龍の鎧
ノスリは、四人をシュトリーア島へ連れて行った。龍の鎧を手に入れるためだ。
ノスリの記憶によると、強力な魔法に目覚めたヒレンジャク・キレンジャクを大陸から追い出し、彼らの故郷ブラウン島に封印したオジロは各地に魔法の道具を分散させた。一ヶ所に集めておくと、それを使って悪い事を企む者が出てこないとも限らないと思ったからだ。遺跡冒険に使ったオーラの輝石。仲間の魔法使いが創り出し、ヒレンジャク・キレンジャクを捜し出すのに使った千里の眼。それを真似てエルフ族が創った、人間が精霊と交信出来る万里の瞳。決戦のためにドワーフの名工たちが命を削って作ってくれた龍の鎧と勇気の剣などがそれだ。
ちなみにアイリスが教えてくれた話だと、奪われた龍の鎧は王国内で伝えられる伝説とはちょっと違って、リチャードⅠ世が伝説にあやかって作らせた模造品なんだそうだ。
その本物の龍の鎧が隠されているのが大陸の南にあるブラウン島の側に浮かぶ小さな島、シュトリーア島なのだ。コルバート大陸の西側に勢力圏を持つスターンバー王国の最南端、ウッドワード半島の港町ドロシアから二日ほどの距離にある無人の小島だ。
「ところで、友情の指輪ってどんな魔力があるの?」
「これかい?」
アイリスは左手の中指にはめている指輪をセッカに向ける。
「これに魔力はない。アヤモズが友情の証としてオジロからもらった、ただの指輪だよ」
ドロシアの町が見下ろせる開けた丘の上で昼の休憩を取っていた四人は、腹ごしらえを済ませて立ち上がる。アイリスは上着のフードを目深く被った。
「フードなんか被ってどうしたの?」
純粋な好奇心からセッカが訊ねた。
「人の多いところは苦手でね」
この世界では人種によって住む街が違う。国が違うと言ってもいい。ヒューマン族は人型の中でもっとも繁殖力が旺盛で領土欲が強く、今や世界を支配していると言えるほど大陸全土に勢力を広げている。しかし、ヒューマン族同士が集団を形成し互いに覇を競い争いが絶えない。そして、その猜疑心ゆえに他種族に対しても寛容とは言いがたかった。自分たち以外の人種を「妖精」あるいは「亜人種」と呼ぶ。だからヒューマン族と比較的友好なドワーフ族でさえ滅多にヒューマン族の街には入らない。その特徴的な容姿から注目を集めるからだ。注目が集まればいらない厄介事も増える。
エルフ族は容姿としてはヒューマン族と大きく違わないのだが、特徴的な尖った耳と華奢で衆目を集めるヒューマン族好みの整った容貌でとにかく目立つ。自然と調和を好むエルフ族はその好奇の目を嫌がるのだ。
「そうか…」
それを聞いてトキとツグミもそれぞれ上着とマントのフードを被る。一人だけフードを被っていることで逆に目立ってしまう可能性を考慮した仲間なりの配慮だ。
町に入った冒険者たちはシュトリーア島へ行くための船を調達する。ちょうど小型の交易帆船が翌日には出航するというので少し遠回りしてもらう約束を取り付け、乗り込んだ。
優秀な狩人のトキと森の妖精エルフ族のアイリスとで用意した食糧を積んで、出港した帆船は、海の上を木の葉のように揺られながらシュトリーア島に着いた。船に慣れているらしいツグミと、バランス感覚に優れているアイリス、空の飛べるノスリは平気でいられたが、海初体験のトキと元の世界で湖の観光遊覧船にしか乗った事のないセッカは、出航と同時に船酔いになりほとんどを寝て過ごす事になる。
「意外ね。トキにもカワイイ弱点があるんだ」
ツグミは、ずーっとそんな風にからかっていた。
船旅は出航初日の夜、大雨に見舞われてセッカが一日中ゲェゲェと吐いて過ごしたくらいで何事もなく過ぎた。
