解者。ただし、面倒くさい事はなしっていう同盟」

 彼は言う。そして相手も頷いたらしく、「決まりだね」と更に続けた。

「うーん……悠久思想同盟、でどう?」

 ……聞いたことがない。なのに、なんとなく記憶にある。何? この感覚。

「悠久の思想、つまり、答えが出ないようなモノ。答えが出ないのに、ダラダラと考えちゃう俺達にピッタリじゃない? 思いつきにしては、大したもんだよね」

 はは、と、『日高』笑う。

 ……何の、話? 疑問だけがグルグルと頭の中を巡る。けれど、視界は白くなって、頭痛も和らいで、私の思考は、一時的に……消えた。

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