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「橙子!」
目の前には、真っ白な天井。私の身体には強い衝撃。あと、痛み。
「橙子、目を覚ましてくれてよかった! 橙子っ……!」
「お母、さん?」
強い衝撃の正体は母で、私をギューギューと抱きしめたからだった。状況が読めない。
「ここ、どこ?」
「病院よ。あなた、車に撥ねられたの。丸一日目を覚まさないから、本当に心配してっ……でも、無事で良かった」
…………。
……………………。
これ、現実? 記憶の欠片を再生されてるわけでも、自分の意志でやり直してるわけでもないよね? 私、現実にいる、ん、だよね?
「あぁ、ナースコール鳴らさないと!」
母は、私に抱き着くのを止めて、慌てた様子で私の枕元のボタンを押した。直ぐに天井のスピーカーから声が聞こえて、それに対して「娘が目を覚ましました」と答える。
「橙子、良かった……生きていてくれて、良かった!」
「お母さん……」
なんだか、無性に泣けてきた。母が心配してくれたことが、嬉しかった。生きていることが、幸せだった。
私がそうして幸せを噛み締めていると、やがて扉が開いて、医者と看護師が現れた。そういえば、ナースコール押したんだっけ。
「気分はどうですか?」
「あー……えーと、あちこち痛い感じです。というか、何が何だか」
私は医者の質問に答えながら、改めて状況を見た。
手には点滴の針が刺さっていて、左足はギブスで固定されている。他にも、あちこちに包帯が巻かれていた。
どうりで痛いわけだ。尤も、生きているからこその痛みなのだから、このくらいは何の問題も無い。
問題は、もっと別の所にある。
それは、今私がいる病室が、個室であるという事と、着ている物が、病院支給のパジャマである事だ。私の記憶が正しければ、このどちらも別料金。ただでさえ入院はお金がかかるのだから、こんな所にまで払ってはいられない。
「あぁ、でも意識が戻ってよかったですね。身体の方には特に異常は見られなそうだったのですが、そこが心配でしたし。食事は出来そうですか?」
「いや、まだちょっと食べる気とかは……」
医者の問いに返事を返しつつも、私の意識は入院費へと向かう。とりあえず、ちゃんと答えたらそれだけは言わないと。
「それじゃあ、とりあえず今日は、点滴を繋いだままにしましょう」
この点滴が食事なのか。食べる気が起きないとはいえ、なんだか飲めば早いような量のそれを見ると、不思議な気分になった。
「しばらく入院して貰って、何度か検査も受けて貰いたいんですが、いいですか?」
「あぁ、それは良いんですけど、個室とパジャマはあと結構です」
よし、これであとは母に私のパジャマを持って来て貰うだけでいい筈だ。出来れば早めに退院したいが、この辺は医者の判断に任せよう。
「……しっかりした娘さんですね」
「いえ、あの……まぁ……」
医者の言葉に、母は苦笑いを返す。医者のすぐ近くで、看護師も笑っていた。私は何か可笑しな事を言っただろうか。
「個室は、念の為三日くらいは居て貰えるかな?」
「必要ならそれでいいです」
私の答えに、医者の隣の看護師が「ぷっ」と吹き出した。私は至極真面目に答えているつもりなんだけど。まぁ、いいや。笑いたいなら笑っておけばいい。
無視されたり、嫌悪感を露わにされるよりずっといい。何より相手は楽しそうだ。
「それじゃあ、また回診に来ますから、安静にしていて下さい」
「何かあったら、すぐナースコールで知らせて下さいね」
医者と看護師は、そう言い残して病室を出て行った。私は母の方を向いて、「いろいろ教えて欲しいんだけど」と切り出す。
「私、何がどうなってこうなったの?」
