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私と日高は教室にいた。教室の、開けっ放しのドアの前に二人で立って、中を見る。
「――っ!」
日高が、息を飲んだのが分かった。
中は、真っ赤だ。夕日の色と、血の色。
血だまりの中、もう一人の『私』と『日高』は向かい合っている。
その足元に転がっている人物が、今なら分かる。日高を虐めていた二人組の男子生徒だ。確か、江藤と川島。
この光景を、私は一度、あの『百瀬橙子』の視点で見ている。
「だって、仕方がなかったの」
『私』が言う。狂気じみた笑顔を浮かべて。
「私、あんたを助けたかったんだもの」
『私』の手には、真っ赤に染まったナイフ。
「……百瀬、どうなってるの? これ」
「これは、人形の言葉を信じるなら平行世界の私達、って事になるんだと思う。中身は記憶の欠片そのままみたい。あの時は、あっちの私の視点で見た訳だから、ちょっと違うけど」
私の近くにいる日高が尋ねたので、答える。彼は眉間に皺を寄せて、じっと目の前で繰り広げられる光景を見ていた。
「後悔してないから。二人を殺した事」
平行世界の『私』は、誇らしげに血まみれの手を上げて、向こうの『日高』に見せる。
その『日高』は、様々な感情――怒りや、恐怖、悲しみなどがあるように思えるそれらを全て混ぜた表情をして、じっと『私』を見た。
「あんたが死んじゃう位なら、私がどうにかしてあげる。だって私、あんたの友達じゃん」
自分の事でありながら他人事。そして一度見た光景。けれど、ゾクっと全身が粟立った。
この『私』は、壊れている。
「……友達?」
「ここの、私とあんたは友達だったんでしょ。平行世界っていうんだから。この世界での時期にもよるけど、一年の時からクラスも一緒だったんじゃない?」
「あぁ、そっか……」
日高が、視線を目の前の光景から外せないままに私に尋ねた。私は、ちらりと彼を見てから答える。
呆然としている、という表現が、一番似合うような顔をしていた。
……ある意味、こいつも今まで同じような事をしていたのだけど、見るのとやるのは別なのだろう。残酷さは、一緒だと思うが。
「ねぇ、二人で逃げちゃおうよ」
血まみれの『私』は言う。確か、私があの時見たのはここまでだったはずだ。
「百瀬……」
向こうの『日高』が、震える声で名前を呼んだ。真っ赤に染まった『私』は、「何?」と首を傾げる。
「警察、行こう……」
「どうして?」
向こう側の『日高』の震える声と、向こうの『私』の真っ直ぐな声。
「私、昨日、こいつらに日高が車道に飛び込むことを強要させられた時に、思ったんだよね」
『私』は、真剣な顔で言う。その出来事は、私達が何度も見て、やり直した事と同じだったのだろうか?
「このままじゃ、日高が殺される、って」
……目の前で繰り広げられていたら、その危機感は覚える。私だって、止めようとしたのだから、それは分かった。
「私はただ、不安な要素を排除したに過ぎない。このままじゃ、友達が殺される。それを見ていられなかっただけなんだけど」
だからと言って、私には殺すという発想は出ない。そんな事、出来ない。
「百瀬、けど、これは」
「日高、嬉しくないの?」
「嬉しくは、ない」
向こう側の『日高』の反応に、『私』は、泣き出しそうな顔をする。子供じみた仕草に、自分ではないのに苛立ちを覚えた。
こんな事をしておいて、よく、そんな反応が出来る物だ、とか、私の姿で何を、とか、他にも色々感じる事はあったけれど、黙って続きを見る。
さっき日高と話していても、ここに居ても気付かれないのだから、あちらは、こちらの存在を認識する事は無いのだろう。何をしたって、無駄だ。だから、本当ならもっと近くに行って見る事も可能なのだろうが、なんだか動く気にはなれなかった。
「……嫌なの? 悲しいの? 悔しいの? 何なの?」
「俺だって、こいつらが消えてくれたらって毎日思ってた。だけど、百瀬にこんな事して貰ったって、嬉しくない。それに、死んでいる所を想像するのと、実際に死んでいるのを見るのは、違う。何度も殺してやろかと思ったし、何度も殺す事を想像した。だけど、それは、百瀬にして欲しい事じゃない」
『私』の問いに、『日高』は長々と答える。彼の表情は、真剣だ。
「百瀬が友達でいてくれるだけで、少なくとも、味方が一人いるってだけで頑張れた事、無駄になったんだよ」
なんとなく、隣に佇む日高の顔を見てみると、彼は、項垂れていた。今、どんな気持ちなのだろうか。
味方がいる事を羨んだのか、それとも、友達にこんな事をされたとしたら、を想像したのか。私には、分からない。
「でも、やってしまった事は戻らない。だから、警察に行こう」
『日高』がそういうと、『私』は、ナイフを握り直した。嫌な予感がする。
「じゃあ、やり直そう」
『私』が笑った。
「私と、日高と、全部やり直そうよ。きっとまた生まれ変われるよ」
彼女は、そう言って、握ったナイフを『日高』の腹に突き立てた。悪い予感は、当たったのだ。
「もも、せ……」
『日高』は、掠れた声で『私』の名前を呼ぶ。
「わかった……ももせだけ、わるものには……しないから」
「うん……」
「ふたり、で……やりなお、そう……」
「うん……」
二人とも、泣いていた。『私』は、自分の胸にもナイフを突き立てて、倒れ込む。
教室は、四人の血で塗れて、夕日は残酷に照らす。
ずっとそんな光景を見ていた私達の身体は、徐々に、徐々に透けて、やがて、この場所から消えてしまったのだった。
「一つ目の再生を終わりました」
白い空間で、私そっくりな人形は言う。
人形は二体とも、腕が生身の物へと変わっていて、私は慌てて自分の腕を見た。
……よかった、私は変わっていない。日高に視線を向けると、彼もどこもおかしくはなっていないようだ。
「あの世界の百瀬橙子は、日高笑太を、いき過ぎている程好きでした」
「そして日高笑太も、彼女を大切に思っていました」
人形二体が、感情の無い声で言う。
「しかし、距離感と大切にする方法を誤った二人は、あの後、死にました」
「その続きは知りません。では、連続再生を続けます」
人形の一言で、私達の見る世界は、また、変わる……。