救世主の降臨
晴天の、気持ちのいい昼下がりである。
小高い丘には、若草が風にそよぎ、蝶などが花から花へと舞っている。その虫たちをよく観察すると、虫とは違う生き物を発見する事が出来る。いや、よくよく見れば虫たちよりもそういった生き物たちの方が多い事に気付くだろう。
人の姿にトンボや蝶のような羽がはえた生き物たちだ。
小さな妖精フェアリーである。
彼らはこの丘のうららかな事を楽しみ、唄い、舞い踊っていたのだが、突然の落雷が丘を襲い妖精たちは逃げ散ってしまう。
不思議な事もあるものだ。
妖精という存在が地上にあるという事も不思議な事ではあるけれど、晴天の、それこそ雲ひとつない空から雷が落ちる…まさに不思議の世界だ。
ところで、その落雷の中心に一人の少年が倒れている。
さっきまではいなかった少年だ。
妖精の一人ノスリは、恐る恐るではあったがその少年に歩いて近付いて行った。そして、ノスリが少年の顔をのぞき込もうとした時である。突然少年が目を覚まし、彼とノスリの目が合った。
「ギャー!」
「ーって、フツー驚くのは僕の方だろ?」
見た事もない小さな生き物に先に悲鳴を上げられ、気が動転するより先に冷静に突っ込みを入れた事で、奇妙な話このあり得ない現実を簡単に受け入れてしまったこの少年こそ、教室から稲妻と共に消えたセッカである。
「驚くのは僕の方だろ?」と言われたノスリは、大きな目をパチクリさせて「? なんで?」と尋ねてきた。
いわゆる妖精だ。
十五cmくらいの人で、背中にトンボのような薄い透明な羽が生えている。「オス」だと思う。顔は、セッカがイメージしていたようなかわいらしい感じではない。どちらかといえば西洋人風だったけれど、髪の毛の生えていないちょっとおじさんくさい顔をしている。
「ねぇ、なんで? なんで?」
質問したいのはこっちだ。セッカは、妖精の質問を無視して質問する。
「ここはどこ?」
「丘の上」
「………」
「丘の上だと何かあるの? ね、何? 何?」
セッカはちょっと、腹が立ってきた。
「君は何者?」
「オーラ? オーラはノスリ。妖精のノスリ」
「妖精? 君が? その顔で?」
見れば判るのだけど、なんだか意地悪してみたくなったのだ。
「大きなお世話。妖精はみんな、ちっちゃくてかわいいもんだと思ってんだろ。ところが違うんだな、コレが。一口に妖精といってもいろいろな種類があるんだ」
「種類?」
「あ、いけね。種族。妖精には多くの種族があるんだ。例えば森の妖精エルフ。大地の妖精ドワーフ。いたずら好きのコボルド、ゴブリン、オークにトロル。それにオーラたちフェアリーね。他にもいっぱいいるよ」
と、ノスリは得意げに、指を一本立てて話す。
「ゴブリン? オーク? それって怪物だろ?」
ノスリは、立てていた指を左右に振って舌打ちをして見せた。
「チッチッチッ! コレだから地球の人間は困るんだな。いいかい? コボルドもゴブリンもオークも、元はみーんな妖精なの。ちょっと醜いけどね。居眠りしてると靴を作ってくれる小人は怪物ってかい? ムーミントロルは怪物か?」
セッカは、ノスリのある言葉を聞きとがめた。
「ちょっと待って! 今、なんて言ったの?」
「ムーミントロルは怪物か?」
「その前」
「居眠りしてると…」
「もっと前!」
「チッチッチッ!」
セッカは、また腹が立ってきた。こいつ、ワザとやっているんじゃないだろな。
「その後だよ」
「……これだから地球の人間は困るんだな」
「それだ!」
あまりにも大きな声だったからだろうか、ノスリが思わず十cm以上飛び上がった。
「ここは地球じゃないの? どうして僕が、地球の人間だって判ったの?」
「ゴブリンやオークを怪物扱いするのは、地球の人間だけだからね。何でかねぇ…昔はちゃんと妖精だったのに……」
「いや、それじゃよく判んないよ。僕に判るように説明してくれよ」
「そりゃ無理だよ」
「キッパリ言うなよ」
「しょうがないぞ。例えばミサゴなら上手に説明出来るんだろうけどな」
「また出た。僕の知ってる名前」
「え? 何? どこ?」
ノスリが辺りを見回す。
「名前って言ったろ? ミサゴ。僕に助けを求める女の子の声が、聞こえてきたんだ。それで、気がついたらここに…」
「そうかぁ…捕まったな、ミサゴ」
「……あのさ…」
「何?」
「もっと、ちゃんと説明出来る人、いないの?」
「んーん、町へ行けば、ちゃんと勉強した人間もいると思うぞい」