上陸しても、セッカはしばらく地面が揺れて感じられたが、アイリスは事も無げに
「陸おか酔よいという現象だ。そのうち収まる」
と説明しただけだった。
そんな風だったので、冒険者たちは体調の回復するまで二日間、浜辺にテントを張って休んだ。
「何を考えているのかな? あいつら」
本来の調子を取り戻したトキが、出発の前日、久し振りに仕留めた野ウサギを丸焼きにしながらつぶやいた。あいつらとは、オオジュリンたちの事である。
「なによ、突然」
「いや、あの日ヒレンジャクたちが現れて以来、俺たち襲われてないだろ? 海上での襲撃はともかく、島に上陸してからの二日間も、何もなかったのがかえっておかしいと思ったのさ」
ツグミは、薬草の煮汁をかき混ぜながら相づちを打った。
「確かにそうね。トキもセッカも船酔いで戦えなかった訳だし、千里の眼を使えばその様子が判っていたと思うわ。ホント、何を考えているのかしら?」
「待っているんだと思う」
アイリスは、島に自生していた竹のような木を細工しながらそう言った。竹は見る間に矢に変わる。
「やつらはミサゴという少女をさらい、ブルーを手に入れようとしている。しかし、いまだにブルーを手に入れた形跡はない。ブルーを手に入れるには、ミサゴの他にオジロが残した魔法の道具が必要なのかも知れないと、私は考えている。そしておそらく、やつらはそれを探し出せないでいるに違いない」
「そうか、それを俺たちに探させようとしているんだ」
焼き上がった野ウサギを切り分けながら、トキは、興味深げにアイリスの竹細工を見る。ツグミは空を見上げて、星の運行を見ているようだ。食事が待ちきれなかったノスリは、切り分けてもらった肉にかぶりついて、口の中をヤケドしてしまったらしい。
「そう言えば、ノスリはオジロと一緒に冒険してたんだろ? ブルーの正体、知ってるんじゃないの?」
「知らない。知ってるのは、オジロがブルーを使ってヒレンジャクとキレンジャクを封印したって事だけだ。どういうもので、どういう風に使ったのかは、本当に知らない」
「そうか…」
セッカは、赤い火が踊るたき火を見つめた。
ミサゴに近付いているのだろう。彼女の泣き声がだんだんはっきり聞こえてくるようになっていた。夜一人静かに見張りなんかしていると、その声は今までのようなとぎれとぎれではなく、はっきりと彼の名を呼んで助けを求める声が聞こえてくる。彼はその声に、あの日のヒバリの涙を重ねて切ない気持ちになる事がある。そして、こう思うのだ「絶対、生きて元の世界に戻るんだ。戻ってヒバリに謝らなきゃいけないんだ」と。
翌日彼らは、ノスリを先頭に島の探検に出発した。ノスリの記憶によれば山の奥に沼があって、そこに沈めてあるのだという。
この島は、草食動物の楽園のようだった。
天敵になるような肉食動物がいないのだろう。生命感に満ちあふれていて、セッカなどともすれば小学校の遠足をしている気分になる。
大きな島じゃない。やがて小川が見つかり、川筋をたどって行くとうっそうと繁る密林の中に木漏れ日を受けてキラキラと輝く神秘的な沼が現れた。
沼をのぞき込んでも中の様子はよく見えない。水をすくってみるととても澄んだキレイな水なのにだ。
「沼自体に魔法がかかっているのかな?」
「そんな事ないわ」
魔法がかかっていればマナの集中が見られるはずであり、魔法使いのツグミが気付かないはずがない。アイリスも精霊による魔法の形跡はないと言っている。
「潜って探すしかないんだろうな」
泳ぐのには自信のあるセッカが鎧を脱ごうとした時、アイリスがそれを止める。
「鎧は脱がない方がいい」
