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今度は、さっきとは全く違う場所だった。モノクロの家具の置かれた、誰か――おそらく日高の部屋のようである。
ベッドに机に本棚にテレビ。部屋の広さはそこそこのようだ。
何畳あるか、なんてさっぱりわからないが、少なくとも、私の住んでいるアパートの居間よりは広い。
「俺の部屋だ……」
「やっぱりそうなんだ。広くて羨ましい。あんた、自分の部屋にテレビなんてあるわけね」
「うん、まぁ。そこそこに裕福だから」
ここも前に見たが……やはり日高の部屋だったらしい。と、言う事は、あの時の視界の主は、確実にこの世界の『日高』だったのだろう。
私達は、それから口を閉ざして、白い壁に背を預けながら、中での光景を眺める。
「俺に構うなって言ったじゃん」
その『日高』は、自分のベッドに座りながら、ニヤニヤと『私』を見た。『私』は、出入り口で腕を組みながら、じろりと『日高』を睨む。
「俺さ、干渉される事自体は慣れてるんだよね。でも、純粋に俺の事だけを考えて構われるのって慣れてないの。分かる?」
腹立たしい言い回しだ。何気なく隣の日高を見ると、彼は苦笑いを浮かべていた。
「あんたも、腹立たしいって思った?」
「俺が言うのは良いけど、言われたらイライラしそう」
彼に尋ねると、肩を竦めて返してくれた。
「……私の今までの苛立ちを分かってくれたようでよかった」
私の答えに、日高はまた苦笑いを零して、「ごめんごめん」と軽く謝る。誠意が感じられないが、まぁ、いいや。
「態々家に上げたのは、こんな話を他の人に聞かれたくないから。俺は、ヘラヘラ笑って、他人に従ってるだけでいいんだよ。その辺理解して」
『私』は何も言わず、『日高』をただ睨み付けている。どうやら何かが気に入らなくて、態々押しかけたようだ。この『私』は、随分と行動的だ。
「それさえ理解して、俺がどんな目にあっていたとしても放っておいてくれれば、後はどうでも良いから。別に、アンタの事が嫌いな訳でもないし」
『日高』はニヤニヤ笑いながら、ベッドの上で『私』を見上げる。
「あんた、馬鹿じゃないの?」
『私』はようやっと口を開き、ゆっくりと『日高』に近づく。
「あんたがあの男子生徒二人に好き勝手させてるせいで、今日は私も被害を被った。折角私は、悠々自適、一人ぼっちの高校生活を送っていたのに」
『私』は『日高』の前に立つと、不機嫌そうな声で言った。
……これを見て、日高はどうして私の隣で笑っているのだろうか。なんとなく腹が立ったから、とりあえず思いきり足を踏んでやる。
隣で「ごめんごめん」と、感情のこもっていない謝罪が聞こえたので、とりあえず足は退けた。
「干渉されたくないっていうなら、私に干渉しないで。あぁ、違うか。あいつ等の手綱握って、私に干渉させないで」
『私』は『日高』を見下ろして、大きくため息を付く。
「私はあんたと違って、完全に干渉されたくないわけじゃないんだけど」
『日高』は、『私』が言う度にニヤニヤ笑って、小さく頷いているが、話は聞いていますよ、というだけのポーズにしか見えなかった。
「目の前で繰り広げられて、ウザくて仕方がない時は口が出るわけ。分かってくれる?」
『私』は、それにも気付いているだろうに、無視して話を進行させている。まぁ、一々構っていると、前には進まなそうだけど。
「それでもまぁ、お互いにその辺融通聞かせたりできるような関係だ、っていうなら妥協するけど」
「つまり、友達とか、理解者とか、そういう関係って事? あとで慰め合ったりとか、さ」
『日高』は、私達が見始めてから初めて、『私』の話に入った。
「どう解釈してもらっても構わない」
「ふぅん、いいね。ちょっと楽しそう」
ニヤニヤした顔はそのままに、少し考えたようで、「そうだ」と声を上げる。
「同盟でも作ろうか。お互いがお互いの理解者。ただし、面倒くさい事はなしっていう同盟。そしたら、目の前で面倒事が繰り広げられても、許せるんじゃない? 同盟の相手だし、ってね」