「遠い?」
「大丈夫、町まではそんなに遠くないし、途中に強い怪物はいないから、遭遇したって問題ない」
「い!?」
セッカは、思わず声を上げた。ゴブリンだのオークだのがいると聞いていたから、当然いるだろうと思っていたけれど、実際にそのことを言われると、やっぱりちょっと怖い。しかも、その怪物たちに出会う可能性のある、町までの道のりを、このあまり頼りになりそうにないノスリという妖精一人を道案内に行かなきゃならないのかと思ったら、目の前が真っ暗になる思いだった。
ノスリは、そんなセッカの様子などお構いなしだ。
「ところで、見たところ武器は持ってないようだけど、魔法とか使えるの?」
「つ、使える訳ないだろ!」
すると、とたんにノスリがこの世の終わりのような表情で天を仰いだ。
「じゃ、どうやって町まで行くのさね。町までは三日かかるんだよ」
「三日!? さっきはそんなに遠くないって言ったじゃないか」
「そんなに遠くないだろ。この世界、町から町まで最低でも五日は旅をしなきゃなんないんだど。それを考えたら三日なんて…」
「そういう問題じゃないだろ!?」
「じゃあ、どういう問題なんだってばさ」
二人が言い争っていると、新しい声が割り込んできた。
「ノスリ、何をもめているんだ?」
するとノスリは、キョロキョロと辺りを見回し出した。セッカも声のした方に視線を向けてみた。そこには、丘を登ってくる人影が見える。ちゃんとした人間のようだ。
「トキだぁー!」
人影を見つけたノスリは走って丘を駆け降りて行くと、トキと呼ばれた人影に抱きついた。
「何やってんだよ、お前の背中に生えているのは、タダの飾りか?」
言われてノスリは、パタパタと羽を羽ばたいて見せる。
「実用的な羽だよ。ちゃあんと飛べるんだからね。…あ・そうか。飛んできたらもっと早かったのか」
「相変わらずだな。…彼は?」
トキは、ゆっくり丘を下りてくるセッカを見やって、ノスリに尋ねる。
「地球の人間。名前は、えぇと…」
「フフ、どうせいつもの通り、名前を聞くより先にまくし立てていたんだろ」
セッカは驚いた。
目の前にいるのは、ちょっと大人っぽい感じはするけれど、どう見たってジュウイチなのだ。自然と名前が口をつく。トキは笑ってこう答えた。
「残念だけど、俺の名前はトキ。君の友達によく似てるようだけどね」
トキと名乗った高校生くらいのその若者は、落ち着いた声音と穏やかな口調でセッカに話しかけてくれる。
「…そう…。あ、僕の名前はセッカ。メジロ セッカ」
「よろしく、セッカ」
「え?」
セッカは狼狽した。
突然、右手を出して「よろしく」といわれても、何が「よろしく」なのか理解出来なかったのだ。いや、確かに挨拶としては普通の言葉だと思う。だけど、その言葉の中に込められた期待のようなものが、理解出来なかったのだ。
その辺を察してくれたのか、それともついでみたいなものだったのかは判らないけれども、トキが言った。
「地球から召喚されるのは、たいてい救世主だ。ミサゴを守ってブルーを…」
召喚だの救世主だのと突然言われても、セッカにだって心の準備というものがある。彼は、心臓をドキドキさせながらトキの言葉を遮った。
「と、とにかく、その…ミサゴって子を助けて、ブルーってのを守ればいいんだろ? そうすれば、元の世界に帰れるんだ。そうでしょ?」
元々の性格だったのかも知れない。
が、とにかくノスリの勢いにごまかされたセッカは十一歳の、TVゲームや漫画が大好きなごく普通の小学六年生らしくすっかりこの世界と自分の関係をごくあっさりと受け入れてしまった。そして、ずっと差し出されていたトキの手をがっちり握る。
それだけで、彼はなんだかRPGの主人公になった気になってきた。
「トキ」
「なんだい? ノスリ」
「ミサゴ、捕まっちまったらしいど」
この地域で|(と言っても召喚されたばかりのセッカにはここがどこなのか土地勘がないので全く判らないのだが)狩人をしているというトキが頼もしい旅の仲間となり、ミサゴを救う旅をする事になったセッカたちは、冒険になるだろう旅の準備をするためにいちばん近くの町へ行く事にした。
「さて、何から説明しようか?」
その三日間の道程の間、この世界の事についてトキが知っている限りを教えてくれる事になった。
「ここがどんな世界なのか、教えてくれる?」
「いいだろう」
この世界は、オーウェンと呼ばれている。