はっとして辺りを見ると、トキもツグミも臨戦態勢を整えていた。敵が近いのか? この頃にはセッカだってそれなりに生き物の気配や殺気を感じられるようになっている。多少の油断はあったかも知れないけれど、他の全員が気付いているらしい敵の気配に気付かなかったなんて…。くやしい気持ちを抑えながら盾を構えて長剣を腰から抜いた。
「何がいるの?」
「判らない」
実は、トキにも気配は感じられなかったのだ。ただ、長年の狩人としての勘が身の危険を報せたのだ。
「魔法の力に囲まれたわ」
マナとは違う魔法の力。
ツグミが感じたのはそんなものだ。その魔法の力が沼をぐるりと取り囲んでいる。人数という考え方が出来るとすれば十四、五人というくらいか。
アイリスが不快感を隠さない表情をしている。
「マナは、万物の根源的エネルギーと言われているが、それは正のエネルギーを指しているに過ぎない。この気配は負のエネルギーだ」
「負のエネルギー?」
セッカは、理科の知識を総動員して考える。正と負ってことは+と−だ。この世界に存在するためのエネルギーがマナであるとすれば……。
セッカの足がガタガタ震え出す。
「セッカ? 正体が判ったの?」
ホラー系のゲーム画面が目の前に浮かぶ。
「ゾ、ゾンビ…!?」
「なんだそれ?」
トキの肩に乗っていたノスリが聞き返す。
やがて、近付いてきた敵の発しているらしいカラカラという乾いた音が沼にこだまを始めた。
「スケルトン…」
「アンデットか!」
トキもようやくその正体に気付いたようだ。と、ツグミが悲鳴を上げてトキの後ろにしゃがみ込んだ。ガサガサと枝をゆする音も聞こえてくる。ズルベチャズルベチャッという、気持ちの悪い音も混じっている。そして、遂にノスリが最初の敵を発見した。
「ガイコツだぁーっ!」
それに追い討ちをかけるようにツグミの絶叫が密林にこだまする。
セッカはもちろんの事トキも、様子から察するにツグミもアンデットモンスターと戦った事はないようだ。アイリスは鋭くみんなに指示を出す。骨だけの怪物は砕けばいい。肉体の残っている奴には火を放つのが一番なのだが、森の木に燃え移ってしまうと大変だ。
「セッカ、トキ、剣を使ってガイコツ戦士を砕け! ツグミ、回復の魔法をかけるんだ。正のエネルギーをぶつける事で負のエネルギーを相殺すれば倒す事が出来る」
しかし、彼女は頭を抱えてフルフルと首を振って見せるだけだ。
「無理無理、絶対無理!!」
アイリスは舌打ちした。この戦闘でツグミは使い物になりそうにない。
トキは愛用の短剣でガイコツ戦士を倒し始めた。数を確認すると七体はいる。どうやって動いているのか知らないが、カクカクと操り人形のように、しかし力強く攻撃してくる。セッカも震える足をガンガン叩いて走り出す。立ち止まるとまた震え出しそうで怖かったから、とにかく走りまくっては体当たりをするように剣を振り回し倒して行く。アイリスは、ヒザを抱えてうずくまっているツグミを風の壁で守りながら、風の刃で元の形が判らないほどにミイラを切り刻む。ミイラは全部で五体いた。彼らは乾燥によって硬く縮まった筋肉で動いているらしく、ゆっくりとぎこちなく動くので標的としては狙いやすい。
二体七のガイコツ退治は、乾燥していてモロい骨を、ドワーフが鍛えた二人の剣が次々と粉砕して行く。セッカも当初の恐怖によるショック状態から「理科室の標本だ」と自分に言い聞かせて落ち着きを取り戻し、今ではTVヒーローのような大活躍だ。旅の間にアイリスに教えてもらった剣技が、なんとか形になっていた。
「イヤァーッ!!」