「橙子は、学校の帰りに車に撥ねられたの。同じクラスの男の子が先に撥ねられていて、その車の後ろの車が、急ブレーキをかけたけど止まれなくて、前の車を避けるためにハンドルを切った先に橙子がいたそうよ。車間距離も短かったからそうなった、とか言っていたわ」
「ちょ、ちょっと待って!」
状況は分かった。そして、同じクラスの男子って――
「その人って、えぇと、車に撥ねられた男子生徒って、日高笑太?」
「あぁ、そうそう。そんな名前だったはず。同じ病院に入院してるわ。橙子と同じように意識がなかったみたいだけど」
やっぱり、日高なんだ。同じ場所で、同じように倒れた相手。次に会うときは友達になろうと言った相手。
あれが、私の夢なのか、それとも共通した何かなのかは、まだわからないが。
「今も意識不明?」
「さぁ……? 少なくとも、橙子が目覚めるまでに、意識を取り戻した話は聞いていないけど」
その辺はどうなのだろう。無事ならいいのだが……。
「お母さんが知ってるのは、このくらい。後は橙子の事しか知らないわ」
「教えてくれて、ありがとう」
「……やけに素直ね」
母は、訝しげに私を見て、「頭を打ったのかしら」と首を傾げた。
「お母さん、私、お母さんと仲直りってしたっけ? あと、アミちゃんと私って、どうなったっけ?」
「橙子、本格的に頭がおかしくなっちゃったの?」
母は首を傾げつつ、言う。それから真面目な顔をして「橙子」と私の名前を呼んだ。
「昔言い過ぎたわ。ごめんなさい」
「ううん、私もお母さんの気持ちを踏みにじるような事しちゃったし」
……私の改ざんは、なかった事になっているのだろうか。それとも、あの出来事自体が、夢?
「でもさっき、ちょっと恥ずかしかったけど、家のお金の事気にしてるって思ったら、嬉しくなっちゃった」
思い出したように母は笑う。
「でもね、橙子。入院費は、加害者が負担してくれるのよ」
……なるほど、それはそうか。私の方に関しては、完全に被害者だったのだ。死んでもいいとは思っていたが、自ら車道に飛び出た訳でもない。なんか、ものすごく失念していた。
「それから、アミちゃんって、幼稚園の時の? 一度喧嘩して、結局そのままになったんじゃなかったっけ?」
あぁ、無かった事になってるみたいだ。あるいは、あの出来事自体が、無かった事なのか。
本当はケータイ電話を見れば一発だけど、ここで電源を付けるわけにもいかないし、そもそも私のケータイ電話が壊れていないという保証もない。
「んー、気にしないで。ちょっと色々混ざってるだけだから」
「そう? それならいいけど」
母の意識が私に向いていて、嬉しい。
「橙子、どこも具合は悪くないのね?」
「まだ、平気」
確認されたので、私は頷く。ちょっと、首や肩が張っている気がしたが、大した事はないだろう。なんとなく。
「これから、色んな症状が出るかも、とはお医者様が言っていたし、何かあったらすぐにナースコール押すのよ」
「うん、わかってる」
母はそう言って、私の頭を撫でた。数年ぶりの温もりが、心地良い。
「それじゃあ、お母さんは橙子の入院の準備してきてもいいかしら? 歯ブラシとか、タオルとか、橙子がお断りしちゃったパジャマとか」
「……うん、お願いします」
あまりつつかないで。そういう言われ方をすると、ちょっと恥ずかしいから。
「行ってくるわね。なるべく早く来るから、安静にしてるのよ」
「分かった。気を付けてね」
母は頷いて、病室の扉の方へと向かう。
「……あと、お母さんの事、大好きだよ」
「もう、何言ってるの。馬鹿な子」
病室を出る瞬間、思い切って言ってみると、母は柔らかな顔でこっちを見た。
「お母さんだって、橙子が好きよ」
そう言い残して、病室の扉は閉まり、母も出て行った。
嬉しい。やっと、関係が修復できそうだ。
私が心を開けば、こんなにも簡単に関係は変わる。今回は特に、事故もあって、いい切っ掛けになったのだろう。
……ドライバーさんには申し訳ないが。