セッカの生まれ育った世界とは、別の次元にあるそうだ。
「もっとも、次元というものがどういうものなのか、俺には判らない。とにかくまったく違う世界らしい」
「それで?」
「世界は大きく三つの人間の国に統治されている。東西に長く広がる世界の中心コルバート大陸の西側、俺たちがいるのがリチャード王が統べるスターンバー王国。東に魔法国家共和国マンテル。そして、国土は大きくないけれど北の地に君臨するバーナム皇帝の新興国家ギデオン帝国。他にも小国や自治区、少数民族の集落なんかもあるけど…」
「ごめん。覚え切れないから先を続けて」
「判った」
トキの話によると、この世界は俗にいう「剣と魔法」によって支配されているそうだ。
簡単に言うと力の強い者、強力な魔法の使える者が支配者となって国を治めているのだ。
例えば、スターンバー王国の建国王エドワードⅠ世は先頭に立って剣を振るい小国の一兵卒からその国を掌握し、一代でコルバート大陸の半分近くを領有する大国の支配者になった。マンテル共和国は現在、八人の魔法使いで運営される評議会によって支配されている。
「選挙で選ぶんじゃないの?」
「選挙って何? オーラにも判るように教えて」
「えーと…よく判んない」
「それじゃしょーがないぞ」
セッカは、ノスリに言われるとなんだか癪に障った。それはちょうど、自分の嫌だなぁと思っているところを他の人に指摘された時のような感じである。
「魔法って、この世界では誰でも使えるって訳じゃないの?」
「うん、種族にもよる。例えば妖精エルフ族は生まれた時から精霊と交信する能力を持っていて、精霊の力を借りる形で全員が魔法を使えるそうだ」
「精霊?」
「目に見えないけど生きているって言う存在だお。妖精は精霊ととても近い種族だってことだ」
ノスリは得意そうにセッカの周りを飛んでから、トキの肩に乗っかった。
「フェアリーも高い確率で精霊と交信出来るそうだけど…」
「オーラは出来ないけどね」
いつしか日が沈みかけ、三人は野宿の準備をする。
川のほとりのちょっと開けた場所で草の原っぱになっているところを選んでトキが露よけのシートを敷くと、その側に焚き火を熾す。その間にセッカとノスリは薪を拾い集め、魚釣り。魚は日が沈むまでのわずかな時間でも面白いように次から次と釣れた。夕食はその川魚だ。セッカにはちょっとヘンな格好に見えた魚だったけど、塩をまぶして焼いただけのその魚は、食べてみるととてもおいしかった。なんか、RPGを本当に体験しているんだなぁ…っていう感動が込み上げてきて、妙に嬉しくなったセッカだった。
食事の後、トキは魔法についてもう少し詳しく説明してくれた。
それによると、この世界の魔法には大きく分けて三種類の魔法があるそうだ。
一つはエルフたちが使うような精霊に代表される不可視の存在に働き掛けて発動するもので、召喚魔法という。
これに対して自然界に存在する根源的エネルギー「マナ」を利用する魔法がある。マナを呪文によって魔法力に転換して発動させるものと、呪文によってマナそれ自体に働き掛けて活性化させたり停滞させる事で現象を起こすものがあって、それぞれの魔法の性格から「攻撃魔法」「防衛魔法」と呼んでいるらしい。
「じゃあ、呪文を覚えれば、誰でも魔法が使えるの?」
いわゆるファンタジーの世界を実体験しているんだという感動と興奮で目をらんらんと輝かせているセッカは、自分にも使えるかも知れないという期待を込めてトキを見た。
「そういう訳にはいかないんだ。例えばさっき言った通り呪文を唱える魔法にはマナが必要になるんだけど、まずマナを感じる事が出来ないと使えない」
すると今度は食べ過ぎでおなかがポッコリとふくれて仰向けに寝ていたノスリが、そのままの格好でこう言った。
「マナは万物のエネルギーだから、そこいらじゅうにあるんだな」
「目に見えたりするの?」
「そういう感じ方をする人もいるらしい」
トキは、焚き火に新しい薪と石のヤジリがついた矢を一本入れる。
「そういう人も?」
セッカは夜になって少し寒くなったのか大きな毛布にくるまって、お尻で歩いてちょっとだけ火の近くに近付いた。
「俺は残念ながらマナを感じることができないから聞いた話だけど、寒いとか暑いって感じる人もいるようだ」
「人によって感じ方が違うんだね」
「他にも、マナが集中している所は苦しいと感じる人もいれば、逆に少ないと苦しく感じる人もいる」