最後のガイコツをトキとセッカが同時に打ち倒したのとほとんど同時に、ツグミの絶叫が三度響いた。振り返ると二体のゾンビが風の壁に手を突っ込んでいる。実際には風の壁に巻き込まれて腐った肉体は吹き飛んでいるのだが、その風にちぎられた腐肉をツグミは浴びたらしい。気を失って倒れたようだった。
死体であるゾンビは痛みを感じないようだ。失った腕に構う事なく、今度はトキとセッカに近付いてくる。歩くたびに腐肉が崩れ落ち、辺りに腐臭を漂わせて迫り来る。一体、どうやって動いているのだろうか? じりじりと近寄ってきた二体のゾンビは、マシンガンのような水の粒の攻撃を受けて消滅した。アイリスが水の妖精に働き掛けて生み出した魔法の攻撃だった。
「おじょーず」
激しい戦闘の終結を待っていたかのように拍手と共に現れたのは、一本角のヒレンジャクだった。
「相変わらず嫌な種族ね、エルフって」
「あ、ツグミ!」
風の魔法が解除されたスキをついて、キレンジャクがツグミを人質にとっていた。
「さて、答えてもらいましょう? この沼には、オジロの何があるワケ?」
気を失っているツグミを軽々と抱きかかえゆっくりヒレンジャクに近づきながらノスリをにらむキレンジャクを、ノスリもまけじとにらみ返す。
「首飾り? 腕輪? それとも鎧?」
「早く答えないと大変な事になるぞぉ」
甲高い声で面白そうに言うと、手のひらの上に火の玉を生み出す。
「どこから焼こうかしら」
ドスの利いた声が、四人に脅しをかける。
「……」
笑い出した二人の、その笑い声が頂点に達しようとしたその時だ。突然大地が激しく鳴動したかと思うと、沼の水が天へと突き上げられる。驚愕の一瞬を見逃さず、アイリスが空気の刃でキレンジャクに切りつけ、大地の揺れなどないかのような身のこなしでキレンジャクからツグミを奪い返す。天へ突き上がった沼の水が滝のように振ってくる。その中から巨大な龍が現れた。
「我が眠りを妨げたのは何者だ?」
耳にではなく、直接頭に響いてくるような声だった。頭の中をグリグリと探られているような感覚がある。龍の魔法力なのか、それとも特殊な能力なのかも知れない。やがて龍は大きく吠えた。それは、地の底から魂を揺さぶるような声だった。
「悪意に満ちた者は滅せよ」
龍はヒレンジャク・キレンジャクを前脚で捕まえると、沼の中に引きずり込んだ。
それから龍はセッカ、トキ、気を失っているツグミ、そしてアイリスと順に眺めまわし、改めてセッカを見た。
「少年よ、この世界の者ではないな?」
「え? あ…はい。あ、でも、どうして判るんですか?」
龍は笑い出した。
「お前からは懐かしい匂いがする。オジロと同じ匂いだ。…鎧を取りに来たのだな?」
セッカは力強くうなずいた。
龍は尻尾を振ってセッカの前に出す。尾の先には龍のウロコで覆われた全身鎧がある。
「お前のものだ」
セッカが鎧を受け取ると、龍は再び沼の中へと戻って行った。
鎧は伝説に語られている通り、とても軽かった。今、セッカが着ている革の鎧よりもずっと軽い。着替えてみたら冬の防寒着を着ているのと変わらないくらいだ。しかもセッカが着ると、青白いオーラのような光を放ちぴったりサイズになった。
「すごい…鎧からマナがあふれ出している」
意識の回復したツグミが息を呑み、ノスリが満足そうに腕を組んで何度も何度もうなずいて見せる。
「まさに伝説の魔法の鎧だ」
全身から力がみなぎってくるのが自分でも判る。マナがどんなものなのかも、今のセッカにははっきり感じられる。鎧のもつ力なのか、鎧によって引き出されたセッカの能力なのかは判らないけれど、ミサゴが彼を呼ぶ声も、どこで助けを求めているのかも今なら手に取るように判る。
「行こう。ミサゴが助けを求めて待っている。オオジュリンはブラウン島だ」