「……まぁ、いいけど。でも極力迷惑はかけないで」
『私』の答えに彼は満足したように笑って、「決まりだね」と続けた。
「うーん……悠久思想同盟、でどう?」
……妙に、頭に残っていた言葉が出てきた。
「悠久の思想、つまり、答えが出ないようなモノ。答えが出ないのに、ダラダラと考えちゃう俺達にピッタリじゃない? 思いつきにしては、大したもんだよね」
はは、と、『日高』のような彼が笑う。
あの時は気付かなかったけど、この台詞って、その前からお互いの事を知っているって事になるんじゃないの? だって、どうしてお互いにダラダラと考え事するなんて、こいつが知ってるの? それを知っている、という事は、これ以前にお互い接触があったと考えるのが妥当だろう。
それなのに、今まで無視していた。けれど『私』は我慢できない事があった、あるいは、我慢の限界に達して、ここに来て改めて話しているのではないだろうか。
「あんた、随分楽しそうじゃない」
「うん、まぁね」
『日高』は笑って、『私』の腕を取ると、自分の方へと引いて唇を重ねた。
……はぁ? なんで? どうして? 私は、なんか気持ち悪くなって、隣の日高を見ると、彼も、明らかに不快そうに眉をひそめていた。
そして次の瞬間に、部屋中にパンッという音が響く。『私』が『日高』の頬を叩いた音だった。
「何するの? 変態なの? まさか欲情したの? 気持ち悪い」
「ごめんごめん。なんとなく、同盟の証明? みたいなのしてみたかったから」
『私』は、露骨に嫌そうな顔をしている。いや、多分私もしている。隣の日高も。何故こんな事になったのか、『日高』以外は分からないだろう。
今まで、死んだのは見てきたが、これは初めてのパターンで、かなり不快だった。
「してみたかった、で、普通キスなんかする? それとも、今あんたの頬にある椛が証明だっていうの?」
「じゃあ、それでもいいよ」
『私』の、不快そうな顔を見ながら満足げに『日高』は頷く。
「まぁ、とにかく、これで同盟は出来た、という事で」
「気分が悪い。帰る」
『私』は、一言零すと、彼に背を向けてドアの方へと向かった。
「うん、じゃあね。また明日」
『日高』は嬉しそうに手を振って、部屋を出る『私』を見送る。そして姿が見えなくなってから、「やっと捕まえた」と、ニヤニヤと笑って呟いたのだった。
そして、二体の人形と対峙する、白い空間。私の姿をした人形の、スカートから露出している右足は、人間の物へと変わっていた。ズボンで見えないが、日高に似ている方もそうなっているのだろう。
「で、あれは何だったの?」
「そうそう。何? あの胸糞悪いの」
私と日高は、二体の人形に問うた。
「あの百瀬橙子は、日高笑太が虐めにあっている事は一年の頃から知っており、度々声を掛けたり、仲裁に入ったりしていました。自分の目の前で起こった事に関してのみ、ですが」
随分と、あの『私』はやる気があったようだ。
「日高笑太は、その関係で少しずつ興味を持っており、あの段階では手に入れる事を考えていました」
「うわ、気持ち悪っ!」
日高型人形のセリフに対して、彼が思わず大声を上げた。それに私は大きく頷く。
どうやら感じた事は同じだったらしい。手に入れる、って、なんか気持ち悪い……。
この日高が、私に固執していなくて安心した。本当に、心の底から。
「この結末は前回と似ています。日高笑太が百瀬橙子に固執するあまり、無理心中して、終わります。あえてそこを出さなかった理由は、この年齢ではないからです」
「高校を卒業する時に、日高笑太は耐えられずに、百瀬橙子を殺害し、自らも命を絶ちます」
人形は、代わる代わる言う。卒業するとき……進路の関係、だろうか。
大学に行くなり、専門学校に行くなり、就職するなり、皆する。当然、離れ離れにもなるだろう。それに耐えられないだなんて、どれだけ……どれだけ、欲しいと思っていたのだろうか。
私は、小さく息を吐く。隣で日高も、ため息を吐いていた。
「それでは、次を再生します」
人形の声と、パチンという音。私達の見る世界は、また形を変える。