「ふーん、不思議だね」
「そうだね…」
トキはそう言いながら、そっと弓を引き寄せた。
セッカはそんな様子に気も付かず、少し甘くてあったかい飲み物を一口飲んでノスリに聞いた。
「ノスリはマナを感じるの?」
ノスリは横になったまま、胸を張ってこういった。
「オーラ、そんなこと出来ないよ」
「精霊とも交信出来ないんでしょ? 才能ないんだね」
「なぬ? 失礼だよ、セッカ。マナを感じる事が出来る人って、そんなに多くないんだからに」
「そうなの?」
セッカはトキを見る。トキは弓弦の張りを確かめながらうなずく。
「うん。マナそのものを感じる事が出来る人は、ごくわずかしかいない」
「マナそのもの…?」
「マナは万物の根源的エネルギーだからね。魔法の才能に恵まれた人でなくても別の形でなら感じる事は出来る。例えば火」
トキは、たき火の中から石のヤジリが真っ赤に焼けた矢を取り出す。
「例えば風…」
そして、その矢をつがえる。
それを見たノスリが、慌てて起き上がった。
「あるいは生き物の気配」
ひょうと放たれた火矢は、忍び寄っていたらしい怪物に命中する。真っ赤に焼けたヤジリの突き刺さった怪物は、悲鳴を上げて逃げ去って行く。
「敵だぁ!」
こちらも小さな体で負けないくらい大きな声を出したノスリは、さっとセッカの後ろに隠れる。セッカには、驚いているヒマもなかった。
「…遅いって。もう逃げて行ったろ?」
「あ・そっか…はぁ、助かった」
「今のは?」
弓を置いたトキは、何事もなかったように座り直し、たき火に少し多めに木をくべる。そして、やっぱり何事もなかったように穏やかにこう答えた。
「食人鬼の一種だよ」
「しょくじんき?」
ノスリがセッカの背中をよじ登り、彼の耳元で得意げに話してくれた。
「人を食べる鬼だお」
「いいっ!? そんな怪物もいるの?」
セッカはそのときようやく驚き、怖い目に遭った事を知った。トキは、怯えた表情で心配そうに辺りを見回すセッカがホッとする気持ちになれるように優しく笑いかけてくれた。
「大丈夫。食人鬼は何種類かいるけど、みんな低能な種族だからめったな事で食われる事はない。彼らは常に殺気を放っているから、近付いた事がすぐ判るからね」
「殺気…全然判らなかった」
するとノスリが仕返しとばかりに、さっきのセッカの真似をする。
「セッカ、才能ないんじゃない?」
「君に言われたくない」
二人のやり取りを笑いながら見ていたトキはカップに残っていた飲み物を一息に飲み干すと、マントにくるまった。
「さて、そろそろ寝よう。この辺りは、食人鬼を除けば、後はせいぜい狼くらいのものだから、火さえ絶やさなければ襲われる心配もない」
それを聞いたノスリはひらりとトキのマントの中に飛び込んで、顔だけをセッカに向けた。
「その食人鬼も、さっきトキが追い払ったから多分もう襲ってこないど」
「そうだね。セッカ。悪いけど、最初の見張りをお願い出来るかい?」
「え? あ、うん」
うなずいたセッカを確認すると、トキは星空の一点を指差した。
「あそこに大きな星が見えるだろう?」
「あれ?」
セッカも指を差して見せる。
「そう。あの星が、森の向こうに隠れる頃に俺を起こして交代だ。いいね」
「判った」
ノスリが、もぐり込んだトキのマントの奥からこういった。
「じゃ、よろひくぅ」
「うん」
トキが天幕に入って行くのを確認したセッカは、改めて毛布を頭からかけて満天の星空を見上げた。星座を探してみようとしたけれど、星の位置が全然違うらしくて一つも自分の知っている意味のある形につながらない。改めて異世界に来てしまったんだという思いに少し寂しさを感じた。
そして、こうつぶやく。
「…みんな、心配してるかな? お父さん、お母さん、僕が家出したとでも思っているかも知れない。……元の世界に本当に帰れるんだろうか? …どうして僕が、呼ばれたんだろう?」
トキとノスリが眠りにつき辺りを静寂が包むと、あの泣き声が遠く、小さく聞こえてきた。
「助けて…セッカ」
「ヒバリ…いや、ミサゴ」
声は、とぎれとぎれに聞こえてくる。
「セッカ…ブルーを…」
「ミサゴ…まだなんだかよく判らないけど、とにかく僕はミサゴを助けてブルーってのを守るためにこの世界に召喚されてきたんだね? だったらやるさ、必ずミサゴを助ける。そしてブルーを守る。そうすれば、元の世界に帰れるんだろ? 待ってて、ミサゴ」